「人生100年時代」と言えわれる現代。20代でも早いうちから資産形成を進めることが求められています。一方で、どのように投資・資産運用の目利き力を磨いていけばいいのか、悩んでいる方は多いのではないでしょうか。
この連載では、20代の頃から仮想通貨や海外不動産などに投資をし、現在はインドネシアのバリ島でデベロッパー事業を、日本では経営戦略・戦術に関するアドバイザーも行っている中島宏明氏が、投資・資産運用にまつわる知識や実体験、ノウハウ、業界で面白い取り組みをしている人をご紹介します。
今回のテーマは、「ビットコイン普及の歴史とその先」。
世界中の暗号技術者たちがブラッシュアップ
世界で最初の仮想通貨(暗号資産)であるビットコインの歴史は、仮想通貨の歴史そのものであり、普及の歴史でもあります。日本でも何度か注目の集まっているビットコインですが、どのような歴史をたどって今に至るのでしょうか。
ビットコインは、2008年10月31日にサトシ・ナカモトと名乗る人物、あるいはチームが、クリプトグラフィー(暗号技術)メーリングリストに電子通貨ビットコインに関する論文を公表したことがはじまりです。ビットコインは学会論文ではなく、インターネット上の論文から生まれました。
サトシ・ナカモト論文が発表され、2009年に入ると、サトシ・ナカモトによってビットコインコアの初版(バージョン0.1)がリリースされます。これとともにビットコインの運用が開始され、ビットコインネットワークにはだれでも参加できるようになりました。
サトシ・ナカモト論文に賛同した世界のプログラマー(暗号技術者)たちによって、バージョン0.1に改良がなされ、ビットコインは誕生しました。当初のプログラムから、90%以上が改良されたとも言われています。「90%以上の改良」には驚きますが、2009年以来、ビットコインの仕組みは止まることなく稼働し続けていますからすごいことですよね。どんなにマーケティングが巧みでも、肝心なプロダクトがしっかりしていなければどうしようもありません。
ビットコインのロックチェーンのうち、最初のブロックを「ジェネシスブロック」と呼びますが、これを作成したのはサトシ・ナカモトです。ジェネシスブロックの誕生は、2009年1月3日のことで、世界初のビットコインホルダーは、サトシ・ナカモトでした。
そして、同年1月12日には、世界初のビットコイン取引が行われます。サトシ・ナカモトから、プログラマーで暗号化研究の専門家だったハル・フィニー氏へ50BTCが送信(送金)されました。クリプトグラフィーメーリングリストに送られてきたサトシ・ナカモトの論文に最初に興味を持ったフィニー氏が、ビットコインホルダーとなったわけです。
その年の10月5日には、ニューリバティスタンダード(ハンドルネーム)によってビットコインと法定通貨の交換レートが初めて提示されました。このときの価格は、1ドル=1309.03BTCで、ビットコインのマイニングに必要な電気料金から計算された価格でした。
サトシ・ナカモト論文が発表された2008年や翌年2009年の時点では、ビットコインを知る人は世界中でも極わずかで、一部の知る人ぞ知るマイナー通貨だったと言えます。
取引所の開設やビットコイン決済の導入
2010年2月、ビットコインと米ドルを交換するオンライン取引所「ザ・ビットコインマーケット」がアメリカで開設され、ビットコインの売買ができるようになりました。ザ・ビットコインマーケットでの初めての取引は、1BTC=8セントでした。
同年5月22日には、フロリダで世界初のビットコイン決済が成立し話題になります。仮想通貨について議論を交わすためのビットコインフォーラムという掲示板に、エンジニアのラースロー・ハネツ氏が、「ビットコインでピザを買いたい」という投稿を5月18日に行い、その4日後に取引が成立したのです。これは、「ビットコイン・ピザ・デー」として知られる有名なエピソードです。
