最北端から最南端まで行ってみることにした

宗谷岬と稚内に行って、そのあと礼文島に行こうかと思っていた。礼文島(れぶんとう)は緯度的には最北端でないけれど、"最北限"を名乗っているし(詳細な定義は不明)、それ以前にやはり日本の端であることには違いないから。

しかし、ちょっと考えた。せっかく最北端の地にいるんだから、いっそ最南端の地までグーンと行ってしまおうか、と。そもそもこの旅、出発の何日か前までは、羽田‐稚内のチケットしか押さえていなかった。直前になっての思いつきという安易な発想で、最北端・宗谷岬から最南端・波照間島へ飛んでみることにしたのである。だからとくに綿密な計画もなく、いってみれば勢いでの日本列島南北縦断となった。

所用の関係で東京に帰る日は決めていたから、陸路と海路を伝っていくのでは時間がかかりすぎる。となると、利用はやっぱり飛行機。ただし、稚内から波照間島まで直行便なんてないから、必然的に経由が、それも何カ所もの寄り道が必要になる。以前は飛行機野郎の憧れだった札幌‐那覇という長距離国内線をJALが飛ばしていたけれど(僕も乗ったことがある)、それもいまはないから、現実的に考えれば、利便性が高いのはどうしても羽田経由になる。

ひとつ、問題がある。宗谷岬へ行ったその日に、波照間島まで公共交通機関でたどり着くのは所詮ムリだということだ。前夜に宗谷岬入りして一泊し、早朝7時4分発の始発バスで稚内市内に戻る行程でも、なんとか22時前後に那覇へ着くのが精一杯。那覇から波照間までもまだ400km超あって、いったん石垣島に飛び(約1時間)、空港から港に移動して(20~30分)、そこから揺れが激しい高速船に乗船(約1時間)……と、実に遠い。どうせその日にたどり着けないのだから、そこまで急ぐ必要もない。なにせ日本列島を南北に飛び越える、およそ3,000kmもの道のりなのだから。

そこで今回は、「移動中、北海道と沖縄以外では宿泊しない」という制約だけを課して、札幌と石垣でそれぞれ1泊し、3日目に波照間入りすることにした。いくら羽田を経由するといっても、東京になんぞ泊まろうものならまるでいったん帰宅するみたいだから、さすがに旅情も已んでしまう。それだけは避けたかったので、羽田空港からは一歩も外に出ず、そのまま石垣行きに乗り継ぐ行程をチョイスした。

稚内駅前バスターミナルから、札幌行きの高速バスに乗車した。札幌・大通バスセンターまで5時間半弱。特急列車でも5時間近くかかるのだから、実のところ時間的にはあまり変わらない。ともかく到着後は、すすきのへ繰り出して……

僕が選んだルートは、宗谷岬から稚内に戻ったらまず高速バスで札幌まで行く。札幌で1泊し、2日目朝、新千歳から羽田行きに搭乗。羽田で乗り換えて、夕方に石垣へ到着する。石垣でもう1泊して、3日目の朝、高速船で波照間へ向かう……という感じ。宗谷岬から波照間島まで、2泊の睡眠時間も含めて42時間強の行程だ。

前回書いたように、宗谷岬をバスで発ったのは1月26日のもう夕方に近い、15時9分のこと。16時頃に駅前バスターミナルに着いて、16時50分発の札幌行き高速バスに乗った。5時間くらいで着くJR特急・スーパー宗谷4号(16時51分発)を利用するテもあって、いつもなら僕はそっちを選んだのだろうけれど、今回はちょっと気が変わり、バスをチョイス。ちなみに料金は、バスが片道6,000円で、スーパー宗谷は自由席利用で9,660円(指定席10,170円)と、やっぱりバスのほうが相当に安い。

バスは真っ白く凍結した道を快調に走行。途中2カ所の休憩を挟んで、22時10分、札幌の大通バスセンター到着した。宿にチェックイン後、すすきのへ出てサッポロビールで軽く一杯やり、ラーメンで温まった。札幌ラーメンは、やっぱり厳冬期がいちばんうまいなぁと思う。

