大河ドラマ『どうする家康』(NHK総合 毎週日曜20:00~ほか)の冒頭、「大河ドラマ」の文字の背景が毎回違う。第1回「どうする桶狭間」では桶狭間らしき地形、第2回「兎と狼」では狼に追われる兎、第3回「三河平定戦」は燃える城、そして先週放送の第4回「清須でどうする」では仮面だった。毎回、その回の象徴的な絵になっていて、それも楽しみのひとつになってきた。

  • 『どうする家康』お市役の北川景子

第4回ではなぜ仮面だったか。徳川家康(松本潤)が織田信長(岡田准一)の清須城へ出向くと、仮面をつけた人物が現れ一戦交えることになる。仮面の下は、信長の妹・お市(北川景子)であった。その前に、家康が信長とのやりとりの練習のため、七之助(岡部大)が似顔絵を書いた紙をかぶっている場面もあった。

興味深いのは、1月から放送されているドラマで仮面が出てくる番組はこれで4作目であることだ。まず同じ日曜日放送で、『どうする家康』のあと21時からの日曜劇場『Get Ready!』(TBS)は主人公(妻夫木聡)が仮面をつけていて、仮面ドクターと呼ばれている。また、土曜日放送の『大病院占拠』(日本テレビ)では病院を占拠した仮面をつけている者たちと主人公(櫻井翔)の攻防が繰り広げられている。火曜日放送のドラマ『夕暮れに、手をつなぐ』(TBS)では仮面アーティスト(増田貴久)が登場し、第3回ではヒロイン(広瀬すず)の相手役・永瀬廉が節分の鬼のお面をかぶっていた。

なぜいま仮面だらけなのか。筆者が推測するに、コロナ禍、マスク着用が必須で撮影に気を使わなければならないため、最初からマスク(仮面)をかぶっていれば感染予防の手間が省けるということではないだろうか。飛沫は防げるし、メイクも簡易で済む(接近するヘアメイク作業にはことのほか気を使うようなので)。というのは半分冗談だが、戦国時代の演劇(能)では演者は仮面をつけていたから『どうする家康』に仮面が出てくるのは不自然ではない。その上、市は女性ながら男に負けずに戦いたいと思っている人物で、仮面をかぶって性別を曖昧にするという意味にも解釈できて、必然性があった。

信長の仮面つながりを意識した似顔絵は遊び心であろう。『どうする家康』のノベライズを書いている筆者が参照した台本には、市が仮面をかぶっている描写はあったが、信長の似顔絵描写はなかった。台本には変更があるものなのでどの段階で加わったかは定かではない。少なくともこういう遊びが足されていくのはいい現場であると思う。

仮面を外すと別の顔、人間の二心の象徴である。『どうする家康』は誰もが二心を持ち、他国を出し抜き領土を広げこの世の覇者を目指していく。家康はこれまでのイメージでは何を考えているかわからない狸親父であった。つまり狸の仮面をかぶっていたというイメージ。それが『どうする家康』では、仮面のない、むき出しのヘタレキャラである。みんなが殿の弱い面を目の当たりにしている。どうすりゃいいんじゃと迷ってばかりの家康が、第3回では今川につき、仲間を裏切ったが、第4回ではついに今川を敵に回す決意をする。

一方、信長は恐怖の魔王的なイメージだ。清須城の表側は妙に乾いた荒野のようで、灰色で、緑がまったくなく、異国のように見える。内側に入るとやや緑もあったが、入り口と広場のビジュアルはこれまでの時代劇ではあまり見ない。アジア映画のように感じたが、この頃の城はいわゆる日本の城ではなく、京都御所のような平地に広く作られていたそうだ。それにしても緑がなさすぎて不安感があるわけは信長のこれまでの武将たちとは違う存在感の現れであろうか。

市は、信長がこの10年来、誰とも相撲をとったことがなく誰にも心を許していなかったが、家康とは相撲をとり、心を許しているように感じると語る。城の雰囲気は信長のその心を象徴しているようにも感じる。

市は信長には「大切になさいませ、兄上が心から信を置ける方はあの方お一人かもしれませんから」と家康を高く評価したように言う。信長は家康とは仮面を外して本音でぶつかりあえる同士になれるのか。『どうする家康』が、そういう物語が主軸になるかはまだわからない。少なくとも家康は今後、叔父・水野信元(寺島進)がサイコロを転がして運を天に任すように、常に選択しないといけなくなり、その結果で生き残って天下をとることに、史実的ではなる。これからの家康は徐々に仮面をかぶってこれまでのイメージである狸親父(策略家)のようになって生きていくのか、それともむき出しのままなのか、どうなる家康?

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