ついに斎藤道三、死す! 長谷川博己主演のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』(毎週日曜20:00~)で、前半戦を牽引した本木雅弘演じる斎藤道三が、第17回「長良川の対決」(10日放送)でとうとう伊藤英明演じる嫡男・高政(義龍)との一騎打ちの果てに、家臣の槍に倒れた。SNSでは今、“道三ロス”が広がっている。大河ドラマの出演は、主演を務めた『徳川慶喜』以来となった本木だが、本作では脂ののり切った50代の円熟味と共に、落合将プロデューサーが言うところの“悪モックン”の凄みを改めてお茶の間に知らしめた。

  • 本木雅弘演じる斎藤道三

『麒麟がくる』では、長谷川演じる主人公の明智光秀をはじめ、道三、織田信長、今川義元、豊臣秀吉、徳川家康など、侍たちが群雄割拠した戦国時代の初期が描かれる。脚本を手掛けたのは、『太平記』(91)以来、約30年ぶりに大河ドラマを手掛けた池端俊策氏だ。

徹底したリサーチのもと、既成のイメージにこだわらない、リアルな戦国武将を紡ぎ出している本作。“まむしの道三”という異名を持つ道三もしかりで、これまでは、一介の油売り商人から、一代でなり上がった“下剋上”の象徴とされることが多かったが、本作においては、父親の代からのポジションを受け継いだ二代目としての道三像が描かれた。

池端氏によると「道三の父親は、ただの油売りの商人で、そこから身を起こし、美濃の偉い人物になり上がった。道三は良くできた二代目で、狡猾だけど、身内への愛情や、親としての悩みはあったと思います」という解釈だ。そんな人間味に溢れた道三像を、本木は静と動のコントラストを利かせた熱演で魅せた。

“悪モックン”といえば、映画『天空の蜂』で演じた冷酷なテロリストぶりが印象深いが、『麒麟がくる』で最初に視聴者をうならせたのは、第2回「道三の罠」の放送時だろう。道三が涼し気な表情で、矢野聖人演じる婿・土岐頼純を毒殺するシーンで魅せた、静かな狂気にうなった。

本木が、俳優として頭角を現したのは、周防正行監督作『ファンシイダンス』(89)だろう。シブがき隊を解散後に出演した本作で、剃髪をして僧侶役に臨んだ時は、“脱アイドル”として腹をくくった気概を感じさせた(ちなみに、今回演じた道三の坊主頭は特殊メイクだが、全く違和感はない)。この時からすでに、本木の目力と“佇まい”は堂に入っていた。

たとえ台詞のないシーンでも、ただそこにいるだけで、本木はストーリーを物語れる。そこは、年々磨きがかかっていき、俳優としての守備範囲も広げていく。ドラマ「ブラック・ジャック」シリーズや、「聖徳太子」のタイトルロール、映画『日本のいちばん長い日』での昭和天皇役など、浮世離れした役柄でも、存在感に説得力を持たすことができた。今回の道三も、立ち姿ひとつで、狡猾な策士としての野心をまとっていた。

また、静かな冷徹さと対象的に、烈火のごとく怒りを爆発させるシーンは、まさに本木の独壇場という印象だった。美濃の守護、土岐頼芸(尾美としのり)が贈った鷹によって暗殺の危機を察知した道三が、怒りに猛り狂うシーンは、鋭い眼光に炎を見た。

そして、第15回では、道三の嫡男・高政が、自分と腹違いの弟・孫四郎(長谷川純)と喜平次(犬飼直紀)を暗殺するという暴挙に出る。ここで道三は息子を殺した高政に憤慨し、慟哭。遂に高政を討つため、出陣を決意する。そして第17回では、高政との一騎打ちのシーンで、最大の見せ場が用意されていた。

「そなたの父の名を申せ!」と言う道三に「わが父は、土岐頼芸様」と答える高政。それに対し、笑いながら「そなたの父は、この斎藤道三じゃ」と力強く答えたあと、ふと表情を緩ませ「なりあがりの道三じゃ」と念を押す。このくだりでは、本木の表情の変化が実に細やかで、親としての葛藤や哀しみ、無念さをもにじませていた。

家臣による槍を浴びたあと、道三は高政の胸に倒れかかるが、これが親と子の最後の抱擁となったのがなんとも痛ましい限りだ。この時、あふれんばかりの涙をたたえていた高政の表情が、より一層涙を誘ったのは間違いない。どこまでも誇り高く、力強く生き抜いた道三らしいの最後に、視聴者は涙し、Twitterでは“道三ロス”を嘆く追悼コメントが多数寄せられた。それは、今や50代となった本木雅弘の成熟した熱演の賜物である。

しかし、道三ロスに嘆いてはいられない。今後、光秀たちは、高政の手を逃れて入った越前に向かう。そして、今後も、道三親子に続き、戦国時代ならではの、骨肉の争いが展開される。今後の越前編にも大いに期待したい。

(C)NHK