本書の中から伝わってくるのは、妻・ますみさんの存在の大きさだ。要所要所で大きな判断を決めたり、後押しになるひと言をかけたりしており、本の中では「妻」という記述が100回近くも登場する。

「僕の人生は、ものすごく仕事が大好きで駆けずり回ってるんですけど、長いリードで妻が手綱を持っているんです」と、今回の病気だけでなく、長年にわたって重要な判断が必要な際は、ますみさんの言うことに従ってきたそうだ。

印象に残るのは「フジテレビに入社してすぐ、あの『オレたちひょうきん族』で(片岡)鶴太郎さんとコーナーを持つことになって、もう有頂天になっちゃったんですよ。でも、それが2週で終わってしまい、すごく落ち込んでいたら、結婚前の妻から『それはあなたの問題じゃないし、2週で終わったことなんて何でもない。あなたはバラエティでウカウカしてないで、報道番組とか情報番組とか、地に足のついたことをやらないと、絶対うまくいかない』って言われたんです」と回想。

さらには、「入社して10年くらいでワイドショーの上司と大ゲンカしたときも、『ワイドショーから離れなさいよ』と言われて、そこから報道でメインキャスターになったという信じられないような転身もあったんです」と、助言が生きたことがあった。

テレビ東京のますみさんとフジテレビだった笠井アナは、同期の87年入社で、「お互いの仕事を見てよく批評をし合ってたんですけど、妻からの批評が的を射てるんです。『今日は悪ノリしすぎ』とか『元気がなさすぎ』とか、駆け出しのアナウンサーの頃から、妻のアドバイスが肝心なところで効いていました」と絶大な信頼を寄せるようになり、「すごく客観的に僕のことを見ていて、闘病中も後ろ盾になってくれたんですよ」と感謝。ブログやインスタの文章も、公開後に「こんなこと書いたら、がんの患者さんに失礼でしょ!」と修正されることがあるそうだ。

■一度も泣いたところを見たことがなかった

ただ、今回の病気に関しては「妻も相当きつかったと思いますね」と思いやる。

「同居していた妻の母が、告知から半年でがんで亡くなっているんです。小さな子供を抱えて、フルタイムで働きながらの介護生活は壮絶だったものですから、僕に対してもある種の覚悟というのはあったと思います」と想像するが、「妻は本当は精神的に弱い人なんですけど、私のがんに関しては、一度も泣いたところを見たことがなかった。『あなたは死なない』『大丈夫よ』『平気よ』『治るわよ』って、笑ってばかりいましたね」と、気丈に振る舞ってくれた。

それまで仕事第一で「家族としてはダメおやじだった」という笠井アナだが、今回の病気で家族との時間を持つことができ、関係が再構築できるという副産物もあった。

しかし、体の中からがんが消えた“完全寛解”となり、以前のようにバリバリ働きだすと、ますみさんから「あれだけの大病をして、あなたはまた元の笠井信輔に戻るんですか?」と戒められたそうで、「ますます妻に敵(かな)わなくなっちゃいましたよ(笑)」と苦笑いしていた。

●笠井信輔
1963年生まれ、東京都出身。早稲田大学卒業後、87年フジテレビジョンに入社し、『おはよう!ナイスデイ』『タイム3』『今夜は好奇心!』『THE WEEK』『FNNニュース555ザ・ヒューマン』『とくダネ!』『男おばさん!!』『バイキング』など、報道・情報番組を中心に担当。19年9月で同局を退社し、フリーアナウンサーとして活動するが、同年12月に悪性リンパ腫が判明し、療養へ。今年4月に退院、6月に完全寛解し、7月に仕事復帰すると、『男おばさん!!』(フジテレビTWO)や「第33回東京国際映画祭」のイベント司会などで活躍する。ほかにも、がん情報サイト「オンコロ」でインタビュー動画『笠井信輔のこんなの聞いてもいいですか』を公開し、新著を『生きる力 引き算の縁と足し算の縁』(KADOKAWA刊)を11月18日に刊行。