大隈は新政府にあぐらをかいているわけではなくこれから新しい世を作るために諸外国のやり方を取り入れ法律、軍事、教育、経済、通信……すべての制度を作るのだと朗々と語る。篤太夫の顔つきが変わっていく。「すなわち 日本中から八百万の神々ば集むるのも同じ」と言われすっかり聞き入ってしまう篤太夫。「さよう 君も神 おいも神ばい」「君もそのひとり 八百万の神の一柱ばい」と畳み掛ける大隈。神は一人、二人……とは数えず、一柱、二柱と数えるのである。これが篤太夫のやる気に火をつけた。自分たちを神に例えるとはなんて大それた発想なんだろう。今で言ったら「~今度は君たちが鬼殺隊を支える柱となるのだ」by煉獄さん(『鬼滅の刃』より)みたいなものであろうか。「柱」と聞くとつい『鬼滅の刃』を思い浮かべてしまう。

だがこの場面は脚本の大森美香氏の創作ではなく渋沢栄一の自伝にも記されていることで大隈は実際に自分たちを八百万の神に例えて篤太夫を口説いていた。自伝を読むとそれに対しては“と、懇切に説得されて、いまさら無理に辞退もできないことになった”とさくっと書いてある(守屋純氏による現代語訳版より引用)が『青天を衝け』では篤太夫の目は潤んで見え、胸がぐるぐるしているのがわかるように手を当てている。すっかり大隈に言いくるめられてはっと我に返る表情も、帰宅して「完全に言い負けた」と戸にもたれて恥ずかしそうにしている姿もどれもおかしれえ。

篤太夫が慶喜に相談に行くと「東照神君(家康)は偉大であった」と言う。あれほど偉大な人物はいない。だから八百万の神が集まるしかないと慶喜がしみじみ語るこの回、家康(北大路欣也)は出てこない。ほんとうに時代が変わった――たったひとりの強者が治めるのではなくみんなで力を合わせる世の中がはじまったことが印象づけられた。

すっかりやる気になった栄一は明治2年11月、新政府に出仕、ばりっと洋装でやって来て、三条実美(金井勇太)や岩倉具視(山内圭哉)や大隈や大久保利通(石丸幹二)や松平春嶽(要潤)が語り合っている場を大蔵省の集まりと思い込み、大隈の受け売りの「柱」の例えを使って演説をぶって大恥をかく。時代の変わり目はたくさんの血が流れ重たいムードだったが新しい時代を拓く明治編は大隈をムードメーカーぶりに栄一も持ち前の調子の良さを発揮して軽妙に進んでいくのだろうか。吉沢亮は相対する俳優のリズムをうまく掴んで変化していく器用さがあり、出演者の顔ぶれによって様々な表情を見せる。これだけ長い作品ながら飽きないのは吉沢の力によるところも大きいと感じている。

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