2019年4月30日に幕を下ろす「平成」。マイナビニュースでは、「平成」の中で生み出されたエンタメの軌跡をさまざまなテーマからたどる。この「平成を駆け抜けた番組たち」は、平成の幕開けと同じ時期にスタートし、現在まで30年にわたって続く番組をピックアップ。そのキーマンのインタビューを通して、番組の人気の秘密を探っていく。

第6回は、平成が始まる1年半前の昭和62年(1987)年7月にスタートした、フジテレビ系大型バラエティ特番『FNS27時間テレビ』(第1回は『FNSスーパースペシャル 一億人のテレビ夢列島』)。タイトル・テーマを変えて回を重ね、昨年より従来の生放送から全編事前収録というスタイルに大きくリニューアルしたが、第1回放送から携わってきたスタッフは、この変遷をどう見ているのか。伝説のバラエティ番組『オレたちひょうきん族』の“ひょうきんディレクターズ”の1人としても知られる三宅恵介氏に振り返ってもらった――。

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    三宅恵介
    1949年生まれ、東京都出身。慶應義塾大学卒業後、71年にフジポニーに入社し、機構改革に伴い80年フジテレビジョンに転籍。『テレビ夢列島』『FNSの日』『FNS27時間テレビ』のほかには、『スター千一夜』『欽ちゃんのドンとやってみよう!』『笑ってる場合ですよ!』『オレたちひょうきん族』『ライオンのいただきます』『ライオンのごきげんよう』『タケちゃんの思わず笑ってしまいました』『心はロンリー気持ちは「…」』『あっぱれさんま大先生』『タモリ・たけし・さんまBIG3!世紀のゴルフマッチ』『たけし・さんまの有名人の集まる店』『明石家マンション物語』などを担当。現在は『はやく起きた朝は…』『明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー』に加え、『ビートたけしのオワラボ』で監修。千代田企画代表取締役、日本大学芸術学部放送学科非常勤講師も務める。

「テレビってこういうもんなんだ」を実感

――今年で32回目となる『FNS27時間テレビ』ですが、どういった経緯で立ち上がったのでしょうか?

最初は当時24局あったFNS(フジネットワーク)の系列局で1つの番組を共有しようということだったんですよ。それによってFNSを強化しようということと、地方局の皆さんの制作力向上という裏テーマもあって、当時勢いのあった『笑っていいとも!』と『オレたちひょうきん族』の横澤(彪プロデューサー)班のチームで、日テレさんのチャリティーに対して、こっちはお祭りをやろうというのがスタートなんですね。第1回はタモリさんと(明石家)さんまさんの司会で「夢家族」をテーマに、所(ジョージ)さんや(片岡)鶴太郎さんが24時間で全国の家族を回って、お土産を持って東京のスタジオに帰ってくるという、24時間のドキュメントですよね。

――第1回のとき、三宅さんはどのように携わっていたのですか?

スタジオのチーフのディレクターをやってました。最初は疲れたら代わろうって言ってたんだけど、結局全部やれってなって(笑)。他にも中継担当や、それぞれのコーナーの担当でディレクターは5人いて、去年亡くなった星野(淳一郎)くんがチーフADでしたね。生放送中にある問題が発生して、横澤さんに言われた俺が星野くんにCMに行くかどうかを相談したのを覚えてます。CMの過剰感を減らすためにCGを使った提供表示を入れたり、スポンサーの読み上げをどう扱うか悩んで最後に新人アナウンサーに生で読ませたり、そうやっていろんな制約をみんなで乗り越えて、新しい大きな特番ができたんですね。

――これまでの長い歴史の中で、印象に残っていることは何でしょうか?

