新型コロナウイルス感染防止のためたくさんの舞台が中止や延期になっている。『刀ミュ』ことミュージカル『刀剣乱舞』もそのひとつで、最新作ミュージカル『刀剣乱舞』 〜静かの海のパライソ〜は東京公演が途中で中止、兵庫・熊本・宮城公演の全公演が中止になってしまった。5月15日から予定されている東京凱旋公演はいまのところ中止・延期の発表はないが心配なところ。

急なお休みを余儀なくされているキャスト、スタッフの想いはいかばかりか。過去の『刀ミュ』を配信(dアニメストア/月額400円で配信のほか、24日20:00からDMM.comにて無料配信)で観てレビューすることで、想いを馳せてみたいと思う。まずはミュージカル『刀剣乱舞』 ~阿津賀志山異聞~のレビューを。

なお、お読みになる方にはすでに舞台や配信でご覧になっている方も多いと思うが、刀ミュが気になっているけれど未見の方もいると思うので、基本的な情報は記し、かつネタバレし過ぎないように気をつけて書くのでご了承いただきたい。

■伝説の始まりを感じさせる導入

『刀ミュ』とは、名立たる刀剣が戦士へと姿を変えた"刀剣男士"を率い、歴史を守るために戦う刀剣育成シミュレーションゲーム『刀剣乱舞』を原作にして制作された2.5次元ミュージカル。まず、2015年にトライアル公演を実施、それをアップデートした作品が16年、ミュージカル『刀剣乱舞』~阿津賀志山異聞~として上演され、以後、シリーズ化されている。第1部・刀剣男士が史実を守るべく闘う物語、第2部・刀剣男士たちが歌い踊り語るショー形式の2部構成がデフォルトである。

『刀ミュ』は日本史を知っていると楽しめる。阿津賀志山とは 日本史の「阿津賀志山の戦い」の舞台となった、福島と宮城の県境にある場所。鎌倉時代、文治5年(1189年)、源頼朝軍と藤原泰衡軍がそこで闘ったとされる。源頼朝軍と藤原泰衡軍の前に、有名な義経の物語があって、兄・頼朝のために働きながら、反感を買い、悲しき最期を遂げる。そんな彼に忠義を尽くし続けた人物が武蔵坊弁慶である。

「阿津賀志山異聞」の冒頭は、鎌倉時代、源義経(荒木健太朗)と武蔵坊弁慶(田中しげ美)の壮絶な戦いの場からはじまる。

刀剣男士6振りの登場はその後。6本の刀が大地に刺さり、そこから三日月宗近(黒羽麻璃央)、小狐丸(北園涼)、石切丸(崎山つばさ)、岩融(佐伯大地)、今剣(大平峻也)、加州清光(佐藤流司)が出現し、テーマ曲「刀剣乱舞」をまさに乱舞する。やがて伝説化していく刀ミュのはじまりにふさわしい登場の仕方である。

舞台装置は舞台中央奥の大階段が場面に応じて2つに分かれるという、主に2パターンで様々な場面に対応している。大階段上、大人数で刀を振るうアクションは見せ場である。映像もふんだんに使用され、刀の残像が弓なりにしゅっとなる瞬間も鮮やか。

刀剣男士はふだん、桑を振るって畑仕事をしているが、歴史修正主義者が暴れると、その時間、その場所へ向かって、史実を守るために闘う。今回は、新選組・沖田総司の刀だった加州清光が、主(声:演出を手掛ける茅野イサム)から隊長に任命され、阿津賀志山へ。メンバーは三日月宗近、小狐丸、石切丸、岩融、今剣だが、三条派と言われる彼らが加州清光には苦手で……。

■個性豊かな刀剣男士たちが登場

加州清光は、新選組・沖田総司がもっていた刀で、ほかの5振りは鎌倉時代や平安時代の刀である。加州清光ひとりだけ、生きてきた時代が違うのである。物語は主に、加州清光が無茶な戦いをする新選組と共に生きてきたことと、いま刀剣男士となって感じることとの葛藤と、義経と弁慶を史実どおり死ぬ流れにもっていかなくてはならず苦しむ、今剣と岩融の物語の2本を主軸に進んでいく。三日月、小狐丸、石切丸は少し引いた視点で加州清光や今剣を見つめているふうに描かれている。

