あれから42年が経つが、忘れられない「プロ野球昭和の名勝負」がある。 1979年の日本シリーズ、広島東洋カープvs.近鉄バファローズ第7戦。ともに球団史上初の日本一をかけての闘いだった。

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最終回のマウンドで、カープの抑えのエース江夏豊は味方のベンチに対してイラつく。この時、ファーストを守っていた「鉄人」衣笠祥雄が江夏に声をかけた。この一言が、試合の勝敗を分ける大きなポイントとなる。そして、試合直後に二人が交わした言葉とは?

■9回裏無死満塁

小雨が降り続く神楽月の大阪球場にナイター照明が灯される。
多くの観客で埋め尽くされたスタンドは、騒然となっていた。

1979年11月4日、3勝3敗のタイで迎えた日本シリーズ第7戦。広島東洋カープと近鉄バファローズの闘いは、最後の最後まで縺れた。
4-3、広島の1点リードで迎えた9回裏。マウンドに立つ江夏豊は、絶体絶命のピンチに立たされていた。
そう、あの『江夏の21球』(山際淳司著)として広く知られ、長く語り継がれる昭和プロ野球の名場面である。

この回の先頭打者、6番羽田耕一が初球をセンター前に弾き返した。無死一塁。代走に起用された藤瀬史朗がすかさず走る。スタートが遅れタイミングはアウトもキャッチャーの水沼四郎が悪送球、これをショートの高橋慶彦が止めることができずボールはセンターに転がる。この間に藤瀬は三塁へ進んだ。

7番クリス・アーノルドが四球を選び、代走・吹石徳一が盗塁を決める。無死二、三塁。続く8番平野光泰は一塁が空いたことで敬遠四球。
こうして広島は無死満塁、一打サヨナラ負けのピンチに陥ったのである。

近鉄ベンチは、この場面で9番山口哲治(投手)に代えて前年の首位打者、「左殺し」の佐々木恭介を打席に送った。
ヒット1本で同点もしくはサヨナラ、外野フライでも追いつける場面だ。近鉄ファンが大勢を占める大阪球場がどよめいた。

1-1からの3球目、江夏が投じた内角のストレートを佐々木のバットが弾き返した。ボールはジャンプするサード三村敏之の頭上をライナーで越え、二塁ランナーの吹石が三塁ベースを蹴ってホームへ駆ける。
サヨナラだ! スタンドからは歓喜の紙テープが舞った。
だが、打球はラインを割って芝生の上に落ちファウルに。近鉄ベンチとスタンドからため息が漏れた。

この直後だった。江夏の顔色が変わったのは。
佐々木の打球に肝を冷やしたわけではない。江夏はわかっていた。あのコースはバットに当てられてもファウルにしかならないと。そうではなくベンチが動いたことに苛立ちを覚えたのだ。

三塁側のブルペンで池谷公二郎と北別府学が肩をつくり始めていた。
それが視界に入った時、江夏はカーッとなった。
(ベンチは俺を信用していないのか。この場面を抑えるのは俺しかいないだろう。何をチョロチョロやっとるんだ!)

■「俺も一緒にやめてやる」

そんな江夏の異変にいち早く気づいた男がいた。ファーストを守っていた衣笠祥雄である。
(これはまずい。ユタカが冷静さを失ったら、この場面は抑えられない。絶対に日本一になるんだ、そのためには何とかしなければ)
そう思った衣笠は、すぐにマウンドに歩み寄った。

この時、衣笠32歳、江夏は31歳。チーム生え抜きと移籍2年目の違いはあったが、年齢が近い二人は気心の知れた関係にあった。気難しい江夏も衣笠の言葉には耳を傾ける。
「腹を立てるのはわかる。でもボールを持っているのはお前だ。いまは前だけ向いて投げろ」
衣笠はそう言葉をかけた。

「(ベンチは)何を考えとるんじゃ。これまで俺の後に誰かが投げたことがあるか。信用せえ!」
江夏の怒りは収まらない。
「いいじゃないか。(ブルペンに)誰がいようと。抑えて投げさせなきゃいい」
「簡単に言うなぁ、お前」
守備位置に戻る直前に衣笠は江夏の目を見て言った。
「絶対に勝つぞ。その後にお前がやめると言うんなら俺も一緒にやめてやるよ」

この一言で江夏は冷静さを取り戻した。
自分の気持ちを分かってくれる仲間がいることが嬉しかった。
(よし、サチのためにも絶対に勝つぞ!)
そう思えたことで集中力がよみがえったのだ。

まず佐々木から三振を奪う。さらに1番石渡茂のスクイズを見破ってボールをウエスト、ホームに突っ込む藤瀬をアウトにした。最後は気落ちした石渡を三振に切って取りゲームセット。 広島が初の日本一に輝いたのである。

後に江夏は言った。
「サチの一言で冷静になれた。だから、あの場面を抑えることができた」と。

他界する3年前の2015年に東京プリンスホテルで衣笠とゆっくりと会話する機会があった。その時、79年の日本シリーズの激闘にも話が及んだ。
「あの時はね、どうしても勝ちたかった。日本一になりたかった。その一心で何とかしなければと思ったんだ。ブルペンの件は仕方ないよ。古葉(竹識)監督にしてみれば延長戦のことだって考えただろうし。ユタカは、あの回だけじゃなくて7回から投げていたからね。

実はマウンドでのことより、優勝して球場から移動バスに向かう時に話したことの方がよく憶えている。ユタカが言ったんだ。
『なあ、来年は何を目標にすりゃええんやろなぁ』って。
私は答えたよ。
『来年も日本一になる。それができたら本物だ』と。
勝った直後なのに、そんなことを言って身が引き締まる思いがした。だから、いまもハッキリと憶えているのかもしれない」

広島東洋カープは、翌1980年も再び近鉄を破り日本一に輝く。赤ヘル黄金期─。

そして、いま改めて思う。衣笠祥雄の存在なくして『江夏の21球』は完結しなかったのだと。

<『生涯フルスイング! 「鉄人」衣笠祥雄の打撃を開眼させた意外な恩師とは?』に続く>

文/近藤隆夫