FXの大相場の数々を目撃してきたマネックス証券、マネックス・ユニバーシティ FX学長の吉田恒氏がお届けする「そうだったのか! FX大相場の真実」。今回は「QE(量的緩和政策)」を解説します。

前回の話はこちら

今までの話はこちら

リーマン・ショックから始まった、1930年代の大恐慌以来の「100年に一度の危機」。この危機からの脱出において、なかなか希望を持てなかったのは、世界一の経済大国である米国を始めとした先進国に政策余力がほとんどなくなっていたことが大きかったでしょう。何かやろうにも、何もできない。政策金利もゼロになり、これ以上の利下げもできないなら、どうなってしまうんだろうという感じだったと思います。

しかし結果的には、米国株の指標であるNYダウはそんな絶望の中でも、2009年3月に大底を打ちました。それは、米国の中央銀行であるFRB(米連邦準備制度理事会)がQE(量的緩和政策)に踏み出したタイミングと重なったのです。

  • 【図表】信用バブル崩壊局面のNYダウ(2007~2009年)(出所:リフィニティブ・データよりマネックス証券が作成)

「非伝統的」金融緩和、QEの本格化

伝統的金融政策、非伝統的金融政策といった言い方があります。「伝統的」とは、基本的には政策金利を上げたり下げたりする政策です。これに対して「非伝統的」とは、政策金利がゼロになり、さらなる利下げが事実上できなくなったところで行う金融緩和といった意味になります。

それでも株安に歯止めはかからず、年が明けると株安が再燃。NYダウは最高値の1万4,000ドルから、ついに7,000ドルも割り込み、半分以下になってしまいました。

こういった中で、2009年3月、FRBが決めたのが、長期国債を購入し大量に資金供給を行う、QEという「非伝統的」金融緩和策だったのです。ちなみに、この量的緩和の決定は、日本が先輩でした。ゼロ金利も、そして非伝統的金融緩和も、デフレからの脱却を目指した日本の中央銀行である日銀がFRBより早く実行しました。

ところで、日銀の量的緩和策は中途半端として批判したのが、ベン・バーナンキ氏です。そしてそのバーナンキ氏がFRB議長として、この2009年3月に、非伝統的金融緩和策のQEを決め、結果的にはそのタイミングでNYダウは6,500ドルで底を打ち、反発に向かうところとなったのです。

バーナンキ議長は、2002年に、日銀の量的緩和策を批判する文脈で、「ヘリコプターからお札をばらまけばいい」と発言したことから、「ヘリコプター・ベン」のあだ名で呼ばれるようになりました。

そんな「ヘリコプター・ベン」議長が率いるFRBが、本格的なQEという非伝統的金融緩和策に踏み出し、結果的にはこのQEは第三次まで行われることとなるわけですが、その中で米国を含む世界的な株価下落は終わり、「100年に一度の危機」からの脱出が始まっていったのです。

バーナンキ議長に対しては、2007年からの信用バブル崩壊、世界金融危機への対応が後手に回ったといった批判もあります。しかし、かつて自らが中途半端と批判した日銀の金融政策を反面教師にしたような本格的な量的緩和策などにより、絶望的な状況の中で危機からの脱出を誘導した点はやはり評価されるものでしょう。

ちなみに、「アベノミクス編」で書いたように、このバーナンキ議長と同様、中途半端な日銀を反面教師にしようという思いがあったかもしれないのが、アベノミクスの主役の一人、日銀の黒田総裁でしょう。この黒田総裁の金融緩和は、やはり「黒田バズーカ」とも呼ばれた本格的な量的緩和でした。

黒田総裁は、日銀総裁就任直後にバーナンキ議長を訪問し、「フォロー・ユー(私はあなたについていく)」と語ったといった話もありました。だからこそ、黒田総裁のことを米ウォール・ストリート・ジャーナル紙は「日本のバーナンキ」と評したのです。

このように、「100年に一度の危機」といった絶望の中でも、新興国の台頭や先進国の「非伝統的」政策などにより、危機からの脱出が始まったわけです。ただし、非伝統的金融緩和のQEは米ドル/円にも大きな影響を及ぼす可能性があったのです。