廃線の噂される鉄道路線は全国各地にあり、その多くが過疎地域を走るローカル線だ。一方、大都市近郊にも廃線の噂が絶えない路線があり、代表格として神戸電鉄の粟生(あお)線が挙げられる。粟生線は神戸市内の鈴蘭台駅から三木市、小野市を経て粟生駅まで結ぶ全長29.2kmの路線。大半の列車が神戸市の中心地に近い新開地駅まで乗り入れる。
一見すると都市と郊外を結ぶ通勤路線として機能し、廃線とは無縁のように思えるが、粟生線の現状は厳しい。今年は新型コロナウイルス感染症の影響もあり、厳しい状況に拍車がかかっているように感じられる。
■「会社の維持も難しい」4~6月は前年比44.8%減
平日10~13時台の粟生線のダイヤを見ると、鈴蘭台~西鈴蘭台間が毎時4本、西鈴蘭台~三木間が毎時2本、三木~粟生間が毎時1本。平日朝・夜のラッシュ時間帯になると、鈴蘭台~西鈴蘭台間は毎時5本程度、西鈴蘭台~小野間は毎時4本程度、小野~粟生間は毎時2本程度に増える。
列車は新開地駅発着を基本とするが、鈴蘭台~西鈴蘭台間の区間列車も存在する。時間帯により、粟生線の主要駅である志染駅、三木駅、小野駅で折り返す列車もある。
粟生線から新開地駅へ乗り入れる列車は、普通だけでなく準急も多い。ただし、準急といっても通過駅は新開地~鈴蘭台間の2駅(丸山駅、鵯越駅)のみ。粟生線内はすべての駅に停車する。日中時間帯における新開地駅からのおおよその所要時間は、西鈴蘭台駅まで20分、小野駅まで63分、粟生駅まで68分。朝ラッシュ時間帯、粟生駅または小野駅から新開地駅へ急行が運転されるものの、これも粟生線内の2駅(木津駅、藍那駅)と鈴蘭台~新開地間の3駅(鵯越駅、丸山駅、長田駅)しか通過せず、所要時間は大差ない。
都市型郊外路線の趣がある粟生線だが、1992(平成4)年の1,420万人をピークに輸送人員の減少が止まらない。2015(平成27)年の輸送人員は646万人で、ピーク時の半分以下だった。今年はさらに新型コロナウイルス感染症の影響を受け、粟生線の4~6月の利用客数は約116万人、前年同期比で44.8%も減少している。神戸電鉄側も、「路線だけでなく、会社の維持も難しい」と発言しており、粟生線がより厳しい状況に追い込まれていることは間違いないだろう。
輸送人員の減少は列車本数の削減にもつながっている。2012(平成24)年5月のダイヤ改正では、日中時間帯における志染~小野間の列車本数が毎時4本から毎時1~2本に減少した。今年3月に行われたダイヤ改正では、沿線の三木市からの要望により、志染~三木間において日中時間帯の増便が実現したものの、新型コロナウイルス感染症に伴う乗客減で、逆に減便が取り沙汰されている。
■三宮方面へ直結、神姫バスが立ちはだかる
筆者は8月30日、北条鉄道法華口駅で開催された「行き違い設備完成記念式典」を取材した後、帰りに粟生線を利用した。乗車した列車は粟生駅を13時10分に発車する新開地行の準急。使用車両は高度経済成長期の標準塗装であったオレンジとシルバーグレーのカラーリングを施した1000系1350型1357編成(4両編成)だった。
粟生駅は神戸電鉄粟生線とJR加古川線、北条鉄道の3路線が接続し、地図上では兵庫県播州地方の主要駅のように見える。しかし、実際は小野市の市街地から離れた場所にあり、駅周辺に列車の待ち時間を過ごせるような店舗や施設も見当たらない。粟生線は今年3月のダイヤ改正で、JR加古川線、北条鉄道と接続しない粟生駅発着の列車を取りやめた。3路線とも日中時間帯は1時間に1本しか列車が来ないダイヤになっている。