翌朝、新千歳空港へ。宿がすすきのの近くだったので、わざわざ札幌駅まで出て電車で行くのもメンドウだったから、空港直通のバスに乗ってみた。8時半すぎにバスに乗って、空港着は9時41分。白い大地ともまもなくお別れである。

新千歳空港へ向かうバスの窓から、豊平川の真っ白な河原で犬の散歩をする人たちを見る。バスは1時間とちょっとで空港に到着。ロビーには花畑牧場の生キャラメルツリーがデーンと立っていた

10時45分発のJAL508便で一路羽田へ。苫小牧の街と港がすぐ下に見える。最北端からたどってきた北の大地とも、これでお別れ。めざすは最南端の島だ

福島県上空から那須の峰々を越えると、だだっ広い関東平野が眼に飛び込んできた。暖かくてかすんでいたけれど、平野の果てに富士の頭がのぞいている。羽田着陸はもうすぐだ

羽田で乗り継ぎ石垣でもう1泊

12時半頃、羽田空港に着陸した。機を降りると、乗り継ぎ便の手書きの案内が目の前にある。僕が乗る石垣行きJTA73便の案内ももちろんあった。石垣行きの出発時刻は13時35分。1時間ほどある。ゲート内には「味の時計台」もあるけれど、札幌帰りの僕は目もくれず、石垣便が出る5番搭乗口へ直行した。

この日のJTA73便は、満席のアナウンス。搭乗するとたしかにギッシリで、窓際の僕の隣にも前後にもツアー客の賑やかなおばさんたちが乗り込んできた。羽田から石垣までのフライトはおよそ3時間半。国内線では最長クラスのおつきあいである。離陸が25分遅れ、その分到着も遅れたので、雨に濡れる石垣空港に着陸したときは、もう17時半になっていた。ともあれここまでくれば、最南端・波照間島まではあとわずかだ。

さっきまで氷点下の雪の大地にいたのに、これから行く先は気温21度。いやはや日本列島は長い。晴れていたのは東京付近だけで、フライトのほとんどは雲の上だったけれど、離陸してすぐの三浦半島はクッキリ

フライトも後半に入り、先島諸島上空にかかるとかなりの揺れ。やがて着陸した石垣島は雨雲に覆われていた。それでも気温は19度あったから、長袖Tシャツ一枚でも大丈夫な感じ

石垣の離島ターミナル(波照間などの島々へ向かう船が出入りする港)近くの宿に一泊。前夜が札幌ラーメンとサッポロビールなら、この日は八重山そばとオリオンビール(と、泡盛)。札幌を朝出て夕方石垣到着ということで気疲れがあったのか、あるいは歳のせいか。ともかくこの晩も軽く済ませ、明朝に備えて早く床に就いた。

宗谷岬を出て3日目の朝、日付でいえば1月28日。7時40分頃に宿をチェックアウトして、歩いて5分ほどの離島ターミナルに向かう。日の出が遅いから、辺りはまだ薄暗さが空気の中に漂っている。これまで波照間に渡ったときは、いつも波照間海運の高速船「ニューはてるま」だった。今回は趣を変え、安栄観光の高速船「あんえい号」をチョイスした。デッキに乗り、まだ早朝の黄色がかった光の色が残る中、午前8時半、出航。気温はすでに20度まで上がり、天気も最高で、石西礁湖(石垣島と西表島の間に広がる巨大なサンゴ礁海域)に浮かぶ八重山の島がどれもこれもすばらしいコンディションで望めた。

兵庫県は明石に標準時の基準が設けられている国だから、はるか西のこの島では日の出がかなり遅い。7時48分というのに、ようやく離島ターミナルの向こうから太陽が顔をのぞかせたところ

「あんえい号」は「ニューはてるま」より船体が小さい。晴れて暖かい日ならデッキで過ごすのも爽快。ただしエンジン音は実に騒々しい。この日、港には日本最西端の与那国島に行く「フェリーよなくに」も停泊していた

