26日に最終回を向ける大河ドラマ『青天を衝け』(NHK総合 毎週日曜20:00~ほか)。第40回「栄一、海を越えて」(脚本:大森美香 演出:黒崎博)では、最後の将軍・徳川慶喜(草なぎ剛)が徳川歴代将軍一の長寿記録を作って亡くなった。77歳。その前に渋沢栄一(吉沢亮)悲願の慶喜の伝記「徳川慶喜公伝」も作ることができた。伝記を残して慶喜が亡くなったことを惜しみながらこれまでの慶喜の名場面を振り返ろう。

  • 『青天を衝け』徳川慶喜役の草なぎ剛

【名場面その1】第40回 「生きていてよかった」

直近の第40回の慶喜と栄一。ここに『青天を衝け』のすべてがあったように思う。ようやく出来上がった伝記の原稿に付箋をつけて栄一に渡す慶喜。あたたかそうな日差しふりそそぐ縁側に座り、「いつ死んでおれば徳川最後の将軍の名を汚さずに済んだのかとずっと考えてきた」と振り返る。

慶喜「しかしようやく今思うよ。生きていてよかった。話をすることができてよかった。楽しかったなぁ」
栄一「はい」
慶喜「しかし困った。もう権現様のご寿命を超えてしまった」
栄一「よく生きてくださいました」
慶喜「そなたもな。感謝しておるぞ。尽未来際共にいてくれて感謝しておる」

栄一は涙しながら笑い、慶喜は心から満たされたように笑う。「快なり」と父の口癖を叫び笑う顔に注ぐ光は柔らかだった。

数奇な運命に導かれてきた2人の共通点は激動の中を生き延びてきたことである。『青天を衝け』は何がなんでも生き延びた2人の物語だった。2人は各々、率先して闘って命を落とすよりもとことん戦を避けてきた。慶喜は将軍でありながら戦の先頭に立たず、栄一はその都度、支持するものを変えた末、商売や実業の道を歩む。第40回でははっきり「NO WAR」と主張していた。生き延びるための得策――それは第一に戦わないことである。

【名場面その2】第16回 「私は輝きが過ぎるのじゃ」

慶喜が絶対的な信頼を寄せていた家臣・平岡円四郎(堤真一)との別れの回。このときは円四郎が「尽未来際どこまでもお供つかまつりまする」と慶喜に言っていた。徳川家に生まれ、将軍候補にもなる立場だったため誰にも心許せず孤独だった慶喜が唯一心を許せた円四郎。彼に「私は輝きが過ぎるんだ」と抱えている悩みを吐露する。これまで輝き過ぎて多くの者の人生を狂わせてきた。でもその輝きは幻に過ぎないと慶喜は思っていた。

そんな彼に生涯尽くすから一緒におもしれえ世の中を作ろうと円四郎は慶喜を前向きにさせた。その矢先、円四郎は志半ばで暗殺されてしまう。雨に濡れるのもいとわず亡骸にすがる慶喜の表情が悲痛だった。とても悲しい出来事ながら、円四郎の意思を受けて、栄一が慶喜と尽未来際付き合っていくことになるのだ。

「輝きが過ぎる」という表現は、第39回の「己が戦の種になることだけは避けたいと思い、光を消して余生を送ってきた」と呼応している。江戸時代の終わりとともに慶喜は“過ぎる輝き”を消したのだ。

【名場面その3】第4回 農人形

第40回で慶喜は伝記づくりのための取材で“農人形”について話をしていた。農人形は第4回に登場している。円四郎が小姓として慶喜に仕えることになり、最初に飯をよそうがうまくできず、慶喜はうまくできる。そのとき慶喜は農人形に米粒を備え、米を作った民を忘れないことを習慣づけていた。それは父・斉昭(竹中直人)の教えだった。

上の立場だからといって決して奢らず常に民衆のことを考えるように教育されていた慶喜は、円四郎に諍臣(主君の非行を諌める役割)になってほしいと頼む。やがて出会うことになる栄一は農家の出である。慶喜が栄一のことを気に留めたのは、父の教えゆえであろう。国のトップに立つ者と民衆の理想の関係を慶喜と栄一が体現していたのだ。