バスの間のせわしい30分

「写真、トリマセンカ」。たどたどしい日本語で、背後からそう声をかけられた。最北端、宗谷岬での話である。振り返ると、中国の方とおぼしき40歳前後の男性が立っている。べつにキャッチセールスではない。一人旅の者同士。彼の発案により、まず僕が「日本最北端の地」碑をバックに僕のカメラで一枚撮ってもらう。続いて彼のカメラで、やはり碑をバックに彼の写真をパチリ。

時は2009年1月26日。今年はこの日が旧正月、つまり中国風にいえば春節だ。「私、台湾から春節休暇できました」。思わず新年の挨拶が口をついて出る。彼もニッコリ笑って、「あけましておめでとうございます」。……しかし日本なんて広いようでいて狭いもんだ。最北端のこの地に、最西端の島のさらに西から、日本列島のすべてを飛び越えひょいとやってくる。べつに何も不思議なことではないのに、なんだか不思議な気がしてならなかった。

夏季はいざ知らず、この季節に日本最北端の地へ向かう路線バスは、実はけっこう不便である。稚内の駅前バスターミナルを朝8時10分に出る便は9時に宗谷岬へ到着して、折り返しの稚内行きが9時34分宗谷岬発。13時45分稚内発は14時35分宗谷岬着で、15時9分宗谷岬発。その次の便は宗谷岬に着くのが17時10分ともうバリバリの夕方、しかも34分には折り返しが出る……というように、いずれの便も宗谷岬で過ごせる時間は30分前後しかない。

稚内駅から歩いてすぐの宗谷バス・稚内駅前バスターミナル。晴れると、青空と白く凍結した道にオレンジ色の建物がよく映える。宗谷岬行きのバスはここから出発

しかもこの季節、さらに次のバスまで1本飛ばして宗谷岬で3時間から6時間も待機するのは、あまり快適なものでもない。だいたい、店は多くが閉まっている。外はもちろん、寒い。となると、やはりバスを使った観光客は、稚内へとんぼ返りする人が多くなる。必然的に、宗谷岬にいる30分前後の時間は、みんな早足で一所懸命観光する。

先ほど出会った台湾の方とも、そういう事情により、岬周辺ではその後ほとんど会話なしだった。しかしもちろん、稚内へ向かう帰りのバスは一緒。そこで話の続きが始まった。彼は稚内駅まで戻ったあと、特急列車で札幌へ向かうと言っていた。

北緯45度31分14秒、宗谷岬の「日本最北端の地」碑。その向こうに広がる海はサハリンへと続く。碑の裏に回って「最北端の碑のさらに北にいるぜ!」という感動を味わってみる人もけっこう多い

帰りのバスの話になってしまったが、宗谷岬に話題を戻そう。与那国島の最西端は、港のある集落から坂を上がっていった岬の上。カジキのオブジェや公衆トイレ、東屋、遊歩道はあるけれど、人が住むような場所じゃない。波照間島の最南端の地は、人が住む場所からもっと離れて、周囲にある建物は星空観測タワーくらい。周囲といっても歩くとちょっとかかる。

それに比べて、北海道にある事実上最北端の宗谷岬と、南鳥島や北方領土を除く"本土最東端"の納沙布岬は、人も多く、店も多い。とくに夏場は賑わっていて、言い方を換えれば相当に観光地化されている。さいはて感なるものを求めてくると、ちょっとがっかりすることもあるかもしれない。

最北端の地碑の近くにある土産物店。択捉島のいちばん北に土産物店はないだろうから、ここが日本最北端の土産物店であることはたぶん間違いないだろうと思う。最北端到達証明書を100円で発行していて、多くの人が買っていく

とはいいながらも、やはり宗谷岬は一般の日本国民がたどり着ける日本でいちばん北の土地であるからして、"端っこフリーク"ならずとも、さいはてのロマンをかき立てられる場所なのだ。稚内からのバスが着くと、左手にはもう最北端の地碑が見えている。その奥は、サハリン(樺太)との間に横たわる海だ。バスから降りた人々はみな最北端の地碑へ向かって、記念撮影をする。僕が乗ったバスにも10人以上の客がいたから、碑の周辺で他の誰かが入らないように写真を撮るには、しばらくの順番待ちになる。

宗谷岬周辺には"日本最北端"なものが当然のごとくいろいろある。写真は日本最北端の公衆トイレと、日本最北端のガソリンスタンド。給油すると日本最北端給油証明書をもらえるらしい。ほかにも"最北端"を名乗る店はいくつもある