このときハネツ氏は、約25ドルのピザ2枚を1万BTCで手に入れました。ただし、ピザ屋さんがビットコインの価値を認めたわけではなく、代理購入にすぎません。しかし、この2枚のピザの決済が、ビットコインのさまざまな可能性を示唆したと言えるでしょう。
この年の7月18日には、プログラマーのジェド・マケーレブ氏がビットコイン取引所を開設し、「マウントゴックス」と名付けました。2007年に立ち上げたものの休眠状態にあった、トレーディングカードゲームのカードを売買するオンライン取引所に用いたドメイン名を復活させた形でできた取引所です。その後は、ザ・ビットコインマーケットやマウントゴックス以外にも、世界中で取引所が開設されるようになります。
2011年3月になると、ジェド・マケーレブ氏は東京在住のフランス人プログラマー マルク・カルプレス氏の運営するウェブホスティング運営会社・ティバン社(本拠地:日本)にマウントゴックスを売却します。これによってマウントゴックス社は、日本に本社登記のある会社が運営する最初のビットコイン取引所になりました。2011年の時点では、日本の金融庁による「仮想通貨交換業者」などの許認可は存在しなかったため、特に認可は必要ありませんでした。
同じ月、イギリスでは英国初のビットコイン取引所ブリットコイン(後にIntersangoと改称するが、2012年に閉鎖)が、ブラジルではビットコインブラジルが開設されました。4月に入ると、ビットマーケット・euが開設され、ユーロとズウォティ(ポーランドの通貨)を含む複数の通貨間での取引ができるようになりました(2013年10月末に資金難などを理由に閉鎖)。
「ビットコインや仮想通貨を保有したい」と考えたとき、入手手段としてもっとも身近な存在は取引所でしょうから、世界中で真っ当な取引所が増えていくことはホルダーとして有難いことです。
取引所以外では、2013年10月に、世界初のビットコインATMがカナダのバンクーバーに設置されました。ビットコインATMとは、現金を入金することでビットコインを買うことができる売買に対応した現金自動預払機のことです。2020年9月の段階で、世界71カ国に設置されており、その台数は10000台を超えています。
2014年には、世界中でさまざまな企業がビットコイン決済の導入を発表して話題になりました。同年1月には、アメリカのネット販売大手「オーバーストックドットコム」がビットコイン決済を導入。6月には、オンライン旅行代理店の大手「エクスペディア」がホテル予約でビットコイン決済を導入。7月には、パソコン大手のデルがアメリカ国内でビットコイン決済を導入。9月には、ペイパルがビットコイン決済への対応開始を発表。12月には、マイクロソフト社がアメリカ在住者限定でビットコイン決済の受付けを開始しています。2014年は「ビットコイン決済元年」と呼べるかもしれませんね。
日本では、2016年3月にDMM.comでビットコイン決済が可能になりました。DMM.comは、日本の大手企業でビットコイン決済を導入した最初の企業です。
メディア露出による拡散やルールの整備
最近では、ニュースでビットコインや仮想通貨の話題を見かけることが増えました。2009年の時点では、一部の知る人ぞ知るマイナー通貨だったビットコインですが、2010年以降は注目の機会が増えています。
2010年7月11日には、コンピューター系ニュースを中心に取り扱うアメリカの電子掲示板「スラッシュドット」にビットコインが取り上げられ、一部の人以外の人々にもビットコインの存在が知られることになりました。
2011年4月には、イギリスのタイム誌が「真のデジタルキャッシュ」としてビットコインの特集を組み話題になります。初めて大手メディアに取り上げられたことや、武器などの密売を行っていた闇サイト「シルクロード」における麻薬取引の決済にビットコインが使われたことなどで注目され、同年6月に入ると1BTCが一時31.91米ドルまで上昇しました(2013年10月にFBIによって「シルクロード」は閉鎖)。
