さて。今回の第6話は、肇を演じる大森南朋の役者力が爆発した回となった。建設会社の会長・石渡の自伝を映画化するチャンスをもらった肇は、懸命に脚本を仕上げるも、石渡から、けちょんけちょんにダメ出しをされてしまう。その仕事をもちかけた、さつきはハラハラするが、肇はグッと自分を押し殺し、石渡の言葉を否定せず、受け入れる。
この肇の感情は複雑だ。自身の作品へのプライドはある。だが、原作クラッシャーと言われてしまう自分の評価も知っている。さらには、元は犬猿の仲であるさつきの前で、脚本をけなされる屈辱感に耐え忍ぶ。そして今は仕事を干されており、クライアントの意見は絶対というプロ意識を重視しながら、とにかく大人の対応を続ける。これらの感情を、見事芝居で成立させてしまったのだ。
大森の真骨頂は、感情を爆発させることではなく、爆発させないことにある。肇が飲み込んだ言葉の数だけ、画面の沈黙は重くなる。抑制の芝居でここまで緊張感を作れる俳優は、そう多くない。
映画情報サイト『Fashion Press』の2017年12月16日の記事で、大森はこう語っている。「カメラの前にただ立つことが、一番究極の形に近い。恐怖や緊張をなくして、自然な佇まいでいること──それが演技の究極だと思っている」。この言葉のように、大森の演技は“佇む”というシンプルな動作がそのまま内面の揺れにつながるタイプだ。言葉で叫んだり大きく動いたりせずとも、 視線の揺れ、沈黙の間、抑制された反応そのものが重い感情として画面に落ちる。
近藤芳正と対を成す激突
そしてこれと対を成すのが、憎たらしいけど、どこか憎めない、愛らしいおじさんを演じさせれば右に出る者はいないと筆者が思う、近藤芳正だ。この掛け合いが面白い。最後に肇は、石渡に「うすっぺらい人生」と言い放つ。感情を抑えた大森の芝居は、さり気ない重さがあり、その重力に対し、近藤演じる石渡が途端に、軽くてうすっぺらい人間に見えてくる。ベテランの実力派俳優の2人だからこそ生まれたこのシーンは、見ていて思わず拍手をしたくなるほどだった。
この第6話でも、マチルダ事件の真相究明は大きくは動かなかった。ランボーはマチルダ事件の犯人ではなく、次に挙がった容疑者は、竿竹売りの男。だが徐々に事件への妄想の薄膜が剥がれ落ちていき、見えなかった真相が積み上げられていく…。この積み重ねが本作の醍醐味ではあるのだが、いまだ回収されていない言葉「マチルダには近づかないほうがいい」の理由が分からない。
明らかになる真相、これがどう、その言葉へと結びついていくのか。第7話で少しでもその扉が開くのか。そして今度は、どんな80年代ネタが飛び出すか。期待値は上がり続ける。






