テレビ画面を注視していたかどうかが分かる視聴データを独自に取得・分析するREVISIOでは、13日に放送されたNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』(総合 毎週日曜20:00~ ほか)の第35話「秀長誕生」の視聴分析をまとめた。

  • 『豊臣兄弟!』第35話より (C)NHK

    『豊臣兄弟!』第35話より (C)NHK

「なぜだ、どこから現れた」徳川軍が突如襲来

最も注目されたのは20時13分で、注目度73.5%。羽柴軍が、中入りの失敗で徳川軍に大敗を喫するシーンだ。

秀吉(池松壮亮)の楽田城と徳川家康(松下洸平)の小牧山城がにらみ合いを続ける中、戦況に焦れ始めた秀吉に、池田恒興が三河の岡崎城を攻めることを献策する。奇襲にわざと気付かせ、小牧山城から出てきた家康を迎え撃つ作戦だ。

三河攻めの総大将には、後に豊臣秀次となる三好信吉(山田涼介)が名乗りを上げた。かつて宮部継潤(ドンペイ)の養子となり、今は阿波国主・三好康長(妹尾正文)の養子となった秀吉と小一郎(仲野太賀)の甥である。

秀吉に認められた信吉は尾張・白山林に陣を構えた。「徳川はまだ動いておらぬ。さあ皆、今のうちに英気を養うのじゃ」「はっ」信吉の号令で兵たちは休息を取る。陣幕には笑い声が響くが、副田吉成(前原瑞樹)は不安を隠せない。「しかし、大事ないでしょうか。今、こうしている間に攻め込まれたらひとたまりもありませぬ」「敵が小牧山を出れば真っ先に我らに知らせが届くことになっておりまする。案ずることはござりません」吉成の懸念を払拭しようと信吉が答えた時、兵たちの叫び声が響いた。徳川軍が陣幕を突き破り押し寄せてきたのだ。

「なぜだ、どこから現れた」信吉は突然の襲撃に戸惑う。「押せ! 押せ! 押せー!」徳川四天王の一人、榊原康政(栗原類)が味方を鼓舞し攻め寄せてくる。信吉を守るために三好吉房(上川周作)と吉成が刀を抜き応戦した。「信吉! ここは引くのじゃ!」「引けませぬ! 武功を挙げねばわしの面目が立たぬ! このままでは負け戦じゃ!」無謀にも飛び出そうとする信吉を、吉房が殴り飛ばす。「しっかりせえ!こんなところでお前を死なせたらわしは2度ととも(宮澤エマ)に合わす顔がなくなるわ!」吉房は地に這いつくばる信吉を叱咤した。

一方、長久手では乱戦が続いていた。「信吉様は既に引かれました! ここは我らも」「この策を献じたのはわしじゃ。わしがやり切らねば示しがつかぬ!」家臣が撤退を上申するが、恒興は悲壮な決意を示し戦場にとどまる。

その直後、奮戦していた恒興の嫡男・池田元助(柴崎楓雅)が徳川方の刃に倒れた。「元助ー!」息子のもとに駆け寄る恒興を井伊直政(阿久津仁愛)が槍で貫く。「父上…」元助は父の傍らで力尽き、恒興も直政によってとどめを刺された。「元助! すまぬ…」恒興は無念の言葉とともに絶命した。「敵将、討ち取ったりー!」直政の勝鬨が戦場に響く。こうして長久手の戦いは羽柴軍の大敗に終わった。

  • 『豊臣兄弟!』第35話の毎分注視データ推移

    『豊臣兄弟!』第35話の毎分注視データ推移

「バーサーカー過ぎて強すぎる」

このシーンは、徳川四天王の圧倒的な猛将ぶりに視聴者の注目が集まったと考えられる。

民への負担も考えて一月で決着をつけようと息まいていた秀吉と小一郎。しかし徳川家康の軍略は兄弟のそれを上回る。家康は拠点に適していた小牧山城を一足先に押さえ、さらに戦況が長引くことを見越して各地の大名に織田信雄との連名で書状を送る。そんな家康に対して短期決着を目論む秀吉。そのような状況の中、池田恒興は秀吉に家康の本拠地である三河・岡崎城を攻めることを提案した。秀吉も了承し、三好信吉を総大将とする2万の軍勢が進軍を開始する。

しかしこの動きは家康に見透かされていた。不意をつかれた羽柴軍は敗走。信吉は命からがら逃げのびたものの、秀吉は織田信長(小栗旬)の乳兄弟だった恒興とその嫡男・元助を失う大損害を被った。

SNSでは「今作の徳川四天王、バーサーカー過ぎて強すぎる」「徳川四天王が不意を衝いて襲い掛かってくる絶望感すごいな」「こんな作戦で恒興と元助がやられるなんて、無念だっただろうな」と戦の趨勢に視聴者のコメントが集まった。

今回、討死の様子が描かれた恒興・元助父子の他にも、森可成(水橋研二)の次男であり、森乱(市川團子)の兄・森長可もこの戦いで討死している。森長可は、父と兄が宇佐山城の戦いで亡くなったことによりわずか13歳で森家の家督を継いだ。妻は恒興の娘の池田せんだ。長可はその勇猛な戦いぶりから鬼武蔵と呼ばれた。

1582(天正10)年の甲州征伐に際して敵兵を大量に討ち取り、返り血で鎧が真っ赤になるほど大きな功績を挙げ、信濃北部4郡を与えられると、海津城を拠点として支配を進めた。しかし本能寺の変が起こると信濃から美濃へ退却し、その後は羽柴秀吉に従う。小牧・長久手の戦いでは、岳父である池田恒興とともに秀吉軍の別動隊として行動。前哨戦である羽黒の戦いで不覚をとった長可は具足の上から白装束を羽織り、愛馬・百段に乗って決死の覚悟で長久手へ出陣する。しかし、徳川軍の鉄砲足軽・杉山孫六の銃弾を眉間に受けて戦死した。長可の首を狙って多くの徳川軍の兵士が亡骸を狙ったが、愛馬である百段が大暴れして時間を稼ぎ亡骸は家臣が無事に回収したと伝わっている。

ちなみに長可の死後に森家の家督を継いだ弟・森忠政は約30年後、百段に乗って大坂の陣に参戦している。今回、恒興が提案した家康の本拠地である岡崎城へ進軍した作戦は三河中入りとして伝わっている。作中では堀を使って羽柴軍を奇襲していたが、史実では秀吉軍の動きは地元住民から駐屯情報が家康側に伝えられたとされている。