新開地行の準急は13時10分、定刻に粟生駅を発車したが、各車両の乗車人数は5人にも満たなかった。13時14分、小野市の中心駅である小野駅に着くと、部活動帰りと思われる高校生が乗り込んできた。それでもホームは閑散としている。
その後も各駅に停車しながら粟生線を走行し、13時26分、三木駅に到着した。「金物の町」として知られ、約7万5,000人の人口を有する三木市の玄関口となる駅だが、乗車人数は10人程度と寂しい。三木駅の駅舎は2018年3月の火災で焼失したが、これから新駅舎が整備される予定で、8~9月に外観デザイン投票が行われたという。
この三木駅も含め、粟生線には町の中心部や住宅地区から微妙に離れている駅が多い。そして恵比須駅を過ぎたあたりから、沿線の道路を走る神姫バスの姿が目立ち始める。神姫バスは粟生線沿線の町の中心部や住宅地区から、神戸市の中心地である三宮までダイレクトに結ぶ、まさに強敵といえる存在。粟生線と比べても所要時間はさほど変わらず、運賃も安い。高速バスタイプの車両で運行されるため、ロングシートの電車よりはるかに快適な移動が可能になっている。
粟生線の準急は13時34分、主要駅の志染(しじみ)駅に到着。ここでようやく、新開地方2両目まで座席の約3分の2が埋まった。客層を見ると20代前後の若年層が目立ち、次いで高齢者が多い印象。こどもたちを連れた家族の姿は見かけなかった。
しかし窓の外を眺めると、こどもたちを乗せた自家用車が沿線の道路を走り、ファミリーレストランの駐車場でも家族連れを見かけた。このあたりでは、自家用車を持たない学生や高齢者が粟生線の電車を利用し、社会人になると近場の移動は自家用車、通勤等で三宮方面へ行くなら快適かつ乗換えなしのバスを利用するのだろう。
押部谷駅から西鈴蘭台駅までは単線と複線が混在する区間になる。粟生線の複線化は沿線開発に伴う輸送力増強に対応するため、1970年代末から1980年代にかけて行われてきた。同時期に見津車庫(木津~木幡間)の建設も進められた。
粟生線の輸送人員は1992(平成4)年をピークに減少したが、住宅開発計画への対応と混雑緩和を目的とした輸送力増強工事等は2003(平成15)年まで進められた。しかし、バブル崩壊とバス路線の新設によって輸送人員は減り続け、輸送力増強に伴う多額の資金の回収が困難になった。その結果、粟生線は赤字基調となり、累積赤字は100億円を超えた。
13時59分、西鈴蘭台駅に到着。駅前にマンションが見られるものの、乗車した人数は5人程度だった。その後、有馬線と合流する鈴蘭台駅でまとまった乗車があり、50パーミル超えの急勾配を下って長田駅と湊川駅に停車。湊川駅から1駅間のみ神戸高速線となり、14時17分に終点の新開地駅に到着した。神戸電鉄の他に阪急電鉄、阪神電気鉄道、山陽電気鉄道の列車も乗り入れる駅で、ほとんどの乗客が神戸三宮・大阪梅田方面をめざすべく、阪神・阪急ホームへ向かったようだった。
今回乗車した列車は、粟生駅を発車してから新開地駅に到着するまで1時間7分かかった。新開地駅で乗り換え、阪急電鉄の神戸三宮駅まで利用した場合、粟生駅から神戸三宮駅までの所要時間は1時間20分となる。準急といっても、粟生線内は実質的に普通列車と言って差し支えない運行形態であり、実際の距離以上の長さを感じた。なお、粟生駅から神戸市中心地に向かうなら、JR加古川線を利用し、加古川駅で新快速に乗り換えたほうが早い。日中時間帯における粟生駅から三ノ宮駅までの所要時間は1時間弱とされている。
昨今の社会情勢や交通環境を考慮すると、粟生線の取り巻く状況はやはり厳しいと言わざるをえない。しかし列車を減便すればするほど、粟生線から客足が遠のくように思う。なんとか反転攻勢に転じられる好材料はないものか……。粟生線の今後を見守ることしかできないのがもどかしい。