両国駅(開業当時は両国橋駅)は、総武鉄道のターミナル駅から出発したこともあり、当時の駅界隈は多くの来街者でにぎわった。1972年、東京駅と錦糸町駅とを結ぶ横須賀・総武快速線の運行が開始。これが、両国駅の立場を揺らがせることになる。 両国駅に代わって錦糸町駅の拠点性が高まり、次第に錦糸町駅界隈へとにぎわいはシフトして行く。しかし、相撲の聖地だった両国は根強いファンに支えられながら衰退の危機を乗り越えていく。

  • 両国駅西口駅舎はレトロモダンを彷彿とさせる洋風建築。建築物としての評価も高い

    両国駅西口駅舎はレトロモダンを彷彿とさせる洋風建築。建築物としての評価も高い

江戸時代よりも前から、各地で盛んに相撲はおこなわれていた。当時の相撲は、寺社の修復費用を稼ぐための見世物だった。庶民から人気を博したこともあって、全国の寺社で相撲が盛んにおこなわれるようになった。

しかし、相撲興行で荒稼ぎする寺社が出てきたことで幕府は統制を強める。以降、幕府が許可した両国の回向院(えこういん)だけで相撲の取り組みがおこなわれることになった。回向院は両国駅から国技館通りを南へ数分ほど歩いた場所にある。そうした経緯から回向院は勧進相撲発祥の地とされ、神事・相撲の伝統を長らく支えた。そして、1906年には旧国技館が回向院の境内に竣工。ここから本格的な大相撲の興行が始まった。

  • 旧国技館が立地していた回向院。パワースポットとしても人気がある

旧国技館の設計者は辰野金吾で、辰野はほかにも東京駅の赤レンガ駅舎や日本銀行本店などを手がけた。明治を代表する建築家だった辰野が旧両国国技館の設計を引き受けたのは、辰野が熱烈な相撲ファンだったからだ。江戸時代から庶民に熱狂的な人気を誇った相撲は、明治のスター建築家をも魅了した。

旧国技館は火災や関東大震災による倒壊といった受難に遭いながらも、そのたびに再建された。それほど庶民にとって相撲は欠かせない娯楽であり、国技館は心の拠り所でもあった。また、1936年には歴代相撲年寄を慰霊する巨大な力塚の碑も回向院の境内に建立されている。

  • 回向院の境内に建立された力塚

幾多の受難を乗り越えた旧国技館だったが、太平洋戦争の戦火が激しくなると陸軍が接収。旧国技館は軍需工場に転換されて、同工場では風船爆弾が製造された。1945年の東京大空襲で。東京の下町地域は灰燼に帰した。旧国技館も焼失し、一面は焼け野原となっている。

旧国技館の悲運は、戦後もつづく。戦後に進駐してきたGHQは旧国技館を接収。GHQに接収された旧国技館でも相撲は開催されたが、日本相撲協会は統制されない新たな場で大相撲を開催する方針を採り、新たな場を探した。そして、両国の至近にある蔵前に白羽の矢が立てられる。こうして、1954年に蔵前国技館が落成した。

相撲の聖地が蔵前に移ったことで、江戸から続いてきた相撲のともし火が両国から絶えることになった。以降、1984年まで相撲は蔵前国技館を中心に興行され、相撲の聖地・両国はすっかり影が薄くなる。しかし、蔵前国技館が老朽化すると、国技館は両国に再び戻ってくる。両国駅は総武鉄道のターミナルだったこともあり、駅の北側には広大な貨物ヤードが広がっていた。当時、物流の主役は貨物列車からトラックに移行しており、そのために貨物駅やヤードは不要な施設になっていた。

  • 両国のシンボル・国技館は、取り組みのない日でも多くの観光客やファンが足を運び、相撲人気が顕在であることを感じさせる

そうした時代背景もあって、両国駅北側の貨物駅は両国国技館の敷地として再開発されることになる。1985年には、新しい両国国技館が落成。相撲の取り組みはもちろんのこと、国技館はプロレスや格闘技といった幅広い興行場として利用されている。また、歯磨き粉や洗剤などでのメーカーとしてお馴染みのライオンは両国に本社を構えるが、ライオンの株主総会も国技館で実施されている。国技館は相撲ファンだけではなく、両国に暮らす人々のアイデンティティにもなっている。

  • 取り組みのない日でも、国技館に併設されたお土産コーナーは人気。記念撮影スポットもある

  • 相撲の街らしく、街角では相撲と関連したオブジェなどを目にできる

  • 両国駅ホームからも本社が見えるライオン。国技館で株主総会を開催する地元密着企業

訪日外国人観光客が急増している昨今、両国駅は多くの外国人観光客が乗降する。国技館での取り組みがない日でも、相撲の聖地を一目見ようとする外国人観光客が国技館の周辺を闊歩し、土産物売り場では相撲グッズが飛ぶように売れている。両国の街は、国技館が戻ってきてから活気を取り戻した。相撲色も、年を経るごとに濃くなっている。

両国駅東口の目の前には、飲食店が並ぶ"横綱横丁"がある。また、街のあちこちには相撲部屋で常食されている"ちゃんこ"をメニューに掲げる飲食店もあちこちで目にできる。これらの店は、力士経験者が経営していたり、プロデュースする料理店もある。例えば、西口の目の前には、元大関の霧島(現・陸奥親方)がプロデュースする「ちゃんこ 霧島」がある。ちゃんこの味つけは店ごとに異なるが、これは各部屋の味を継承しているからだ。

  • 駅東口の目の前から延びる"横綱横丁"には、飲食店が並んでいるので人通りが絶えない

  • 陸奥親方が監修する「ちゃんこ 霧島」。「-両国-江戸NOREN」内にも店舗を構える

2016年、両国駅の旧駅舎がリニューアルされて複合商業施設「-両国-江戸NOREN」が新たにオープンした。同施設内には大きな土俵が設置されており、ここでも相撲の街を身近に感じることができる。都心から両国へは、隅田川を渡ることになる。総武線に乗車すれば所要時間はわずかだが、それでも都心とは異なる空間が、そこには広がっている。

小川裕夫

静岡市出身。行政誌編集者を経て、フリーランスライター・カメラマン。取材テーマは、旧内務省・旧鉄道省・総務省が所管する分野。最新刊は『私鉄特急の謎』(イースト新書Q)。