シャープペンシルを握る手、キーボードを叩くマニキュアを塗った指、削った鉛筆に力を込める指先。長編デビュー20周年の沖田修一監督(『南極料理人』『横道世之介』『子供はわかってあげない』)が、完全オリジナルで放つ『さとこはいつも』は、三者三様の“さとこ”の物語が、観ているこちらの背中に、温かな陽光を注いでくれるような作品だ。
映画『さとこはいつも』★4.5
初めての恋に妄想が暴走していく中学3年生、15歳の中井聡子。仕事も恋愛(不倫)もうまくいかず、人生迷走中の35歳の西田沙都子。そして3人目の息子の高校卒業を機に、子育てがひと段落した55歳の飯島里子。それぞれの時間を歩んでいる“さとこ”たちの人生が、不思議と交差していく。
※編集部注:本記事は物語の核心に触れる内容を含みます。知らない状態で映画をご覧になりたい方はご注意下さい。
初恋と「書くこと」の目覚めを瑞々しく体現する新星に注目
映画の幕開けは15歳の聡子から。演じるのは、オーディションで選ばれた姫野花春。彼女が抜群にいい。アレルギー性鼻炎を抱える聡子は、耳鼻科に通院し、病院に備えられたネブライザー(吸入器)を鼻にツッコむ日々を送っている。そんなある日、副鼻腔炎になった“割と人気”の同級生・早瀬がやってきて、ネブライザーを並んで座って使うことに。そのとき聡子がここに通っていると知った早瀬が「じゃあ、俺も次からここにしようかな」と発した瞬間、聡子は恋に落ちた! ここで彼女の心にズキューン! と雷が落ちたのが、こちらにも響いてくるようだった。
学校では歌舞伎観劇会の感想を書くことになった聡子。でも爆睡していた彼女には内容がさっぱりわからない。それでも家に持ち帰り集中して書いた感想文を前に、国語教師の寺尾(吉田羊)が「おもしろいわ、これ。あなたが歌舞伎を観ていないことがきちんと伝わる。観ていない子の中で断トツだわ」と嘘のない評価を伝える。下手な言葉をかけられるより、“褒められた”ことが伝わったはずだ。寺尾から「作文ノート」を渡された聡子は、そこから文章に向き合い始める。シャープペンシルを手に机のノートに向かう聡子。夢中になっている顔がいい。次第に、寝るときも、耳鼻科からの帰り道も、頭の中は文章を書くことでいっぱいになっていく。もちろん、訪れたばかりの“初恋”も彼女の頭を侵食する。妄想の爆発をノートに書いていく聡子。しかし、ノートとも初恋とも、聡子は決別する時が来るのだった。
沖田監督の世界観で見事なバランス感覚を見せる有村架純
2人目は35歳の沙都子。有村架純が、繊細でシリアスな感覚と、沖田監督らしいユーモアが効いたユニークな世界観を、絶妙なバランスで演じきる。沙都子は仕事の取引先の営業・村本(オダギリジョー)と不倫をしており、その関係は6年目を迎えていた。ある日、村本の妻(中村優子)に不倫がバレる。いわゆる完全な修羅場のはずだが、ここでも大いに笑ってしまった。
負傷し、入院するに至った沙都子は、隣のベッドに入院していた55歳の里子に、修羅場の顛末を話すことに。「本当の話なの?」との里子の質問に「何にも残らなかったです」と返す沙都子。それに対し、里子が言った。「ドラマみたい。ドラマよりドラマだわ」。この言葉に沙都子の心がざわついた。入院先で一気にパソコンに向かって自分の物語を書き始める沙都子。さらに退院した彼女に新たな出会いが。沙都子は村本との物語を、自分自身で成仏させた。パソコンの光に照らされる沙都子が美しかった。
小走りで駆け出した夢と、石田ひかりの自然体の美しさ