最北端の地碑の真向かいには宗谷岬展望台なる建物があるが、冬季は閉まっている。この前の道を登っていくと、丘の上にもっと見晴らしのいい「大岬旧海軍望楼」がある。ただし冬は途中の坂に雪が積もっていて登りにくい

宗谷岬のバス停に立つ、バス時刻表。稚内からの日帰りに使えるのは1便を除く3便のみだ。駅前バスターミナルからは所要時間50分と、けっこう遠い。料金は片道1,350円、往復券で2,430円也

最北端の地のさらに北は

碑のすぐ左には間宮林蔵の像が立っている。ご存じの方は多いと思うけれど、間宮林蔵は江戸時代の探検家で、樺太が島である事実を日本にもたらした人物。樺太とユーラシア大陸の間のタタール海峡には、間宮海峡という別名がついた。彼は宗谷岬から樺太探検に旅立ったが、出発地は最北端の碑があるこの辺りではなく、稚内側に車で何分か寄った海岸だ。稚内から宗谷岬に着く直前、バスの左側の車窓に「間宮林蔵渡樺の地」という看板と碑が見える。

さて、間宮林蔵の像の背後に、小さな岩礁の姿を望める。この岩礁、弁天島という名前で、宗谷岬よりも若干北の海に浮かんでいるから、実はこの島が本当の日本最北端ということになる(もちろん択捉島を除いて)。ただし島といっても見た目どおりの岩の塊だし、渡る手段といえば漁船をチャーターするくらいしかない(時期によってはツアーを催行する宿もあるらしい)。

最北端の地碑のそばに立つ間宮林蔵像。右奥には弁天島の姿が見える。1808(文化5)年、宗谷岬のすぐ近くから樺太に渡った林蔵は樺太を北上して探検。翌年、2度目の探検で樺太が島であることを確認した

海の向こうにロシアを見つめる国境の灯台、宗谷岬灯台。日本最北端の灯台である。初点灯は1885(明治18)年で、現在の姿に改築されたのは1954(昭和29)年のこと

実は宗谷岬よりも北、北緯45度31分25秒の"最北端"に浮かぶ弁天島。島といっても岩礁に近く、当然、無人。ただし多くの海鳥の姿を見ることができる

14時35分着のバスで20年ぶりにやってきた宗谷岬。稚内への帰りは15時9分のバスに乗るか、17時34分発の最終に乗るか迷ったけれど、結局僕も30分程度の駆け足観光で戻ることにした。15時9分のバスが出る頃には、厚い雲に覆われた空がもうかなり暗くなっていて、雪もけっこう降ってきていたから。

20年前は季節は秋だったけれどやはり路線バスできて、それほど長居はせずに帰った記憶がある。今度はもっといい季節に、レンタカーを借りてきてみたいな……とも思うのであった。ちなみに20年前も今回も、宗谷岬の40kmほど先にあるサハリンの大地は見えなかった。 稚内駅前バスターミナルに戻った僕は、その夕方、札幌行きの高速バスに乗ることにした。目指す場所は……そう、あの島である。

こちらは稚内の市街地に程近いノシャップ(野寒布)岬。見える海は日本海だ。条件がよければ海の向こうに秀峰・利尻富士(利尻山)の美しい姿を望める。この日は見えなかったが、そばには利尻富士にそっくりの雪山がつくられていた(たぶん偶然この形になったんだと思うけど)

(左) ノシャップ岬に建つ稚内灯台は、北海道でいちばんの高さを誇る。全国で見ても島根県の日御碕(ひのみさき)灯台に次いで2番目に高い。宗谷岬灯台もこの稚内灯台も「日本の灯台50選」に選ばれている(上) 丘の上には航空自衛隊のレーダーサイト。1983年、サハリン南西方の宗谷海峡上空で発生した大韓航空機撃墜事件の際、ここで大韓機の機影をいち早くキャッチし、ソ連側の交信を傍受した

稚内の西、日本海越しに利尻島と向き合う抜海(ばっかい)港は、冬季にゴマフアザラシが越冬のためにやってくる地として知られる。肉眼でも数え切れないほどのゴマフアザラシを見ることができる

防波堤の消波ブロックに寝っころがるゴマちゃんたちの表情はほんとになごむ。海面からもちょくちょく顔を出し、様子をうかがっている。この日は166頭しかいなかったが(それでもすごい数)、10日ほど前には713頭も集まってきたとのことだった

次回は南北縦断編、最北端から最南端へ、をお送りします。