13日に放送された大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(NHK総合 毎週日曜20:00~ほか)の第6回「悪い知らせ」(脚本:三谷幸喜 演出:保坂慶太)を流れるのは子を思う親の気持ち。ひとりは、頼朝(大泉洋)が大切にしている御本尊を取りに行った宗時(片岡愛之助)を待つ時政(坂東彌十郎)。ひとりは、頼朝との子・千鶴丸が寺に預けられたと信じていた八重(新垣結衣)。どちらの子の顛末も悲劇的なもので時政も八重も胸を痛める。いずれも子を失った悲しみには変わりはないがその背景は複雑だ。

  • 『鎌倉殿の13人』時政役の坂東彌十郎(左)と義時役の小栗旬

時政が三浦義澄(佐藤B作)と語り合うシーンが印象的だった。義澄はだいぶ中年ではあるが戦で親・義明を亡くした子の立場である。

時政「親父殿 無念だったな」
義澄「戦で死ねたんだ 本望 本望」
時政「だな」
義澄「お互い乗り越えていこうや」
時政「一緒にするんじゃねえ。三郎は戻ってくると言ってるじゃねえか」

そんなやりとりをしていると、義時(小栗旬)が悲しい知らせを持ってくる。気を利かせてそっと場をあける義澄。彼の子・義村(山本耕史)はなかなかたくましく生き抜いている。

「これからだってのに 何やってんだか」と宗時の不在を嘆く時政のぶっきらぼうな言い方が余計に悲しい。逆に彼のやりきれなさを強烈に浮き上がらせたといってもいい。

一方、多感な十代の義時は瞳をうるうるさせまくる。小栗旬は悲しい瞳をしたら妻夫木聡に続くくらいの名演技を見せる俳優。これまで彼のうるうるした瞳でどれだけドラマや映画が盛り上がってきたか。今回も横顔の瞳に光が当たったときの憂いがなんとも悲しく美しかった。義時は頼朝が戦を続ける決意を聞いたときもうるうるしている。頼朝はここで殊勝に自分が本尊を求めなければ宗時は死なずに済んだのではないかと後悔を述べているが、本当にそう思っているのか定かではない。このとき、義時は兄がどこかで生き延びている可能性を信じたいと思って涙をこらえようとしている。その健気さがまた悲しみをいっそう募らせた。

うるうるの義時と並び、八重もまた千鶴丸の墓を見て、横顔から涙がこぼれ落ちそうな一瞬がじつに儚く美しい。

八重の子供への想いも複雑だ。彼女にとって千鶴丸は唯一、政子(小池栄子)に勝てる切り札である。江間から伊豆山権現までやって来て政子に対峙し、頼朝が夢枕に立ったとマウントをしかけるが、政子が自分のほうに先に立ったと嘘をついて対抗してくるものだからやりきれない。その帰り、頼朝と政子の娘・大姫を見て微笑みながら(子供に罪はない)、千鶴丸に会いに行こうと思いつく。おそらく、それも頼朝の子しかも男子がいるということで八重が政子に優位に立てると思ってのことだろう。千鶴丸の存在を見れば心が安定すると考えたに違いない。もちろん何年も会っていない子供が純粋に心配と言う気持ちもあるだろう。

まずは長男が有利、そういう時代だ。家や血筋の縛りはこの時代の禍々しい出来事の要因である。大事だからこそ殺すことが手っ取り早い得策になってしまう。宗時も千鶴丸も、伊東祐親(浅野和之)が自分の立場を有利にもっていくために善児(梶原善)に命じて殺害した。自分の身内でも敵になったら徹底的に根絶やしにする。自分の子孫を残すことが生き物の本能だとしたら、子孫が生き残るために敵対するものの子孫は潰す。これが生き物の本能であり戦の根源なのだろうか。だんだんと人間が進化してその本能を抑制することを今は身につけつつあるがまだまだ過渡期である。争いはなくならない。

宗時の死を察した時政が義時に「わしより先に逝くんじゃねえぞ」と至極全うなことを言う。年齢順に亡くなっていくのが自然の理なのに、お年寄りが若い子供の命を奪うってやっぱりおかしいよなあと思うから、時政のこの台詞はとても胸に響いた。

正当な源氏の血筋ゆえ平氏の手で伊豆に流された頼朝もまた悲劇の子供だったわけだが、運良く殺されることを回避して生き永らえている。神様に祈り続けているからか、洞窟で隠れていたときも、梶原景時(中村獅童)に見逃してもらっている。そのとき、雷鳴が激しくなったことも手伝って、天に守られている(今でいう「持ってる」)頼朝を擁した坂東武者たちには、これまでの一族の絆とはちょっと違う雰囲気が漂う。

頼朝を中心に寄せ集めの人たちが団結する。「お主たちの顔を見ているとなにやら勇気が湧いてくる」なんて言って笑う頼朝の言葉を受けて笑っている坂東武者たち。歯がない佐々木秀義(康すおん)を筆頭に土肥実平(阿南健治)や岡崎義実(たかお鷹)という老兵たち。若いが、義村の合図を勘違いして戦をはじめてしまった早とちりの和田義盛(横田栄司)や、頭はいいがまだまだ子供の義時など一人前に満たない者たちばかりなうえ、人数も圧倒的に少ない。

天に守られているという神頼み以外、不利な状況下で彼らがどう巻き返していくかというところが子供のとき読んで胸躍らせた冒険譚のような気配が立ち上る。童話にはちょっとこわいところもあるけれど危険を主人公たちが切り抜けていく楽しさがあるもので、第6回はそのよくできた童話のようなムードがうまくできあがっていた。例えるならば、NHKで昔放送されていた人形劇の『新八犬伝』や『真田十勇士』のような雰囲気を生身の人間がやっているような見せ方が『鎌倉殿』には合っていると思う。それは、大人の騙し合いの根底に子供が無事に育っていくことを願う気持ちが潜ませてあるような気がするからだ。

(C)NHK