悩み多きビジネスパーソン。それぞれの悩みに効くビジネス書を、「書評執筆本数日本一」に認定された、作家・書評家の印南敦史さんに選書していただきます。今回は、「役職が上がりプレッシャーが半端ない」と悩む人へのビジネス書です。

■今回のお悩み
「役職が上がりプレッシャーが半端ない」(51歳男性/営業関連)


役職が上がれば責任が大きくなるだけでなく、周囲の期待値も上がっていくはず。したがって、プレッシャーを感じることになってしまってもそれは当然なのかもしれません。

ただ個人的には、"半端ないプレッシャー"はできる限り意識すべきではないと考えます。可能な限り、そこからは目をそらすべきなのです。理由はいたってシンプル。そこに視点を合わせれば合わせるほど、プレッシャーはさらに大きくなっていくからです。

役職が上がったことが事実である以上、叛乱でも起こさない限り、その事実を変えることはできません(もちろん、叛乱など起こすべきでもありません)。だとすれば、必要以上にプレッシャーを感じてしまうと、さらに自分を苦しめることになるだけ。

それは避けなければならないのですから、つまりプレッシャーを跳ね除けることは、その役職に就く人の責任。なんて書くと難しそうに感じられるかもしれませんが、決して難しくはないと思います。

役職が上がって"半端ないプレッシャー"を感じているのだとすれば、それはその事実を受け入れられていないということにほかなりません。目の前に立ちはだかる新たな役職(と、そこに付随した責任)に耐えかね、受け入れられないからつらいわけです。

でも繰り返しになりますが、"役職が上がった"という事実は変わらないのです。ならばその"事実"をまず受け入れ、「そこからどうすべきか」を考え、行動に移していくべきです。

  1. プレッシャーをプレッシャーと感じ続け、そのままじっと耐える
  2. 役職が上がったことを受け入れ、よりよい進み方を見つけ出し、行動する

極論をいえば手段はこのどちらかしかないわけで、だとしたら2を選ぶのは当然の話なのではないでしょうか?

しかも2の視点を持ち続けて行動すれば、やがて必ずそれは成果につながるはずだと思います。

失敗する恐怖を克服する思考パターン

『プレッシャーを味方にできる人 50の方法: 心が不思議なほど強くなる本』(伊庭正康 著、知的生きかた文庫)の著者は、プレッシャーに弱い人には、共通する「ある1つの事実」があると指摘しています。

  • 『プレッシャーを味方にできる人 50の方法: 心が不思議なほど強くなる本』(伊庭正康 著、知的生きかた文庫)

仕事や人間関係など、すべてに対して完璧さを求めすぎているということ。しかし、それは危険なのだそうです。なぜなら完璧さを追い求めすぎるとプレッシャーを招き、最終的には自分を追い込んでしまうことになるから。

だからこそ、「行動のしかた」を変えるべきだといいます。そこで本書では、「考え方」「行動のしかた」を変えることによってプレッシャーを味方にする方法を紹介しているのです。

ところで"半端ないプレッシャー"にさいなまれる原因のひとつに、失敗に対する恐怖感があるのではないでしょうか? 「失敗するかもしれない」という恐怖感とプレッシャーはなかなか拭えないもので、役職が上がればなおさら、失敗に敏感になってしまっても仕方がないからです。

だとすれば、失敗を成功につなげられる人の考え方を真似してみるのも手だと著者。失敗をプレッシャーにせず、成功をものにする人には、次の2つの思考パターンがあるというのです。

1つは、「目の前に障害があっても、それは成功するために乗り越えなければならないものだ」と考えていること。これは、失敗をそこで終わらせず、成功するまで続けるような、「諦めないタイプ」の人にあてはまります。
もう1つは、「確実な失敗になってしまう前に、途中でやめたり方法を変えたりする勇気がある」こと。たとえば、山の頂上まで登るという明確な目標があった場合、どこの登山口から登ろうと構いません。Aという道が思いのほか険しかったのであれば、遭難する前にさっさと引き返してBという道から登ればいい、と「ものごとを柔軟に考えるタイプ」の人にあてはまります。(35〜36ページより)

両者は矛盾しているようにも思えるものの、どちらもプラス思考。そして、ここに重要なポイントがあるようです。失敗をプレッシャーにしてしまう人はものごとをマイナスに捉えがちですが、マイナスに見えることのなかにもプラスの要素があるものだということ。著者はこれを、確率論の観点から考えています。

