矢部太郎 自費で印刷、発送も自宅からレターパックで…自ら出版社を立ち上げてまで届けたかった、父の「38冊の子育て絵日記」
放送作家・脚本家の小山薫堂とフリーアナウンサーの宇賀なつみがパーソナリティをつとめるTOKYO FMのラジオ番組「日本郵便 SUNDAY’S POST」(毎週日曜15:00~15:50)。今回の放送は、芸人で漫画家の矢部太郎さんをお迎えして、漫画作品「大家さんと僕」でお馴染みの大家さんとの思い出や、家族の記憶に迫りました。


(左から)パーソナリティの小山薫堂、矢部太郎さん、宇賀なつみ



◆偶然の出会いから始まった「大家さんと僕」の物語

矢部太郎さんは、1977年、東京都生まれ。お笑いコンビ「カラテカ」として活動する一方、漫画家としても活躍されています。2017年に発表した初の漫画作品「大家さんと僕」は大きな反響を呼び、第22回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。続編やエッセイ作品も手がけ、日常のなかにある小さなやり取りや人の温もりを優しい視点で描き続けています。舞台や俳優業にも活動の幅を広げながら、人との距離や暮らしの記憶を表現するクリエイターとしても注目されています。昨年12月には、出版社「たろう社」を設立しました。

漫画家として大きな一歩を踏み出すきっかけとなった作品「大家さんと僕」。この瑞々しい作品は、実はある偶然の出会いから生まれました。当時、暮らしていたのは、上品な高齢女性の大家さんが所有する一軒家の2階でした。家賃を手渡しするたびに「お茶でもいかが?」と誘われ、いつしか2人で日常的にお茶を飲み、ときには一緒に九州の知覧まで旅行に出かけるほど、実の家族のような深い交流が続いていました。

特に印象に残っているエピソードは何かと聞かれると、「僕が洗濯物を干して出かけると、雨が降り出したときに『矢部さん、降ってきましたよ。取り込んでおきますね』と電話をくださるんです。最終的には、僕が干したら大家さんは洗濯物を干さないという、逆天気予報のような関係になっていました(笑)」と矢部さんは素敵な逸話を明かします。

そんなある日、大家さんとホテルのティールームでお茶をしていたときに、以前から知り合いだった漫画原作者の倉科遼先生が通りかかります。仲睦まじい2人の姿を見た倉科先生から、「素敵な関係だね。矢部君は絵も味があるから漫画とかいいんじゃないの? これは作品にした方がいい」と背中を押され、出版社を紹介されたことで、漫画家・矢部太郎への道が切り拓かれました。

出版された本を誰よりも喜んでくれたのは、他でもない大家さんでした。「矢部さんが大きなお仕事をされた」と我がことのように喜び、糸井重里さんや谷川俊太郎さんが寄せた帯のコメントを見ては、「帯が一番好きだって言っていました」と笑いながら振り返ります。


矢部太郎さんの「たろう社」初の書籍「光子ノート」



◆新出版社「たろう社」と「光子ノート」

大家さんとの温かい日々を見つめてきた矢部さんは、昨年10月に個人出版社「たろう社」を設立するという、新たな挑戦に打って出ました。その理由は、「どうしても世に出したい本」を見つけてしまったからでした。

その本とは、矢部さんの実父であり絵本作家のやべみつのりさんが、かつて我が子の成長を克明に記録していた全38冊に及ぶ子育て絵日記ノート。主役は矢部さんの実の姉である光子さんです。

「誰に見せるためでもなく書かれたノートが38冊もあるなんて、とんでもないことじゃないですか。これは絶対に本にしたいと思って、いくつかの出版社に企画を持ち込んだのですが、『前例がない』と断られてしまって。でも、前例がないことこそ、僕がこの本を出したい理由そのものでした。だったら、自分で出版社を作って全部やろうと決めたんです」と矢部さんは語ります。

こうして誕生したのが、厚さ約6センチ、重さ1キロ、全992ページという、まるでお弁当箱のような圧倒的なボリュームの書籍「光子ノート」です。

本の限界と言われる厚さにまで詰め込まれたページは、すべてオールカラーでスキャンされています。それは、父が綴ったイラストの優しい風合いだけでなく、経年変化による紙の日焼け、セロテープの跡、修正の跡に至るまで、当時の空気感をそのまま読者に届けたいという矢部さんの強い思いからでした。

並々ならぬこだわりゆえに、印刷費は想定の3倍に膨らみ、一般的な取り次ぎ先を通さずに矢部さん自身が自宅の部屋から一冊一冊梱包して、レターパックプラスに詰め込んで全国へ発送しているといいます。

「この本を読むと、お金のためではなく、1人の作家の魂のようなものを感じます。嘘が全くない。今の僕にはとても書けないなと思うものがあります。現在83歳の父は、今も現役の絵本作家なので、僕のことを漫画家として嬉しいと思ってくれつつも、どこかで『負けないぞ』とライバル視しているみたいです」と嬉しそうに話す矢部さんでした。



番組の終わりに、矢部さんは「光子ノート」を書いていた真っ只中である「1977年の父・矢部三千乃」へ宛てた手紙を朗読しました。タイムパラドックスを起こさないようユーモアを交えつつ、未来の息子から過去の父へ贈られた言葉には、深い感謝とリスペクトが溢れていました。

<番組概要>
番組名:日本郵便 SUNDAY'S POST
放送日時:毎週日曜 15:00~15:50
パーソナリティ:小山薫堂、宇賀なつみ
番組Webサイト: https://www.tfm.co.jp/post/
番組公式X:@sundayspost1