55歳の里子を演じるのは石田ひかり。20年にわたって続けてきた息子たちへのお弁当作りも、息子の高校卒業とともにラストを迎えた。子育てがひと段落した里子は、気持ちが一気に楽になり、副鼻腔炎が再発。向かった耳鼻科で15歳の聡子と出会う。そこで聡子が文章を書いていることを知った里子は、「小説家になりたかったのよ」と、思わず口に。そして自分自身の少女時代に思いを馳せ、話し始めた。本屋のお兄さん(細田佳央太)に淡い恋心を抱いていたこと、そのお兄さんに会いたくて、同じ本を読みたくて通っているうちに、気づくと本そのものが好きになっていたこと。すると聡子が「なんかそれ、物語みたい」と感想を漏らす。その言葉に、ピカ! と里子の体に電流が走った(のが、見えるようだった)。また文章を書いてみよう。決意した里子はさっそく書店でノートを買い、大切そうにしっかりと胸に抱え、笑顔で小走りに家路に着く。その姿になんだか涙が出た。
それからリビングで、鉛筆を削り、ノートに向かう里子。少女時代のお兄さんへの思いを、ファンタジーの色合いで包みながら、自分自身を小鳥に投影して想像を膨らませていく。一心不乱に書いていくが、この淡い一コマにも、リビング横のキッチンでは手羽先の煮物を煮込んでいるという、沖田監督らしいシュールさがさりげなく差し込まれていた。小説を書き上げた里子は、夫と3男に読んでもらい、さらには、骨折したことで入院した際に出会った35歳の沙都子にも読んでもらうことになる。ここで小説を沙都子に渡しながら里子は「他の人に見てもらわないと、なかったことになっちゃうもんね」と言った。ちなみに、先に登場した沙都子は、自ら書き上げた物語をひとりでじっくり読みなおし、手を合わせたあと、デスクトップのゴミ箱へと葬っている。
吉田羊にオダギリジョー、脇を固める顔たちと、仕掛けの数々にニヤリ
“さとこ”を取り巻くキャストも印象深い。特に国語教師を演じた吉田羊と、不倫相手をめちゃくちゃ愛らしく演じるオダギリジョー。吉田演じる寺尾は、一見感情の見えない人物に映るが、聡子の文才を正当に評価し、新たな世界へのきっかけを与えた。寺尾が、ジョウロを手に花壇の前でぼ~っと立ちながら、なにやらブツクサつぶやいている場面がある。その姿は、頭の中はせわしなく動いていても、外からはぼ~っとしているようにしか見えない、部活中の聡子と重なってくる。そして、その1場面だけで、彼女もまた、物語を書いている人なのだろうと想像させるのだ。寺尾の物語も読みたくなった。
また沙都子の回想シーンでは、『失楽園』ちっくな画が登場したり、韓国スター風メイクをほんのり施したオダギリが出てきたり、話自体は不倫モノにも関わらず、オダギリのキュートさが際立った。
本作は“3人のさとこ”のそれぞれの出会いと別れ、さらに自分の物語に向かう出来事と昇華の仕方を見つめていく。そのうえで、彼女たちの世界が微妙に重なり合う形を取っており、ときに同一人物であるかのようにも見えてくるのだ。さらに幾度となく登場する3人の好物の塩辛やマグカップ、寺尾が読む本と、里子の空想世界に登場するお兄さんが読んでいる本の時空を超えた重なりなど、アイテムの仕掛けも楽しい。
誰もが、自分自身の中に、物語を書いている
そして、本屋のお兄さんが壁一面に並ぶ本に囲まれながら発する言葉。「誰でも1冊なら本が書けるんだって。自分の物語」。たくさんの本を見やりながらお兄さんが続ける。「この世には、生まれてこなかった物語が無数にある」と。この言葉が、スクリーンの先のこちらにも届く。
3人のさとこは、自分ひとりの内側からではなく、誰かの何気ない一言が“書く”きっかけになった。『さとこはいつも』も、誰かにとってのきっかけとなる力を持っていると思う。とはいえ文章を書くのはハードルが高いと感じる人もいるかもしれない。だが本作を浴びていると、必ずしも本という形にならなくても、自分の物語を紡いでいくこと自体が、大切なことだと感じさせてくれる。
本作の最後には、嬉しいサプライズが待つ。そして目撃している観客も、自分の物語、人生を紡いでいこうと前向きになれる。それは背中をそっと押すという感覚より、ほんの少し強い手触りを残す。
(C)2026 「さとこはいつも」製作委員会



