今回のテーマは「ラジオ」である。実家を出てからラジオという物を全く聞かなくなってしまった。

実家にいたころは、誇張ではなく本当に24時間という勢いで聞いていた。ただそれは、私がではなく親父殿がである。私も家から出ないことには定評があるが、親父殿の家から出ないっぷりも、なかなかのもので、二人体制で長らく実家を守護してきた。

親父殿はおそらく「音がないと死ぬ病」なのだろう、ラジオは常時つけっぱなし、だがそれだけではまだ死ぬと踏んだのか、テレビもつけていた。

それ絶対、両方の音聞けてねえだろと思うが、これは万物の創生から続く親父あるあるであり、聞いてないと思って消したら、瞬時に要介護度マイナス5兆、という顔になって「聞いてるんだよ! 」と言うやつである。

特に親父殿は敵に戦意を喪失させる天才なため、実家の8割の部屋を己の私物で占拠したり、親父殿が風呂に入らないと他の家族は入れないのになかなか入らないため、最後に入る者が深夜二時になる、など様々な不条理が行われていた関わらず、一度も家族に大きな謀反を起こさせずに諦めさせた実績を持っている。

しかも、親父殿はテレビの部屋にいたが、ラジオは何故かとなりの私がいる部屋に置かれていた。

ふすまは開けられていたが、親父殿からは距離があるため、音が届くようにラジオは常時かなりの音量であった。

正直言ってうるせえのである。

また我が家では、寝る段階でも寝室(ババア殿と兄上と同室)で24時間体制のテレビ上演を行われているという不夜城だったため、私は実家を出てから、無音で電気を消して寝られるという環境に感動すら覚えた。

しかし、ある日夫に言われた「何か音鳴らし続けてるの、お父さんそっくりだな」と。

マジか。

晴天の霹靂とはこのことだった、確かに私は自室で作業中何かしら聞いてはいる、何かしら、というのは大体YouTubuだ。

音楽を聴いていることもあるが、ユーチューバーの配信だったり、とにかく何でもいいからランダムで流している。

しかし、作業中パソコン画面は仕事のソフトを立ち上げているため、画面は見られない、正直動画で何をやっているのか言っているのか全くわからないし、全然聞いてない時もある。つまり何か音だけしてれば良いのである。

完全に私も「音がないと死ぬ病」である。

しかも、夫がそう言いだしたということは少なからず「うるせえ」と思ったからだろう。 それも全く気付いてなかった。自分で気づけないものはワキガだけではなかった、という新発見だ。

つまり、親父殿もあの爆音ラジオに気付いていなかったのか、ということだが、おそらくそんなことはない、一度や二度は他の家族に注意されていたはずである。

ただ、注意されたら、ちょっと音量を下げる、ほとぼりが冷めたころにまた上げる、を繰り返していたのだ。

これも全く私と同じである。

夫と結婚すて8年ぐらい経つが、我々の結婚生活は、夫が私のトイレの使い方の豪快さに苦言を呈す、少し大人しくトイレを使う、また無頼派に戻る、の繰り返しのみと言っても過言ではない。

他にも、毎日ペペロソチーノの食う、夫にお前臭いよと言われる、ミートソースなどに変える、またペペロソを食う、という別バージョンの無限ループもあるが仕組みは大体おなじだ。

親父殿が何故、戦意を喪失させるプロかと言うと、この繰り返しを何度もさせるからである。

そして、今私がその「匠の技」を確実に引き継ごうとしている。

よく夫は、人に「優しいダンナだ」と言われるが、それは優しいというより「諦めて何も言わない」だけのような気がする。

そういう「諦めの配偶者」(進撃の巨人風に読んで欲しい)が、一生我慢だけして生きていくかと言うと、最後の最後で「熟年離婚」というカードを切ってくるケースが多い。 その時こちらは、アホヅラで「えっなんで? 」と言うしかないのである。

ラジオの爆音や便所の汚さにも気づかない人間が、配偶者の心などわかるはずがない。

そう書くと「お前わかってんじゃねえか」と思われるかもしれないが「わからない上に、わかっていても改善できない」のが我々「熟年離婚サレ組」である。

もしかして、親父殿もわかっていたのだろうか。離婚されなくて本当に良かったね、と思う。

筆者プロフィール: カレー沢薫

漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年、文庫版2015年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。「やわらかい。課長起田総司」単行本は全3巻発売中。