「あんえい号」が、波しぶきを巻き上げながら石垣島から遠ざかっていく。出航してものの10分で平べったい竹富島のすぐ脇を通り、続いて小浜島や西表島、黒島、新城島と八重山の島々が見えてくる

石垣‐波照間航路は石西礁湖から外洋へ出たところで揺れる。少しでも波があると、デッキに立っているのが怖いくらいになる。この日は実に穏やかで、揺れもそれほどではなく、定刻どおり1時間で有人日本最南端の島・波照間島の港にすべり込んだ(波照間島の詳細については本連載第9~11回を参照してください)。

港に着くと、この滞在でお世話になる「素泊まりハウス 美波」の奥さんが迎えに来ていた。この宿には以前にも泊まったことがあって、ひさびさの再訪だった。奥さんはこの翌週から札幌へ雪まつりに行くのだと、半分ウキウキ顔、(寒いので)半分心配顔をしていらした。 「美波」は、現時点では日本最南端の宿であると思われる。ただし近くに新しい宿が建設中で、完成するとそちらのほうが南になるかもしれない。宿に着いて荷物を置いたあと、1時間くらい奥さんとゆんたく(おしゃべり)をしてから、最南端に向けて自転車をこぎ出した。

石垣を出航してほぼ1時間、潮を浴びて見えづらい窓の向こうに波照間島の姿が近づいてきた。右の写真は波照間の港。日本最南端の港である。すばらしく青い空は、一般の日本人が日本国の陸地で体験できるいちばん南の空だ

港から坂を上って集落を抜け、さらに島の最南端をめざす。途中で日本最南端空港・波照間空港に寄り道した。滑走路は800m。かつて定期便が運航していたが、いまはない。そばでは牛や山羊が草をはんでいる

途中で波照間空港に寄り道し、星空観測センターにも寄って(ここで「日本最南端の証」をゲットできる)、午前11時半すぎ、有人日本最南端の地・高那崎へ到着した。宗谷岬を出てから、すでに44時間を経過していた。

さすがに最南端ということで、平日のこの日でも人はポツリポツリとやってくる。しかし辺りは店も何もないから、とにかく静かで、海の音と風の音しか聞こえない。

時は正午に近く、最南端の地から太陽の方向を仰ぐには絶好の時刻。ただし……ひとつ気をつけなければならない。それは、日本標準時の地・明石からはるか南西に位置するこの島では、太陽の南中時刻が正午よりかなり遅れて1時近くになるということだ。これを忘れていると、"南"の方角を間違うことになる。

ともあれ、最北端の地からスノーシューズを履いたまま最南端の地までやってきた僕は、1月とは思えぬ強烈な陽射しと暖かな風の中、しばし何も考えずに寝っ転がった。 一般の日本人が行くことのできるいちばん北からいちばん南へ、わずか数日で駆け抜けてきた。そのこと自体には、一種のすがすがしさはやはりある。だけれども、波照間島のさらに南には沖ノ鳥島があるし、納沙布岬のさらに東には南鳥島があるし、そして宗谷岬のさらに北にも択捉島がある。それを思うと、本質的に感じるのは手放しの達成感ではなく、やりきれない物足りなさでもある。 もっと北へ、もっと東へ、もっと南へ。波照間の南の海が、その南から照らす太陽の光で美しく輝いていた。

そして、「日本最南端之碑」に到着。この碑の指し示す方向が南であるからして、碑の先、高那崎が崖となって海に落ち込むところまで陸地があるということは誰でもすぐにわかる。崖の際まで歩いていく人も多い

波照間島といえば南十字星を思い浮かべる人も多い。訪れた1月末は4~5時頃に上がってくる。縦に長い十字のうち上の3つは見えても、いちばん下の1つは水平線に近いため、見えることはそれほど多くない。この日は1時間半粘ってようやく下の星を拝むことができた

宗谷岬の「日本最北端到着証明」と波照間島の「日本最南端の証」を並べてみた。北緯45度31分から北緯24度2分まで、地球の角度およそ21度を駆け抜けた結果である。ちなみにこの3日間の最大気温差は32度だった

次回は種子島編、「日本の端、宇宙の架け橋」をお送りします。