史実では、義経の死後、頼朝の軍勢が藤原泰衡を滅すことになるが、歴史修正主義者たちによって、死んだはずの義経が生き返ってきた。この間違った流れを阻止することが刀剣男士のミッション。だが、今剣は義経に強い思慕があり、久方ぶりに会った義経を死なせることに迷う。

今剣は、6振りの中で最も小柄。血気盛んなリーダー・加州清光、しゅっとして優雅な三日月宗近と小狐丸、戦が嫌いで祈祷師的な独特のスタンスを持つ石切丸、大柄で豪快な岩融の間を、軽快に動きまわり、その無邪気さが、主人への執着を無理もないものに感じさせる。今剣を演じる大平峻也は動きが機敏で、6振りの中のいいアクセントになっている。淋しげに「きらきら」を歌う場面はいじらしく、今剣と彼を支える岩融の関係性も切ない。

■ためらいが描かれた作品

今剣の持ち主だった義経と岩融の持ち主だった弁慶は、刀ミュ以前からも人気である。歌舞伎にもなっていて、兄に愛されなかった義経の悲劇と、忠義の人・弁慶は長いこと日本人に支持されてきた。「判官贔屓」という言葉もあるほどである。「阿津賀志山異聞」ではいわゆる弁慶義経の話がたっぷり描かれない分、義経の刀・今剣と、弁慶の薙刀・岩融のブロマンスが描かれ、それによって義経と弁慶の関係もわかるようになっている。逆にその間接的な描写のほうが萌えるといってもいいかもしれない。後半になると、弁慶と岩剣の場面があって、「弁慶の泣きどころ」ネタに笑い、じゃれあうときの弁慶のためらいの間にキュンとなる。そう、「阿津賀志山異聞」には「ためらい」が描かれている。

もともと、人を斬る武器として生まれた刀たちが、人間になったことで「心」をもち、人を斬ることにためらいが生まれ、それに悩む。三日月宗近と加州清光が歌う「矛盾という名の蕾」は、武器として生まれてきた最後の世代・加州清光と、もっと長い歴史を知っている三日月宗近が、互いの考えを語り合い、己の宿命を実感していく歌。「命 奪い合う『物』として生きるしかなくて」と言葉を噛み締めながら歌う加州清光、最後に歌を重ねる加州清光と三日月宗近。ふたりのファルセット気味の声の重なりが心に響く。ちなみに、配信版は20分ずつくらいにチャプターを分かれているが、そのたび停止になることはなく、そのまま次のチャプターに続くようになっている。

歴史の中で悲劇の死を遂げた義経の気持ちに寄り添い、今剣の気持ちに寄り添い、自分たちの「役割」について想いを馳せながら、最初は苦手だった仲間とも歩み寄っていく加州清光。江戸時代、刀がその役割を終える最後の時代に立ち会った加州清光が、時代のなかで正しく消えていかねばならない生命に立ち合う仕事を行う者たちの隊長であることにも深い意味を感じながら、ラストの「キミの詩」を聞いた。

■舞台の愛おしさを感じるショータイム

第2部は、6振りが歌って踊るショータイム。義経、頼朝、泰衡も参加して楽しめ、俳優たちに自然な笑いがこぼれるところも見られる。役と素が混ざった感じが2部の楽しさ。ここでは、客席も映り、観客が掲げたペンライト(推しのシンボルカラーがある)が輝き、俳優たちの一挙手一投足に反応する声も聞こえてくる。

こういう映像は『刀ミュ』に限ったものではないが、新型コロナウイルスで無観客公演を配信するという試みも行われたいま、改めて観客ありの映像を見ると、演じる人たちと観客の両方でできている舞台を愛おしく感じる。もちろん、正規の上演ができないなか、無観客配信を行うことで、チケットを買ったにもかかわらず見られなかった人へのフォローになるし、スタッフやキャストの経済的なフォローになるかもしれないし、さらには新しい観客との出会いなど前向きに考えられることもある。だが、それはあくまでも現状の対案であって、観客ありの配信を見ると、観客の反応で同じ内容でもその都度変化がある、まさに“ナマ物”である演劇の尊さを改めて感じて、なんだか涙が出てしまった。いつかまた劇場で出会える日を祈り続ける。