漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。

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今回のテーマは「息抜き」である。

マジレスするなら私の息抜きはTwitterとソシャゲ、そして寝ることだ。

しかし、スマホの報告によると私は1日19時間ほどスマホを触っているらしい。

残りの時間を睡眠とすると、私は息抜きしかしておらず、逆に言えば私の人生はいかに息を抜かせないかの戦いと言える。

または、ソシャゲもTwitterも流石に飽きたし眠くもない、という奇跡の瞬間が起こったときだけ仕事をしているので、本業に疲れたときにやっている、という意味では仕事が息抜きと言える。

それに、仕事ほどソシャゲやTwitterの息抜きに最適なものはない。

もうしばらくTwitterの更新音やキタサンブラックの友情トレーニングボイスなんか聞きたくねえよ、と疲弊しきったときでも、少し仕事をするだけで「今すぐ自分の名前でエゴサがしてえ」と一瞬でやる気がみなぎるのだ。

この回復力は正直言って違法なものが入っているとしか思えない。

つまり、仕事はシャブと同じ違法薬物なので、今すぐ法律で禁止すべきである。

まだ私はシャブは少量で、ソシャゲやTwitterなどの健全な活動に生活の大半を費やしているから良いが、この国には最低8時間のシャブに対しての最長1時間の息抜き、という末期中毒者が少なくないというから恐ろしい。

よって、アスリートがちゃんと休息しなければ練習の意味もなくなってしまうように、8時間耐久シャブというある意味8耐に挑むものにとって、休憩の1時間をいかに休むかは非常に重要なことである。

これだけ過酷な耐久レースを完走するなら、土の中で寝るぐらいクオリティの高い休息が必要なはずだ。

しかし、実際はシャブの休憩としてシャブをやるという、更なるエクストリームに挑戦する者が後を絶たないという。

つまり、仕事の休憩時にずっとスマホをいじっているのである、これは気持ち的には息抜きになっても肉体的には全く休息になっていない。

こうなるともはやスポーツではなく登山の域である。

登山界では単独無酸素登頂がそこまで前人未到の偉業ではなくなってきているため、最近、単独無酸素無補給がアツいらしい。

効率的に安全に登るという意識がなく、命懸けでいかにヤバいことを最初に成し遂げるかの世界になっている。

実は私も数年前まで8耐選手であり、他の選手に負けぬよう休憩時にはもちろんスマホをいじり、少しでもタイムを伸ばすために便所に行くときも個室でスマホを触っていた。

しかし、タイムを伸ばそうとするあまり、就業中にも触ってしまい、それが直接原因ではないが、会社という名のレーシングチームから追放されてしまった。

このように、記録や勝ち負けにこだわりすぎると、命や固定給など、もっと大事なものを失いかねないので、今現役選手の人たちは気をつけてほしい。

つまり電子機器で遊ぶのは息抜きの一つだが、体を休めることが目的であるときは遠ざけておいた方が良い。

そこでよく提唱されているのが「スマホを寝床に持っていくな」である。

寝るときにスマホで読み応えのあるウィキペディアを見始めて止まらなくなるというのはよくある話である。

さらにその間、脳や目は酷使され続けているのだ。

寝床にスマホを持ち込むというのは、回復値を減らし、ダメージを増やす行為である。

そんなことをしていたら「起きた瞬間疲れている」という現象は全く不思議ではなく、むしろ必然である。

だが、寝床にスマホを持ち込まない、というのは簡単に見えて実は難しかったりする。

何故なら、携帯普及以前どうやって人と約束したり待ち合わせしていたのかが思い出せないように、スマホを触りながら寝落ち以外の寝る方法をすでに忘れてしまっていたりするからだ。

すでに十分に眠い状態で布団に入るなら良いが、そうでないとき、ノースマホで布団に入ると「暇」という理由でなかなか眠れなかったりする。

スマホという文明の力を手に入れ、我々は進化するどころか、スマホという寝かしつけ役がいないと眠れないという幼児退行を起こしてしまっているのだ。

しかしスマホ以前、どうやって寝ていたかは辛うじて覚えている。

それは「妄想」である、目を閉じて自分に都合の良い妄想をしていると、脳が早く「この気持ちの悪い話を終わらせたい」と思うのか、いつの間にか寝ている。

つまり、スマホはイマジネーションを阻害しているとも言える。

質の良い睡眠と豊かな想像力を取り戻すため、今夜からスマホを捨て、脳内で異世界無双する旅に出かけよう。