テレビ画面を注視していたかどうかが分かる視聴データを独自に取得・分析するREVISIOでは、19日に放送されたNHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』(総合 毎週日曜20:00~ほか)の第3話「千客万来『一目千本』」の視聴者分析をまとめた。
は妬みの色が濃くにじむ鱗形屋孫兵衛
最も注目されたのは20時41分で、注目度78.3%。語りの綾瀬はるかが不穏なセリフを口にするシーンだ。
「暗い情念がのそり、のそり」蔦重(横浜流星)の集客策が見事にハマり活況を呈する吉原。しかしその裏側では、淀んだ空気がただよい始めていた。鱗形屋孫兵衛(片岡愛之助)が『一目千本』をじっと見ている。その目には妬みの色が濃くにじんでいた。蔦重が出版した『一目千本』の効果は絶大で、吉原には多くの客が押しかけるようになった。蔦重が改編した『吉原細見』の評判も上々だった。
もしかすると、蔦重はいずれ自分たちをもおびやかす危険な存在になるかもしれない。孫兵衛の胸中は蔦重への警戒心で一杯となっている。同刻、暗い情念を抱えたもう一人の男がいた。御三卿一橋家の当主・一橋治済(生田斗真)だ。治済はうす暗い舞台の上で一人傀儡(かいらい)を操っていたが、その傀儡を操る糸が突然切れた。「おや…糸が切れたか」と治済がつぶやいた時、政敵である田安家では異変が起こっていた。寝床にあった当主・田安治察(入江甚儀)が胸を激しくかきむしったのち、なんと目を見開いたまま絶命してしまったのだ。2つの争いの火種は、吉原の街と江戸幕府にどのような波乱をもたらすのだろうか。
「不穏な最後だったな、一橋治済怖い」
注目された理由は、九郎助稲荷の今後の波乱を示唆するセリフに、視聴者の関心が集まったと考えられる。
蔦重は、『吉原細見』では細見改として編集に務めながら、序を天才・平賀源内(安田顕)に依頼することに成功し、『一目千本』では企画を立ち上げ、資金集め(※詐欺まがいな部分もあるが)からすべてを取り仕切って本を完成させ、見事、吉原にはかつてのにぎわいが戻ってきた。こうして出版ディレクターとして頭角を現した蔦重に、暗い情念を抱く孫兵衛。ドロドロした感情を内に秘めた様子を無言で表現していた。
SNSでは、「鱗形屋の旦那はそりゃいい気はせんよね」「鱗形屋さん、蔦重の理解者だと思っていたのに…」「やっぱり、片岡愛之助さん表情うまい!」と、孫兵衛の姿に注目が集まった。片岡愛之助さん、さすがの演技力だ。
鱗形屋は、1658~61年(万治年間)に江戸・大伝馬町(現在の東京都中央区)に開業した地本問屋。「丸に三つ鱗」を商標に使っていた。劇中に登場する孫兵衛は3代目に当たる。100年近く続いた老舗の版元から見れば、ぽっと出の蔦重の台頭は目障りに思えても仕方ないかもしれない。
そして暗い情念を抱える男がもう一人。前回、軽薄な態度を田安賢丸にとがめられた治済だが、暗闇で一人傀儡を操るという不気味な行動を見せた。糸が切れた瞬間に賢丸の兄・田安治察が死に至ったが新手の呪詛だろうか。次回以降、御三卿内の勢力争いは苛烈さを増していきそうだ。
SNSでは、「不穏な最後だったな、一橋治済怖い」「治済さま、いい人の仮面をかぶった狂人感がすでにあって怖い」「最後の治済にぜんぶ持っていかれたな」と、治済に恐怖した視聴者のコメントが寄せられている。
一橋治済は一橋宗尹の四男にあたり、1751(宝暦元)年に生まれた。長男・松平重昌は幕府の命令で1743(寛保3)年に福井藩藩主・松平宗矩の養子に出された。次男・仙之助は夭折し、三男・松平重富は1758(宝暦8)年に重昌が死去したため、後を継ぐ形で養子に出される。結果、同年に世継ぎとなり、1764(明和元)年に一橋家の家督を継いでいる。幕末の歴史学者・五弓久文にその派手好きな生活ぶりから「天下の楽に先んじて楽しむ」と評されている。