嵐の松本潤が主演を務める大河ドラマ『どうする家康』(NHK総合 毎週日曜20:00~ほか)。28日に放送された第20回「岡崎クーデター」に登場した山田八蔵役の米本学仁がコメントを寄せた。

  • 山田八蔵役の米本学仁

――山田八蔵をどのような人物と解釈されましたか。

沢山あるのですが、山田八蔵として一歩目を歩む上で大切にしていたのは「不安と迷い」でした。

お話を頂いてから先ず八蔵の足跡を辿るために、愛知県に向かいました。山田八蔵の塚と云われている場所を訪ねてみたら、こんもりと土が盛られていて、一本の道が二つに分かれる場所でした。そこで、手を合わせ、八蔵の塚をじっと眺め、一つ一つの呼吸を噛み締めながら佇んでいると、この道で良いのか、何をするべきか、八蔵は常に迷っていたんじゃないかな、そんなことを感じました。優柔不断と言えばそうなのですが、最後まで不安の中に居て、迷いながらも進んだ八蔵。大岡弥四郎、仲間たちの凄惨な死に様は、決して忘れられるものではなく、その上で自分の命を燃やすべき場所を心の奥底で求めていたのではないでしょうか。

八蔵だけでなく築山殿、そして徳川信康さん縁の地にも足を運びました。築山殿の人物像には諸説ありあまりいい描かれ方をしていないこともあります。けれど八柱神社で出会えた「築山御前首塚」の石碑に書かれていた「…されど生害に値するほどの罪悪であっただろうか…」この一文から石碑を建てた人達の想い、築山殿に向けられる眼差しに触れることが出来きた気がします。それが山田八蔵を生きる上で一つのコンパスとなりました。八蔵が常に抱いていた不安や迷い、その苦悩に寄り添って下さる築山殿の人となりを感じました。

――大岡弥四郎をはじめ、クーデターを起こそうとする家臣たちと、徳川への忠義との間で揺れる八蔵の心をどのように捉えて演じられましたか。また、第20回において、特に印象に残っているシーンはありますか。

終わらない戦乱の世。失われていくことが当たり前の命。ドクドクと脈打つ深い悲しみ、荒くなる息。そんな不条理をぶち壊したい。切なる想いを共にする弥四郎。色んな想いが巡る中「死にたくない」「生きて帰りたい」「会いたい」そんなシンプルだけど強い欲求が真ん中にありました。

弥四郎や他の仲間たち。そして彼らの家族たちとも過ごしたこれまでの日々を何度も思い返すことで八蔵の苦しさ、後ろめたさがより深く大きくなっていくのを感じました。クーデターを実行するその夜、弥四郎と目線を交わしたり、仲間たちと進む中も心の中でずっとずっと謝っていました。「すまぬ、すまぬ…」と。

特に印象に残っているのは武田勝頼軍との戦に敗れ、怪我を負い城に戻って来るシーンです。たった一つしかない命を軽んじられること。またそんな状況に八蔵自身も慣れて麻痺していた部分もあったと思います。誰にも分け隔てなく手当てして下さるお方様。戦乱の世の不条理が五徳さんの台詞に現れる中、烈火の如く怒る瀬名さんの言葉たちに涙が流れました。最後まで迷いながらも裏切りを決めていた八蔵にとってその姿は驚きそのものであり、自分の命と心に温度を取り戻しました。そして瀬名さん、信康様をはじめ沢山の人達の命を愛おしく大切に感じてしまいました。迷いながら、不安と共にまた一つ裏切りを重ねる山田八蔵が生まれた瞬間でした。

――第20回では、瀬名と八蔵のシーンが複数描かれました。瀬名に対する八蔵の思いを、どのように捉えて演じられましたか。また、瀬名役・有村架純さんとのご共演はいかがでしたか。

身分や立場の上下が決して覆らない時代に分け隔てなく接してくれる瀬名さんの存在は違和感。ただ命の価値があまりにも低い戦乱の世を生きる者にとって、それが当たり前で何の疑いも持ち得ない八蔵たちが現状を打破するには力によるクーデターしかないと思い込んでいました。そんな中、山田八蔵はこれで良いのかと迷い続け、疑問を捨てられません。そして瀬名さんも同じ苦悩を生きられたのだと思います。

同じ問いと真正面から向き合い続けてある決意に至った瀬名。「八蔵、頼みがある」と真っ直ぐこちらを見る瀬名には正直、恐さを感じました。誠実で真っ直ぐで腹が決まったその姿は強さそのもので、暴力よりも強力な力を感じました。何かを変える人は優しさと怖さを同時に持つ人なのかもしれません。

有村架純さんはとても不思議な方でした。飄々と淡々としているようで、一度動き出すと感覚の塊がそこにあるようでした。合間にお話させて頂いた際もとってもおもしろくて忌憚のない方で、接していてしみじみ好奇心が湧いてくるような。

ある日、前室で待機している間、有村さんと古川琴音さんと3人で話していたのですが、ふと有村さんが居なくなって、不意に戻られた時に「これどうぞ」とデコポンを僕と古川さんに下さいました。それが本当に本当に嬉しくて大袈裟でなく頬擦りしながら泣けてきました。家に帰っても何度も手に取り惜しみながらも大切にそのデコポンを頂戴しました。甘さも酸味もギュッと詰まった最高に美味しいデコポンでした。劇中でも貝殻に詰まった軟膏、それを包んでいる手拭いを頂戴しました。身体が痺れるくらい嬉しかったです。劇中に下さいました軟膏と手拭い、撮影の合間に頂いたデコポン、どちらも山田八蔵、米本学仁にとって格別なものとなりました。

――前作「鎌倉殿の13人」で演じられた工藤茂光に続き、2作連続の大河ドラマご出演となりました。ご出演が決まった時のお気持ちはいかがでしたか。そして、無事収録を終えられた今のお気持ちはいかがですか。

先ず率直に嬉しかったです! 大河ドラマで演じられること、日本全国、老若男女沢山の人に届く作品を生きられるのは幸せなことです。そんな大河ドラマの中に必要とされるのが本当に嬉しいです! おっきな『アイラヴユー』をまた一つ頂戴しました!

「鎌倉殿の13人」に続き、今回も歩き方を大切にしたいと思い役に向き合いました。日本刀を手に、差しながら歩くこと、その上で迫力を失わないことをどう両立させられるのかは簡単ではありません。迫力は一つの結果ですが、それは同時に想いや決意の表れでもあるので、山田八蔵の想いを損なわず、どう歩くのか(考証の先生に)ご相談させて頂きました。こういう問いに深い考察を経たお答えを受けられること、答えて下さる先生がたがおられるのが大河ドラマのすごさの一つだと思います。

「どうする家康」では山田八蔵を生きさせて頂きました。とことん独りで生きることもありつつ、つくづく一人では生きていないんだと感じられることも沢山ありました。米本学仁から産まれる汗や重さ、大きさを活かして下さり、時には台本にない動きが湧いて出て来たのを助監督さんが『こういうことやりたいんじゃない?』と感じ取ってくれたり、監督も『それやってみましょう』と背中を押してくれることがありました。

そして松本潤くん、殿が合間に掛けてくれた『頑張ってね!』にグッと来て勇気をもらいました。そんなみなさんに米本学仁は活かされて山田八蔵を精一杯、いやそれ以上に生きることが出来ました。なんか今書きながら泣けてきます。そんな当たり前ではない愛を届けてくれた「どうする家康」の皆様に感謝です。

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