2020年7月31日より、映画『がんばれいわ!! ロボコン ウララ~! 恋する汁なしタンタンメン!!の巻』が全国劇場にて公開されている。

『がんばれいわ!!ロボコン ウララ~! 恋する汁なしタンタンメン!!の巻』とは、1974年に東映が製作したロボットコメディードラマ『がんばれ!!ロボコン』(原作:石ノ森章太郎)を現代によみがえらせた作品のこと。全国的に大ヒットを飛ばした『ロボコン』のリメイクとしては、1999年の『燃えろ!!ロボコン』以来2度目となる。

デザインを一新し、よりメカニカルな外見となった「令和」のロボコンだが、真ん丸の目玉、そしてずんぐりむっくりとしたスタイルなど、全体のイメージは元祖ロボコンと変わらない。いつの時代でも、子どもたちから「ロボコンみたいな友だちが自分の家に来てくれたらいいな」と思わせる親しみやすさを感じさせる、不滅のキャラクターだといえるだろう。

映画の公開を記念して、マイナビニュースでは本作の演出を務めた石田秀範監督へのインタビューを敢行した。
※インタビュー中には本編の内容に触れている箇所があります。まだ映画をご覧になっていない方はご注意ください。

  • 石田秀範(いしだ・ひでのり)。1962年、富山県出身。専門学校卒業後、東映テレビ・プロダクション助監督を務め、1991年『特救指令ソルブレイン』の第19話で監督デビューを果たす。『仮面ライダークウガ』(2000年)から始まる平成仮面ライダーシリーズで多くの傑作エピソードを演出し、綾野剛、竹内涼真をはじめとする若い俳優たちを厳しく鍛えあげた。『がんばれいわ!!ロボコン ウララ~! 恋する汁なしタンタンメン!!の巻』(2020年)は『仮面ライダーアマゾンズ THE MOVIE最後ノ審判』(2018年)、『GOZEN-純恋の剣-』(2019年)に続いての劇場映画作品となる

『仮面ライダークウガ』(2000年)から始まる「平成仮面ライダー」シリーズで活躍したほか、WEB配信ドラマ・劇場映画としてリリースされ、そのショッキングなバイオレンス描写やハードなストーリー描写で特撮ファンの度肝を抜いた『仮面ライダーアマゾンズ』(2016年)シリーズのメイン監督を務めた石田監督は、今から20年前の『燃えろ!!ロボコン』でも14本ものエピソードを(ヒデ・I名義で)手がけた実績を持っている。さて、石田監督が令和の時代に"復活"させたロボコンはいったいどんな「事件」を巻き起こすのだろうか、ぜひとも劇場で確かめてみてほしい。

――石田監督が東映の映画作品を手がけられるのは、2019年のシリアスな時代劇『GOZEN-純恋の剣-』以来だと思いますが、今作はまったく正反対の方向にあるロボットギャグコメディーですね。「ロボコンの監督を~」というお話はどなたから来たものなのでしょうか。そして依頼を受けたとき、抵抗のようなものはなかったでしょうか。

お話は東映の白倉(伸一郎/プロデューサー)さんからですね。もともと僕自身、特にジャンルにとらわれたりするタイプの監督ではなく"職人"だと思っていますし、シリアスなドラマでもコメディーでもなんでも来いという姿勢なんです。だから次が『ロボコン』であっても、与えられた仕事を思いっきりこなせばいいという気持ちで臨んでいます。

――脚本を書かれた浦沢義雄さんとは『テツワン探偵ロボタック』(1998年)の第14話「恋する餃子の涙」や『燃えろ!!ロボコン』第11話「仲直り100点の方法」などでご一緒されています。浦沢さんが書くお話は無生物や食材が人間と同じように考えたりしゃべったりする、わりと不思議なシチュエーションが多いですよね。今回の台本を読まれたときのご感想はいかがでしたか?

まあ、最初は頭を抱えましたね(笑)。まいったな~またかよ!って。20年前から"浦沢節"はまったく変わっていませんでした。台本を読んだあと、「どうやって映像にすればいいんだこれ! 監督のこととか、現場での苦労も少しは考えてほしい」とは内心思いましたけど、口には出しませんでした。

――汁なしタンタンメンがロビンに恋をして~というあらすじを聞いた時点で、すでにただ事でなさすぎる特殊な状況に驚かされますね。浦沢さんの脚本を映像化するにあたって、もっとも大変なこととは何でしょうか。

浦沢さんのホン(脚本)は、書いてあるとおり忠実に映像化できないんです。やろうとしてもできない、と言ったほうがいいかな。浦沢脚本は「行間」が多い。キャラクターの動きで「書かれていない」部分がとても多いんです。その行間をイメージして、演出家が何かしら手を加えないと、映像作品として成立しないんじゃないかって思うんです。また、ホンの中でこの描写が「何を意図しているのか」まったく説明がないこともありますので、そこをどう解釈して、飛躍させたり、つなげたりしていくかが勝負なんです。

――シンプルすぎるゆえに、映像化の際に監督ご自身もアイデアをひねらざるを得ない、ということでしょうか。

演出家の発想力が試されるホンだといっていいでしょう。監督泣かせの、とんでもないホンですよね(笑)。しかし、それが僕らのやりがいにつながりますし、とても楽しい作業だといえます。

――新型コロナウイルス感染拡大防止のための「緊急事態宣言」で映画の撮影スケジュールが一時休止するなど、大変な時期での制作だったと思います。企画はいつごろから立ち上がっていたのでしょうか。

企画は3月くらいから進められていて、これから撮影に向けての実務作業を始めようかという段階で、緊急事態宣言が出たんです。僕はいま大分県に住んでいますので、東京の白倉さんと台本の手直しや、撮影にどんなものが必要か、などの打ち合わせをリモートで行なっていました。ある意味、便利な世の中になりましたね。こういう仕事のやり方もあるのかと、感心しました。それでも、僕は基本的に「昭和」の人間ですので、打ち合わせなども実際に顔をつきあわせないと細かなニュアンスや、人間の感情・熱が伝わらないな、なんて思っていますから、やりにくくはありました。でも、こんなご時世になりましたから、仕方ないと思ってやっていました。

――緊急事態宣言の解除後、ようやく撮影が再開されましたが、そんな中でもスタッフやキャストのみなさんウイルス感染の予防のため、万全の状態で臨まれていたんですね。

撮影スタッフも通常より少なくして、できるだけ「密」を防いだりしていましたね。スタッフもそうですが、役者さんたちが大変だったと思います。本番以外、テストのときはみんなフェイスシールドをして、本番のときだけ外して芝居をするんですが、あれは役者にとってはかなりの負担でしょう。みなさん、本当によく頑張ってくれました。