まずは、「A: 仕事で成功する B: 仕事で失敗する」という二択からスタートします。ここでBに進んだ場合でも、必ずしもその先のすべてが失敗ではありません。たとえば、「B: 仕事で失敗する」の内容が「赤字を出す」という場合であれば、その次の二択は「C: 挽回できる金額 D:挽回できない金額」というケースで考えることができます。
そして「C: 挽回できる金額」のほうに進めば、たとえはじめが「B: 仕事で失敗する」だったとしても、もはやそれは失敗ではなく、むしろ次の対策案を講じられる機会を得たということ。これは、確実にプラスです。(36〜37ページより)

自分では失敗だと思っていることでも、意外と失敗とはみなされない場合があります。つまり、すべてにおいてそう考えることができれば、プレッシャーは自然と和らいでいくわけです。

日常生活においてそれを意識することは、とても大切なことであるように思います。

緊張や不安をエネルギーに変える

緊張感や不安感を、多くの人はネガティブなものとしてとらえがちです。しかし、それは間違いです。緊張感や不安感は力の源。うまく利用すれば誰でも、「ここぞ」というときに最高の力を発揮することが可能になるのです。(中略)人間なら、緊張するのは当然のこと、あわてて「緊張をしずめなくちゃ」なんて焦る必要は、まったくありません。
まずは、この原則を覚えておいてください。(17ページより抜粋)

『「ここ一番」に強くなる方法 緊張・プレッシャーを力に変える!』(岡本 正善 著、イースト・プレス)の著者はこう主張しています。緊張感や不安感はプレッシャーと連動していますから、これは今回のご相談にも当てはまることだと思います。

  • 『「ここ一番」に強くなる方法 緊張・プレッシャーを力に変える!』(岡本 正善 著、イースト・プレス)

そして著者がもうひとつ重要視しているのは、「メンタル自体がつくり出す」エネルギーには「プラスシステム」と「マイナスシステム」があるということです。

前者は、ポジティブに考えることでエネルギーをつくり出すもの。後者は、ネガティブな気持ちを利用してエネルギーをつくり出すもの。メカニズムは正反対ですが、つくられるエネルギーは結果的に同じだというのです。

しかもプラスシステムが「小さいエネルギー」しかつくれないのに対し、マイナスシステムは莫大なエネルギーをつくることができるのだとか。

緊張や不安が限界を超えたとき、私たちのメンタルではなにが起こるか。
「不安だなあ、できるかなあ」
こんな気持ちでいたのが、
「ああ! もうやるしかない!」
こんなふうに開き直るのです。この「開き直り」が、いわゆる「緊張や不安をエネルギーに変える力」です。(57〜58ページより)

マイナスシステムがつくり出した「緊張」や「不安」が、一気にプラスシステムへと変換され、行動を起こすためのエネルギーが生まれるということ。したがって、緊張したりプレッシャーを感じたりすることは、必ずしも悪いことではないという発想なのです。

「人間形成のための修養」と捉える

『プレッシャーに強くなる技術』(齋藤 孝 著、PHP文庫)の著者も、「命まで取られるわけではなし」と主張しています。「なにを呑気なことを」と思われるでしょうか? しかし、これはとても重要な視点です。

  • 『プレッシャーに強くなる技術』(齋藤 孝 著、PHP文庫)

最悪の最悪の事態というのは、誰にとっても「死」だろう。
武士と違って、私たち現代人はどんな事態であれ命まで賭ける必要はない。これを念頭に置けば、最大のセーフティネットになり得よう。
例えば、いざ試験本番を迎えたとき、「どっちに転んでも命まで取られるわけじゃなし」と自分に言い聞かせることができれば、プレッシャーはかなり軽減される。「武士じゃないんだから」と開き直ったように付け加えれば、なお強力だ。(78ページより)

これは、今回のご相談内容についても言えるでしょう。しかも、それを「試練」だとすれば、いくつもの試練を乗り越えていくことで、人は自然と腹が鍛えられていくことにもなるはず。

だとすれば、普段どおり働いているだけで、期せずして"人間修行"をしているということにもなります。日本のサラリーマンのみなさんは、そのことをもっと誇りに思っていいと著者も訴えています。

もちろん、役職が上がったことに伴って責任が増していけば、耐えるのが難しいと感じる瞬間もあるかもしれません。しかし、何かを乗り越えたときに「耐えた」と思うのではなく、「腹に収めた」と自らに言い聞かせるようにしてほしいというのです。

そのたびに腹がひとつ大きくなっていくと思えば、また受け止め方も変わってくるわけです。

会社員にかぎらず、とりわけ仕事上で重い責任を背負ってきた人は、相応の大きさの器を持っている。もともとあったわけではなく、日々のこうした"プチ人間修養"の積み重ねによって大きくなったのであろう。(137ページより)

そういう意味では、なにかとつらいのであろう現在の状況を、「人間形成のための修養」と捉えているべきなのかもしれません。事実、そこを越えれば人間としての深み、大きさがさらに加わることになるのですから。