大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(NHK総合 毎週日曜20:00~ほか)第16回「伝説の幕開け」(脚本:三谷幸喜 演出:末永創)は前半、宇治川の戦いで追い詰められた木曽義仲(青木崇高)が散り、後半、源義経(菅田将暉)が鵯越えして一ノ谷で平氏を攻めた。

  • 『鎌倉殿の13人』源義経役の菅田将暉(手前)

三谷幸喜は『真田丸』を1話45分間の構成をだいたい前半、後半で場面転換するように書いているように見えた。『鎌倉殿』でもそのスタイルは踏襲しているようで、第16回は、前半25分が義仲ターン、後半が義経ターンになっていた。

敗北する者は、義仲も、平宗盛(小泉孝太郎)も、いいこと言いそうなとき、あるいは言ったあとに意外な目に遭う。義仲が潔く自害しようと思って「ひとつだけ心残りがあるとするならば……」としんみり言いかけた瞬間、矢が額に刺さり(たぶん即死)、宗盛は安徳天皇雄に「この一ノ谷に敵は参りませぬ」と安心させた途端に源氏が攻めてきて立場なしだった。第15回の上総広常(佐藤浩市)もそうで、刀を善児(梶原善)にすられたため戦うことすらできずに死んだ。敗れる者はかっこつけることもできない。プライドを踏みにじられ、ただただ哀しい最期だ(宗盛はまだ死んでいません)。

義仲に促されひとり落ち延びた巴御前(秋元才加)は途中、武者たちに囲まれ応戦するも和田義盛(横田栄司)に気に入られる。大切にされればいいけれど、義盛には妻がいるのだ。その人物がうさぎのようにおとなしくて物足りないという理由で巴のような気丈な女性を好ましく思ったということで、少なくともきっかけは感心したものではない。坂東武者は京都の者とは違って、ひとりの妻を大切にするのではなかったのか……。頼朝(大泉洋)宛の手紙に描いた絵がかわいいからといって済まされないぞ。

話を戻そう。負けたら、身も心もズタズタになる。だからこそ負けられない。生きたい。その気持ちが人々を駆動する。八重(新垣結衣)は生まれた金剛によって誰かのために生きようと思うようになった。その表情は以前よりも安定している。

おもしろいのは義経。彼は生きるために勝ちたいという欲望よりは、戦の作戦を立てることに楽しみを見出している。やたらと頭が働くのだ。囲碁や将棋の達人が対局の先々の手が見えるというが、まさにそういう感じ。凡人は気づくことのできない未来が見えている。彼以外の者たちには説明しないとわからないことに苛立つ。

頭の切れる梶原景時(中村獅童)すら義経にはかなわない。小ばかにされムッとしながら、義経の発想には一目置いている。ネットでは2人の関係を天才・音楽家アマデウス(モーツァルト)と彼に愛憎を抱く宮廷楽長サリエリの複雑な関係と重ねる声もあがっていた。三谷幸喜は、義高を演じている市川染五郎の祖父・松本白鸚が松本幸四郎時代に主演した舞台『アマデウス』を観て、そのセリフのひとつ「凡庸なる者の守り神」をエッセイで取り上げている。三谷幸喜が敗者の物語を描き続ける理由はこのセリフにも関係がありそうだ。

この戯曲は映画にもなりアカデミー賞作品賞ほか8部門を受賞している。史実に囚われることなく自由にフィクションを盛り込んだエンターテインメント大作である。

“あんたも同じだよ この世の凡庸なる者の一人 私はその頂点に立つ 凡庸なる者の守り神だ”とサリエリは語る。神はなぜ切望だけ与え才能を授けてくれなかったのかと嘆くサリエリ。神から才能を与えられた者と努力してもそこに到達できない者との残酷な差異。これを『鎌倉殿』に置き換えると、義経は天才で、あとは皆、凡庸な者たちばかりである。あるいは、生き残ることの天才・頼朝と、その他の凡庸な者たちにも当てはまるかもしれない。

義経も、頼朝も、自分の欲望を実行するためには手段を選ばない。彼らが自分の人生を突き進むなかで多くの者たちが犠牲になっていく。上総も義仲も熱い切望を持ちながら形にできないまま潰えていく。クーデターを起こそうとしてもできず、文字も報告書もうまくない。血気盛んなところだけが取り柄。そんなふうに凡庸に生まれたことが悪いのか。凡庸だと天才の下敷きにならないといけないのか。『鎌倉殿』はその凡庸な者たちの哀しみをけっして美化しないように描いている。なぜならきっと彼らそのものを愛おしんでいるから。そう思うと、この主題は、義経と景時だけには終わらず、最終的に凡庸の頂点であるサリエリになるのは北条義時(小栗旬)ではないだろうか。結論はもう少し先に譲りたい。

さて。第16回では、義経の見せ場のひとつ・鵯越えが、急な山道を馬と共に駆け下りる荒業を画にするのは難しいからか大胆に省略された。義経の活躍は第18回の壇ノ浦の“八艘飛び”に全精力を傾けているようだ。

鵯越えで思い出したのは朝ドラ『なつぞら』(2019年度前期)。主人公なつ(広瀬すず)がアニメーターになってアニメーション映画『わんぱく牛若丸』に携わる。牛若丸が馬に乗って崖を下りる場面を担当するなつに助言する坂場という人物が、『平清盛』では少年期の頼朝を、『鎌倉殿』では畠山重忠を演じている中川大志だった。彼は「のちの鵯越えの逆落としにつながる」と言う。残念ながらなつは義経の話を知らず話が噛み合わない(第71回)。その後、坂場はなつにアニメの真髄を語るなどして交流を深めていく。あれから3年、畠山になった中川が義経とともに鵯越えに参加するとは胸が熱くなる。この場面はいっそアニメで見せてもよかったのではないだろうか(無理)。

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