とりわけ、ジョン・レノンから「愛とは時につらいものけど、必ず次のチャンスが来る」という言葉をかけてもらったというエピソードが胸に染み入るが、本編に収録できなかったようなほかのエピソードについても聞いてみた。
「彼らと別れる時に、『さよなら』と挨拶をしたら、ジョンから撮った写真を送ってほしいと言われました。それで、アップル・コア(ビートルズが設立した会社)に電話をしても、きっとつないでくれないだろうからと、彼が自宅の電話番号をくれたことは覚えています。その後、1970年の大阪万博で、IMAX映画を手掛けることになったので、彼らの写真を大きく引き伸ばしたものを使うことになり、その時に使った4枚の写真をそれぞれメンバーに送りました。でも、結局彼らほどのビッグスターが、新しい友達を必要としているわけがないと思ったし、自分自身もそうなりたいと思わなかったので、名刺も渡さなかったです」
そこは、人づきあいにおけるサルツマン監督ならではの紳士的なマナーだったに違いないが、実に好感が持てる。「だからあくまでも一方通行なやりとりで、僕が彼らに写真をプレゼントしただけです。僕はそれでいいと思ったので、それ以上のことはしていません」と言うが、そういう監督だからこそ、ビートルズの4人は彼に心を許したに違いない。
実際、サルツマン監督がアシュラム内で撮影したジョンやポールの表情は、実に無防備で自然体なものばかりだ。「アシュラムでは、音楽や仕事の話なんて一切しませんでした。したのは瞑想についての話や、食べ物、ファッションの話題くらいです。確か、ジョンとポールは、いつかタージマハルへ行ってみたいと言っていた気がしますが、それ以上の特別なトピックはありませんでした」
映画の最後に「ジョン・レノンと、ジョージ・ハリスンを偲んで」というクレジット表記が入っているが、サルツマン監督は2人について「本当に感謝しかありません」としみじみ語る。「あなたたちが私の人生を変えてくれましたから、愛情を込めてそう入れました。今でも愛しています」と言ったあとで、「ドウモアリガトウゴザイマス」と日本語でも感謝の意を示してくれた。
ビートルズがインドでマハリシの下で講義を受け、そこでインスパイアされたことで、これまでにない多種多様な楽曲が収録された傑作、ホワイトアルバムが誕生したのだから、なんとも感慨深い。
また、サルツマン監督が撮った、ビッグスターではない“素”のビートルズの写真を見ると、いかに4人がその8日間、スターという看板を下ろして、いち人間として過ごしていたのかが手に取るようにわかる。『ミーティング・ザ・ビートルズ・イン・インド』は、まさにビートルズのファンでなくても、新鮮な驚きや感動を与えてくれる映画となっている。
1943年生まれ、カナダ人のプロデューサーでディレクター。2度のエミー賞を受賞。1968年、インドのマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーのアシュラムで瞑想を学び、ザ・ビートルズ、ミア・ファロー、ドノヴァン、ビーチ・ボーイズのマイク・ラヴらを撮影した写真は、著書『The Beatles in Rishikesh』(Viking Penguin、2000)として出版され、2018年に50周年特別版として再出版された。1970年の大阪万博のために製作された最初期のIMAX映画では、第2ユニット監督とプロダクション・マネージャーを務めた。1973年に、プロダクション「サンライズ・フィルムズ」を、2011年には、非営利団体Moving Beyond Prejudiceを設立。1960年代に学生非暴力調整委員会 (SNCC)とともに南部の黒人有権者を組織して以降、平和のための活動家、提唱者としても活動している。
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