2019年4月30日に幕を下ろす「平成」。マイナビニュースでは、「平成」の中で生み出されたエンタメの軌跡をさまざまなテーマからたどる。この「平成を駆け抜けた番組たち」は、平成の幕開けと同じ時期にスタートし、現在まで30年にわたって続く番組をピックアップ。そのキーマンのインタビューを通して、番組の人気の秘密を探っていく。

第7回は、平成3(1991)年10月にスタートした、フジテレビ系バラエティ番組『平成教育委員会』(スタート時は『たけし・逸見の平成教育委員会』)。97年にレギュラー放送を終了したものの、2000年に特番として復活し、10月21日(20:00~21:54)には最新作『平成教育委員会2018秋 大人も驚く!小学生が学ぶ最新ニッポンSP』が放送される。

番組名に“平成”を冠し、その時代を最後まで見届けようとしているこの番組を、当連載で取り上げないわけにはいかない。番組スタートの翌年からプロデューサーを務めた、イースト・エンタテインメントの角井英之社長に話を聞いた――。

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    角井英之
    1962年生まれ、広島県出身。東京大学卒業後、85年にテレビ番組制作会社・イースト(当時)に入社。『わくわく動物ランド』『ギミア・ぶれいく』(TBS)、『世界まるごと2001年』(MBS)などを担当し、93年4月から『たけし・逸見の平成教育委員会』(現『平成教育委員会』)のプロデューサー。97年に『奇跡体験!アンビリバボー』を立ち上げ、14年からイースト・エンタテインメント社長、エグゼクティブプロデューサー。

涙ぐましいアナログな努力があった

――『平成教育委員会』は、ビートたけしさんがフライデー事件の謹慎中で時間がある時に、小中学生向けの学習ドリルをやったら面白いということで、番組化を企画されたんですよね。

そう聞いています。フジテレビさんで『北野ファンクラブ』という深夜番組をやっていた時に、弊社の担当やフジテレビの編成担当の方、(放送作家の)高田文夫さんと雑談する中で、たけしさんが「問題やってみたら意外と難しいんだよ」っとおっしゃって、「それ面白いから番組にしよう」ということになったと。

――当時は紙のフリップで解答するのが主流だった中でコンピューターの画面を使ったり、CGを活用して正解を解説したりと、最新技術を先駆けて使用した番組ですよね。

CGと言っても、当時は二次元のアニメーションがカクカク動くものでしたが、たけしさんや勉強小僧のアニメが、そのおかげで逆にかわいかったですよね。解答に使うコンピューターの技術はどんどん進化していったんですけど、実は最初の頃は裏で、ものすごく涙ぐましいアナログな努力があったんですよ(笑)

――そうなんですか!?

例えば、全員の解答をマルチモニターに表示して、「正解者は、こちら!」って言って正解者のモニターが赤くなるじゃないですか。今見ると、その赤色1つ1つの濃淡が違うんですよ。当時は、それぞれの画面に赤いシートをのせて色をかけていたので、統一じゃないんですよね。それと、解答者1人に対して画面を切り替えるボタンが1つあったんですけど、裏にいるスタッフは1人あたり解答者3人分くらいを担当するんです。そうすると、「正解者は、こちら!」って言っても、複数の人間が「せーの」でボタンを押すので、一斉に画面の色が変わらなくて、ちょっとズレてるんですよ(笑)

――昔の野球場がアナログのスコアボードを手でひっくり返していたのと一緒ですね(笑)

そうそう、一緒ですね。それに、当時の他のクイズ番組って、解答者の人数はせいぜい4~5人だったじゃないですか。でも『平成教育』は学校の教室をイメージして、ちょっとガヤガヤした感じを出すためにレギュラーでも12人、スペシャルだと16人もいたので、余計に大変だったようです。裏でスタッフが物を落として音を出しちゃったり、ミスって「違うよ!」って怒鳴る声がしたら、たけしさんが「裏がなんかうるさいですね」「スタッフがもめてますよ」って言うことも結構ありました(笑)

長時間のフィナーレで無言だったたけし&逸見

――そんな裏の大変さの中で、番組がスタートして1年たたないうちに『1億2000万人の平成教育テレビ』(92年7月)という、現在の『27時間テレビ』のメインでやることになったのは、すごいですよね。

やはり、たけしさんと逸見(政孝)さんという2人の存在が大きいと思うんですが、世間的にも始まってすぐ話題になって、視聴率もお化けみたいに取っていたので、フジテレビの王(東順プロデューサー)さんのチームで「『平成教育委員会』をベースに使ってやってみよう」となったと聞いています。系列地方局の女子アナの皆さんがフジテレビに集まって問題を解くコーナーがあったのですが、イーストの社員が女子アナの横に座って画面に思い切り映って、オペレーションの説明をしながら放送するという、今では考えられない光景が24時間随所にあったのを覚えてますね。

――92年の視聴率は全平均で19.0%(ビデオリサーチ調べ・関東地区)と、驚異的な数字を記録しました。

お2人は総合司会でずっと出続けていて、本当に大変だったと思うんですが、最後のエンディングで紙吹雪が舞い、スタジオ中が拍手に包まれてスタッフロールが流れる中、たけしさんも逸見さんも無言で、それが1分くらい続いて番組が終わったんですよ。普通、テレビってなんか言いたくなるし、しゃべりたくなるはずなんですが、放送前から打ち合わせも含めて、やり遂げた表情、疲れと安堵感というのを感じて、すこし目が潤んでいるようにも見えました。あんなシーンは、その後も含めてテレビでは見たことないんですけど、すごいなぁという思いと感動がありました。