FXの大相場の数々を目撃してきたマネックス証券、マネックス・ユニバーシティ FX学長の吉田恒氏がお届けする「そうだったのか! FX大相場の真実」。今回は「ソロス・チャート」を解説します。

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「100年に一度の危機」が続く中で、2008年12月に政策金利をほぼゼロまで引き下げ、ついに伝統的な金融緩和の限界に達したFRBは、2009年3月に、QE(量的緩和)という非伝統的金融緩和に踏み出しました。これは、FRBが長期国債などを購入することで資金供給を拡大する政策です。

それを、かつて「ヘリコプター・ベン」と呼ばれたベン・バーナンキFRB議長が、まさに「ヘリコプターからお金をばらまく」ように、大規模に実施する中で、最高値から半分以下まで下落していたNYダウもついに大底を打ったのでした。ただし、それにより米ドル資金が大量にあふれ、為替相場に影響する可能性があったのです。

バーナンキ緩和が招いた日本経済「新たな難問」

この頃、相場の先導役的存在とされていたヘッジファンドが、この米ドル資金の急拡大に注目しているといった見方が囁かれていました。ヘッジファンドは、日米のベースマネー比率と米ドル/円の関係に注目、米ドル/円の急落が広がる可能性があることから米ドル売り・円買いを虎視眈々と狙っているようだ―――といった具合に。

ベースマネーとは、マネタリーベースとも呼ばれ、中央銀行が供給する資金のことを言います。そして、ヘッジファンドが米ドル/円との関係で注目した日米ベースマネー比率は、かつて「ヘッジファンドの帝王」とされたジョージ・ソロス氏の名前から「ソロス・チャート」と呼ばれていました。

  • 【図表】「ソロス・チャート」日米ベースマネー比率と米ドル/円 (1987~2011年)(出所:リフィニティブ・データよりマネックス証券が作成)

    【図表】「ソロス・チャート」日米ベースマネー比率と米ドル/円 (1987~2011年)(出所:リフィニティブ・データよりマネックス証券が作成)

QEを大規模に実施することで、米国のベースマネーはリーマン・ショック後の3年でざっと3倍に激増しました。この結果、日米のベースマネー比率でもとめた「ソロス・チャート」は1米ドル=70円を超えるほどの大幅な米ドル安・円高に向かってもおかしくないということを示唆していたのです。

こういった中で、NYダウが2009年3月に底を打ち、リーマン・ショックから始まった「100年に一度の危機」における世界的な株安が反転に向かっても、米ドル/円は下落継続となったのです。米ドル/円はごく短期間1米ドル=100円を回復しただけで、その後は2009年末までに90円割れ、さらに2010年に入ると、1995年に記録した80円という円の戦後最高値(米ドル最安値)を目指す動きとなったのです。

振り返ると、2007年の1米ドル=124円から、2009年末の時点で米ドル/円は84円まで、すでに40円も下落(米ドル安・円高)となり、そして上述のように米ドルから見ると戦後最安値、円から見ると戦後最高値が視界に入ってきました。

ちなみに、1995年に1米ドル=100円を超えて80円まで進んだ米ドル安・円高は、100円を超えた円高といった意味で「超円高」と呼ばれました。その意味では、リーマン・ショック後も、まさに「超円高」再燃となっていたのです。

こうなると、さすがにマスコミの注目も高まり、日本の輸出企業に打撃を与える可能性のある「超円高」阻止への日本政府の行動が関心を集めるようになりました。ただし、止まらない米ドル安・円高の一因は、「100年に一度の危機」から脱出するための、QEという米国の大規模な金融緩和による米ドル下落ということなら、それを果たして日本だけで止めることはできるのか。

そのような懐疑的見方もある中で、日本政府は円高阻止のための米ドル買い・円売りの為替市場介入になかなか動きませんでした。そんな日本政府が、ついにこの局面で初めての円売り介入に動いたのは、いよいよ米ドル/円が1米ドル=80円といった円の戦後最高値に急接近した2010年9月15日のことでした。

偶然か意識的かはわかりませんが、それはまさにあのリーマン・ブラザーズが突然の経営破綻した2008年9月15日から丸2年たった日でした。リーマン・ショックから2年過ぎ、「100年に一度の危機」から何とか脱出できそうになってきた一方で、日本経済には「超円高との闘い」といった新たな難問が浮上していることを象徴的に示したエピソードだったかもしれません。