今回は前回に引き続き、1582(天正10)年の様子が描かれた。以下では、最も注目されたシーン以外の見どころを紹介していく。

まずは、清須会議に備えて参加者の動向を探る小一郎が挙げられる。清須へやってきた小一郎は、丹羽長秀、池田恒興、そして織田信雄のもとを訪れる。長秀にはのらりくらりとかわされ、その心中を推し量ることはできなかったが、恒興の言葉から、恒興と信雄のつながりを確信する。そして、信雄に鎌をかけ摂津をエサに恒興を口説き落としたことを突き止めた。

さらに、信雄の元から去るときにすれ違った侍女に疑念を抱いたことが、後に大きな意味を持つことになった。SNSでは「あんな簡単にぼろを出すなんて、ダメ息子感がすごい」「小一郎の観察力が見事に生かされている。秀吉があれだけ同行を頼んだのも分かるな」と、小一郎の洞察力に称賛が集まった。

三法師の後見人候補である信雄だが、その原因の1つとなったのが1579(天正7)年の第一次天正伊賀の乱。当時、信雄は伊勢を本拠としていたが、信長に相談せずに独断で伊賀国へ侵攻した。伊賀は現在の三重県西部にあたり、国人・土豪たちが強い自治性を持っていた地域。信雄は約1万ともされる兵を率いて伊賀へ進軍した。ところが、伊賀側は山地を利用した奇襲や夜襲などで織田軍を苦しめ、信雄軍は大敗する。追いつめられた信雄は伊勢へ撤退した。父・信長の許可を得ずに勝手に大規模な軍事行動を起こし、そのうえ敗北したことに信長は激怒し、信雄に対して親子の縁を切るとまで記された厳しい書状を送ったと伝わっている。

その後、しばらく謹慎していたと思われる信雄だが、2年後の1581(天正9)年に信長の命令で第二次伊賀攻めの総大将を務めることになった。この戦には、丹羽長秀、滝川一益(猪塚健太)、筒井順慶(永沼伊久也)といった名だたる重臣と、約5万もの兵力が投入されたといわれている。小谷城の戦いが約3万、長篠の戦いが約4万と伝わっているから、投入された兵力がいかに大規模だったかが分かる。このような大軍を信雄に預けた信長だが、その心中はいかがなものだったのだろうか。

一方、もう1人の後見認識候補である信孝は、1574(天正2)年に第三次長島一向一揆攻めで初陣を飾ると1575(天正3)年に越前一向一揆攻め、1577(天正5)年に雑賀攻めなどに従軍し軍功を挙げたことで、信長からはかなり高い評価を得ていたと考えられている。

市(宮崎あおい)、憔悴しきった姿を見せる

次に、慕っていた兄・織田信長を失い憔悴した市の姿が挙げられる。信長が亡くなってから市は部屋にこもりきり、来客の相手は長女の茶々(井上和)がしていた。面会に訪れた秀吉が見た市は、信長とのやり取りの文を床一面に広げ、やつれ切っていた。夫である浅井長政(中島歩)を失った時以上に、心に傷を受けたようだ。市にとって信長がどれだけ大きな存在だったかがうかがえる。

SNSでは「まさかここまで市さんがやつれるなんて思わなかったな」「秀吉に言われるがままだな。自暴自棄になってるね」と変わり果てた市に視聴者のコメントが集まった。

  • (C)NHK

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秀吉、三法師を抱え込み、織田家筆頭に成り上がる

最後に京の妙覚寺で行われた三法師の初お目見えで、秀吉が三法師を抱き上げて登場したシーンが挙げられる。織田信雄の、三法師をかどわかす計画を利用して、小一郎と秀吉はばらばらの織田家宿老をまとめ上げた。さらに三法師本人を確保し、羽柴家の馬印である瓢箪を随所に施した小袖を三法師に着せるため、家中の女性陣に小袖を作らせる。4人で織田家を支えていくと提案した秀吉だったが、織田家中での権力確立のため、勝家たちを出し抜いた。

SNSでは「秀吉、しれっと織田家筆頭家老とか言ってるし、もう隠そうともしていないな」「何くわぬ顔で上座に座るなんて。秀吉のやりくちは外道すぎるけど三法師様の言うことには逆らえないもんな」と野望をあらわにする秀吉にコメントが集まった。

きょう16日に放送される第31話「これで、お別れにございます」では、秀吉の行動に対抗し織田信孝が三法師を岐阜城へ連れ去る。小一郎は三法師を連れ戻すために奔走するが、秀吉の強硬策に反感を抱く織田家の重臣たちの協力を得ることはできず、市にも拒絶される。

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