棋界に現れた超新星・藤井聡太。歴代5人目の中学生棋士、そして最年少棋士として話題となった藤井は、デビュー後負けなしの29連勝をはじめ数々の記録を打ち立て、国民的スターへと昇りつめた。では、藤井をのぞく4人、加藤一二三、谷川浩司、羽生善治、渡辺明の修行時代、デビュー後の活躍はどんなものだったのだろう。数々の資料をもとに検証し、藤井聡太のそれと比較していく。

3年9カ月で奨励会卒業

制服姿が初々しい中学生棋士・谷川。『将棋世界』1977年4月号より

「この子はプロ入りすれば名人になる」一流棋士・内藤國雄九段から最上級の太鼓判を押された谷川はその後も、内藤九段と同門の若松政和七段が開く将棋教室などで腕を上げていきます。そして小学5年生、11歳の時、若松七段の勧めで奨励会(プロ養成機関)に5級で入会するのです。

プロとして認められるのは四段から。奨励会員同士で対局し、好成績を挙げると昇級するシステムで、5級入会なら4、3、2、1級、初段、二、三、四段と8階級昇進しなければなりません。

名人になる者が奨励会で停滞しては、内藤九段の予言は信憑性がなくなってしまいますが、その眼に狂いはありませんでした。奨励会員・谷川5級の昇級ペースは順調そのもの。5級から4級への昇級に約9カ月、3級から2級への昇級に約11カ月掛かった以外は2~5カ月程度しか要しておらず、まさに猛スピードで三段へと駆け上がります。

谷川、その時14歳。

この時代は藤井聡太七段が1期で抜け四段昇段を果たした「三段リーグ」の制度はなく、三段昇段後「8連勝」もしくは「12勝4敗」の成績を挙げれば四段昇段というシステムでした。

加藤一二三九段以来2人目の中学生棋士誕生なるか? 谷川は期待に応え、三段昇段からわずか約5カ月後の1976年(昭和51)12月20日、8連勝の成績を挙げて四段昇段、プロ入りを決めました。

奨励会在籍期間は約3年9カ月。前述の通り、奨励会のシステムが現代とは違う(※)ため一様に比較することはできませんが、これは藤井七段の約4年を上回るスピード昇進ということになります。

雑誌『将棋世界』では、1977年2月号「奨励会成績表」で四段昇段の報を掲載。記事にはこうあります。

「奨励会入会当時から大物の声のたかかった関西奨励会の谷川浩司三段がこのたび四段に昇段。めでたくプロの仲間入りを果たしました。成績表をごらんのように年齢はまだ14歳。これはもちろん現役最年少であり、神武以来の天才といわれた加藤(一)九段以来の快挙です。順調に昇段を続ければ加藤(一)九段のもつ18歳八段の記録と並ぶのも夢ではありません。みなさんも谷川新四段の活躍にご注目ください。」

そして、翌々4月号では14ページの特集が組まれました。テレビで中学生棋士対決が企画され、加藤一二三九段と対戦する姿も見られます。そういえば藤井聡太新四段のデビュー局も、お相手は加藤九段でしたね。

  • 加藤一二三九段とのお好み対局。『将棋世界』1977年4月号より

次回は『20歳の名人挑戦者』をお送りします。

(※)現行のシステムでは二段から三段に昇段すると、半年サイクルで行われる三段リーグに参加することになります。藤井七段は三段昇段のタイミングが非常に悪かった(三段リーグ開始直後に昇段した)ため、ほぼ丸々半年の足止めを食うことになってしまいました。