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第1回総合司会のタモリ(左)と明石家さんま

1回目は、「テレビってこういうもんなんだ」というのをあらためて実感しました。鶴太郎さんが九州のほうの島に行ったんですけど、台風が来ていて、当時は携帯電話がなかったから、船が出るか出ないのか分からない状況だったんです。でも、船に乗れたらそのあと飛行機に乗って夜の6時くらいに羽田に着いて、そこから(当時のフジテレビ社屋の)河田町に戻ってくるという段取りだったので、鶴太郎さんが着くかどうか分からないけど、羽田に中継車を出して待ってたんですよ。映像としては何も動かない、何も起きない状況で、それを見ながらタモリさんとさんまさんがしゃべっていたんですが、その時の視聴率は30%くらいとってるんです。だから、テレビというのは何が起きるんだろうというドキュメンタリーが大事な要素なんだと思いましたね。ジャンルは全く違いますが、あさま山荘事件やよど号ハイジャック事件が、生中継ですごい視聴率をとったことに通じるものがありますよね。

――第1回の全平均視聴率19.9%(87年7月18日21:00~19日20:54、ビデオリサーチ調べ・関東地区)は、日テレの『24時間テレビ』も超えたことがない驚異的な数字です。

われわれ制作スタッフだけじゃなく、営業も24時間分のCM枠をどうやって売ろうかと頑張ったり、一度に全局と中継できないのをどう解決しようかと技術スタッフが取り組んだりと、みんなが今までやったことのない新しいことをやろうという思った結果が、この数字になったんだろうと思います。それで、視聴率とれたからまたやろうってなった(笑)

タモリ・たけしが同じことを言った

――初期の名物といえば、タモリさん、ビートたけしさん、明石家さんまさんの「BIG3」ですよね。

1回目の時、たけしさんはフライデー事件で謹慎中だったんですが、復帰するにはこの番組がいいきっかけだということになって、本人もコソッと出たいと言うから、夜中に登場して、タモリさんとさんまさんとトークしてもらったんです。夜中の1時くらいでしたが、それも20%くらいとったんですよね。そこから、BIG3が恒例になって、お正月にゴルフをやったり、この番組では「車庫入れ」をやるようになったんです。

――さんまさんの愛車・レンジローバーを、たけしさんが車庫入れしようとしてぶつけるコーナーですね(笑)

最初は、逸見(政孝)さんの進行で、3人がさんまさんの新しいゴルフクラブを試してみるというコーナーだったんです。その頃さんまさんが車の免許をとったばかりだったんで、その話をたけしさんにしたら「駐車場にブロック塀で車庫を作って、バックで車庫入れやらせたら、まだ運転下手だからぶつけて壊れるだろ」と言ったんですよ。タモリさんにも、さんまさんが免許とったって話をしたら、同じことを言ったんです。この2人が同じことを言うんだから、これは絶対やろうと思ったんですが、そこからさんまさんにどう伝えるかという問題がありますよね。

――愛車が危機にさらされるわけですから(笑)

われわれのバラエティの作り方としては、「車庫入れをやるので、車を傷つけてください」と台本に書くと面白くなくなるので、それはできないんです。そこで、としまえんで『あっぱれさんま大先生』のロケが終わった後の駐車場で打ち合わせして、レンジローバーの前で「BIG3でゴルフのコーナーをやります。さんまさん、免許取りましたよね? この車がもし傷ついたら嫌ですよね。でも、傷ついて笑いがとれたら、どうしますか?」って聞いたら、「うーん…」って考えて「笑いがとれたらええわ」って。

――さすが!(笑)

逸見さんにはゴルフをやった後に、3人を外に連れ出すように持っていってくれと伝えていたんですけど、うまくやってくれて、たけしさんが乗ってボコボコにして、タモリさんはちゃんと入れる(笑)。次の年は、タモリさんに促されたさんまさんがたけしさんに仕返ししようとするんだけど、結局返り討ちにあって、その後も、BIG3は「今年はさんまさんのレンジローバーがどうなるか」という名物コーナーになったんです。

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    BIG3さんま車庫入れ企画など、1996年まで放送されたフジテレビ河田町旧社屋(1988年撮影) (C)フジテレビ

――当時、視聴者からのクレームがすごかったと聞いたことがありますが…。

今ほどではなかったですね。当たり前ですが、修理代は全部フジテレビが持ちますから。でも、当時レンジローバーは日本でまだ今ほど普及してなかったんですけど、破壊されたら急に売れだしたそうです。それで、さんまさんはイギリスの本社に招待されたんですよ(笑)。結局行けなかったそうですけどね。