漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。

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レビューとは、自分が視聴や使用したものに対し、感想や使用感を書くことである。

私は仕事以外でレビューはあまりしないし、漫画は特にしない。

もし私のレビューを見て万が一でも他人の本が1冊でも売れたら嫌、という一片の曇りもないさもしい理由からだ。

ただし、すでに私ごときが今更ガタガタ言ったところで何も変わらないぐらい売れている作品や、作者が死んでいる作品は別である。

こういう輩が死後「ゴッホ最高」とか言い出すのかもしれない。

また基本的に人を褒めるのが苦手である。

この世に文字を持たない種族がいるように、私は他人を褒める語彙を持たぬ種族なのである。

たまに何があっても謝らない人間がいると思うが、それは謝罪の言葉を持たない種族なので諦めるか「焼けた鉄板の上に正座し頭をつける」など、言葉を用いない謝罪を要求しよう。

また自分がなまじ漫画を描くため、何を読んでも「これを手で描いたなんてすごい」という、漫画を初めて読んだ人みたいな感想になってしまうのだ。

だからといって貶すこともしたくない。

ただし貶すのは苦手でも嫌いでもない。むしろ何を見るにもまず粗から探すようなタイプだ。

しかし、見つけた粗を言うのは控えている。

これは人様が作ったものを腐したくないから、というわけではない。

この世は常に、殴っていいのは殴られる覚悟がある奴だけだからだ。

何かを批判すれば当然それに対し反論や、その行為自体を批判される恐れがあるからだ。 私は怒られるのが何より嫌いなのである。

ネットであれば、匿名で安全なところから他人の悪口を言えるように見えるが、最近はそういうものに対し「絶許」の姿勢をとる者も増えてきている。

調子に乗って書き込むとバッチリ個人を特定され、謝罪と誠意を金という形で見せなければいけなくなる。

ただし、裁判沙汰になるのは悪質な誹謗中傷などである。

「レビュー」であれば、たとえ悪く書こうと、それは「感想」なので中傷にはあたらない。

「キャラクターが全員かっこよくて良いですが、作者がハゲているのが減点★4.5です」などとよほど個人を攻撃したり業務を妨害したりするようなことを書かなければ、訴えられることは少ない。

そう考えるとレビューというのは比較的合法で何かの悪口を言える方法と言える。

ただ、私は作家として活動しているため他人の作品のケチをつけると「じゃあお前はこれ以上のものが描けているのか」という反論を許してしまう。そう考えるとやはり表立って人の作品を悪く言うことはできない。

よって、他人の作品に粗を見つけた場合は自分で言わず、同じ粗を見つけて指摘している人を見つけて「それな」と頷く。正真正銘の安全圏から物事を見下ろそうとする見下げ果てた奴ムーブをして満足するようにしている。

世の中には歯に衣着せぬ物言いで支持される一方で、猛烈に嫌われているタイプの人がいるが、自分の名前や顔を出し何かを批判すると言うのはそれだけで勇気がある。

一つだけ怒られずに批判する方法は、絶対こちらが正しいことで批判するか、反論ができない相手を捕まえて批判するかである。

つまり私は、全く自分に無関係の不倫に憤りシタ側のSNSに罵詈雑言を書き込んだり、カスタマイズセンターの人に激怒している人になったりする才能に溢れているので注意しなければならない。

もちろんレビューというのは悪口を書き込む場所ではなく、何かを正当に評価する場所であり、これからその商品を試そうかという人にとっては判断基準になる。

レビューのおかげでクソを掴まずに済む場合も多いので、参考にする側からするとレビューを書いてくれる人というのはありがたいものである。

しかし、逆にレビューを書く人というのは何を目的にレビューを書いているのだろうか。

レビューを書くとポイントがもらえるというのならわかるが、アマゾンなどにはそういう制度はない。

自分が良いと思ったものを他人に勧めたいという親切心、もしくはこんなクソを掴むのは俺だけで十分という正義感、もしくは俺だけこんな目に遭うのは理不尽だという道づれ探しなど理由はさまざまだと思う。

もしかしたら自分がこれを買ってこういう感想を持ったという「記録」の意味でつけている人もいるのかもしれない。

ならば、食べログなどのレビューが、個人のブログや小生の自分語りスペースになってしまっていたのも納得がいく。

だがそのレビュー自体も「おじさん」と評価されてしまうのだ。

何かを批評する時、自分もその姿を誰かに批評されているのである。