栄一を三井銀行に入れようとしていた三野村利左衛門(イッセー尾形)は、栄一の家にやって来て家族にも気遣う時、正妻ではないくに(仁村紗和)にも渡すものを用意してくるから気が利いているやら利き過ぎているやら……というようなエピソードを入れることも単なる賑やかしてではなく、その後のゑい(和久井映見)の心情につないでいく。

ゑいにとっては千代(橋本愛)の子もくにの子も同じ孫としてかわいい。でもやっぱり千代のことを思うと胸が痛む。その後、栄一と話す時ゑいは「近くにいる者を大事にするの忘れちゃいけねえよ」と諭す。栄一は決して身近な者を忘れてはいない。例えば皇后陛下に渋沢家では蚕を歌いながら育てていたことを話している。家族の思い出の蚕の歌を歌う温かい部屋。それを別室でひとりで聞いているくに。淡い光の中、優しさと寂しさが同居する不思議な場面を経て、ゑいは息を引き取る。

どんなに政治や実業のダイナミズムを描いても、それを動かす人間は母から生まれ家族に育まれている。その認識こそが経済――お金のあり方を考える基準であってほしい。ゑいと栄一の関係性はそう思わせる物語に。「みんなが幸せなのが一番」。ゑいの精神を受け継いでいる。

栄一が井上馨(福士誠治)と共著で記した『財政改革ニ関スル奏議』(明治6年5月7日)には、政府の多額な負債を民衆の税で賄おうとしていることが書かれている。近代日本経済の神様的存在の栄一がここで釘を刺しているにもかかわらず、いまもなお民衆の税問題は……。

この頃の文章は渋沢栄一記念財団のホームページ「渋沢栄一伝記資料」としてネットで読めるようになっている。大森氏をはじめ制作スタッフはこういう資料を読み込んで作っているのだなと思うといやもう大変な仕事だと感じる。渋沢栄一がドラマで言う「変身」を繰り返すように尽くす人を変え職業を変えて様々なことを行っているから資料も膨大だろうし、近代になればなるほど残った資料も多いだろう。栄一がしきりに言う「合本(がっぽん)」という言葉に『あさが来た』のキメ台詞「びっくりぽん」を思い出してクスリとなっている場合ではない。

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