芳根京子が主演するフジテレビ系ドラマ『波うららかに、めおと日和』(毎週木曜22:00~ ※TVer、FODで配信)が、きょう26日に最終回を迎える。

昭和初期を舞台に、親の縁談で突然結婚することになった男女が、少しずつ本当の夫婦を築き上げていくさまを描いたハートフルラブコメディー。現代の夫婦や恋人たちとは環境が全く異なる時代の恋愛劇だが、その実、どんな時代でも変わらない恋愛の瑞々しい感情を思い出させてくれる、今の時代には清々しい快作だ。

  • 『波うららかに、めおと日和』(C)フジテレビ

    『波うららかに、めおと日和』(C)フジテレビ

清々し過ぎるがあまり新感覚の恋愛ドラマに

携帯電話が普及して以降、恋愛ドラマが作りにくくなったと言われている。なぜなら、いつでも連絡が取りあえるツールが登場したことによって“枷(かせ)”が作りづらくなったからだ。携帯電話がなかった時代の恋愛ドラマは、約束の時間に間に合わなかったり、当日キャンセルを伝えられなかったりなど、それによるすれ違いが多発。容易に連絡を取ることができないという“枷”によって、視聴者をやきもきさせ、スリリングを生み出していたのだ。

だからこそ携帯電話の普及以降、その“枷”が誰かの夫・妻という好きになってはいけない相手=不倫となり、最近の恋愛ドラマの潮流が不倫ものになっているのだろう。

また、恋愛ドラマは時代を映す鏡だ。好きな人の前での装いはオシャレになるのは当然で、かつてはファッションやライフスタイルが“トレンディ”である作品が流行したのだが、最近は“多様性”の時代。あまりにファッショナブルだと共感性に欠け、むしろ恋愛に積極的ではないことも当然のように描かれる。一方で男女恋愛だけではなく、“ボーイズラブ”が一つのエンタメジャンルにもなっているように、何が今のトレンドなのか、表現しづらい時代になっているといえよう。

そんな最中放送された『波うららかに、めおと日和』は、恋愛ドラマに必要な“枷”を昭和初期という時代設定によって作り出し、当時のトレンドを紹介することで令和の今では新鮮な恋愛ドラマに仕上げるのでは…と想像していた。実際、情報収集が限られた時代による枷や、当時の風俗を描いてはいるのだが、その本質はもっと普遍的なもの――人を知ることで人を好きになり、その好きになる喜びを真正面から丁寧に描写している。そして、その様子が清々し過ぎるがあまり、逆に新しいとすら感じてしまう、新感覚の恋愛ドラマに仕上がっているのだ。

  • 『波うららかに、めおと日和』最終話より (C)フジテレビ

“日常”を描くことで共感させた功労者

まず今作は、恋愛結婚が当たり前ではなかった時代に、親の縁談によって夫婦になってしまったという突然と、その夫婦が恋愛に全く免疫がない妻と帝国海軍中尉の夫という、紛れもない時代性がある。その“時代だからこそ”が根底にあるのは当然なのだが、描かれていく事象が「接吻の仕方」や「初夜とは?」という、今さら恋愛ドラマで描くことのないフェーズであることが新鮮で、その描写があまりにも微笑ましく、時代性よりも、その奥にある普遍性を感じさせてくれる。

タイトルの通り、波うららか=穏やかでゆっくりとした、めおと日和=夫婦の営みを丁寧に描くのが今作の信条であり、その詳細として「接吻」や「初夜」までの機微を丁寧に描いていくとしても、10時間ほどある連続ドラマをそれだけで埋めるにはいささか退屈に思えてしまう。また、初々しい事象を通して“萌え”を感じさせる場面の連発では、昭和初期を舞台にしただけのコスプレ恋愛劇に陥ってしまい、それを享受したい視聴者のみで多くの共感は得られることはなかっただろう。

しかし、その時代の“日常”を描いているからこそ、今作は多くの人を共感させ、何より2人の初々しい恋模様が際立つ構造となっている。この功労者は間違いなく、演出担当である平野眞監督だろう。平野監督は『監察医 朝顔』において、1話完結の事件モノの中に途切れることのない“日常”をかけ合わせることに成功したが、今作でもその手腕を大いに発揮させている。

当然“萌え”の展開は多く、注視している視聴者も多いだろう。だが“萌え”の外側を俯瞰してみると、何げないけれどそれこそが尊いと思わせる“日常”が丁寧に描かれている。そして、時代が変わっても本質は変わらない、他愛もないものだと気づかせてくれることにも成功させているのだ。