闇サイトなどの犯罪で使用されることは、一見するとネガティブ情報ではありますが、視点を変えればビットコイン取引には具体的な需要があることの証でもあり、投資対象としての価値を上げるポジティブな情報であると見なす人々も多数存在したということでしょう。
日本では、2013年12月4日に初めてNHKが番組でビットコイン特集を組みました。この放送や2014年のマウントゴックス事件をきっかけに、多くの日本人がビットコインを知ることになったと言えます。メディアの力は、やはりすごいですね。
一方で、ビットコインや仮想通貨に関するルールの整備も進められました。2015年8月8日には、ニューヨーク州金融局がビットコイン関連事業者のライセンス制度「ビットライセンス」を世界に先駆けて施行しています。これによって、ニューヨーク州でビットコイン関連事業を行うにはライセンスの取得が必要になりました。その審査は極めて厳格かつ煩雑で、多くの仮想通貨関連事業者がニューヨーク州から撤退することになりました。しかし、ビットコインユーザーから見れば、優良事業者の選別が行われたということでもあり、取引に関して安心感が増すことになったとも言えます。
日本では、2017年4月1日に「改正資金決済法」が施行されました。この法律によって、「仮想通貨交換業」が定義され、要件を満たす「仮想通貨交換事業者」は登録が必要とされるようになります。ビットコインや仮想通貨の取引は、金融庁の監督を受けることになりました。ルールができることによって、今まで参入しにくかった企業が業界に参入し、可能性を広げてくれるでしょうから、ルールが整備されることはデメリットばかりではないと私は思います。
社会的ステータスをいかに上げていくかが鍵
取引所の開設や決済導入、ビットコインATMの設置、メディアによる拡散、ルールの整備など、ビットコインはホルダーたちの創意工夫によって普及してきたと言えます。最近では、「ビットコインETF」や「仮想通貨投資信託」などの金融商品化が各国で話題になっています。これらが認可された暁には、取引所以外のチャネルからの流入も増えるでしょう。
業界に従来の金融企業の参入が増加するなか、企業や個人のポートフォリオにビットコインや仮想通貨が当たり前に組み込まれるようになるまでには、どれくらいの期間が必要なのでしょうか。
投資会社オフ・ザ・チェイン・キャピタルの創業者であるブライアン・エスティス氏は、2020年の時点で「10年」と考えているようです。ということは、2030年には当たり前になっているのかもしれません。
エスティス氏は、コインテレグラフのインタビューのなかで「2029年、2030年には米国家庭や人々の90%が仮想通貨やビットコインを利用するようになる。その際には米国経済だけでなく、安定して世界経済の一部になっているだろう」と語っています。
エスティス氏が示す2030年予想の根拠は、S字カーブの分析に基づいています。エスティス氏は、「新技術が0%の普及率から10%に到達するまでにかかる時間は、10%から90%に到達するまでの時間と同じだ」「0から10%の普及率の間は“もしも”である。新技術が10%の普及率に達したら、それは“いつ”になる。パソコン、インターネット、1970年代のファックス、1940年代の洗濯機、1930年代の自動車、1800年代の鉄道、1600年代の海運など、多くの例で全ての同じ普及カーブを描いている」と述べています。
ビットコインに関するポジティブな意見とネガティブな意見は次々に出てきて後を絶ちませんが、私はエスティス氏の意見に賛同しています。イーロン・マスク氏の発言等による2021年のビットコインの価格暴落は、「2018年の冬の再来」と表現されることもありますが、四季は巡ります。四季というよりも「夏と冬」だけの二季と呼ぶ方が相応しいかもしれませんが、また春も夏も来るでしょう。
2030年までに、各国の法整備や国際間の法整備も進むはずです。と同時に、技術革新も進みます。そして、従来の金融企業が業界に参入することで、ビットコインや仮想通貨の信用は上がり、社会的ステータスも向上するでしょう。大切なのは、それまでの間「ビットコインの可能性を信じられるかどうか」です。