――『デンジマン』や『サンバルカン』の終盤では、悪側キャラクター同士で激しい対立・抗争が起こる「権力争い」や「内乱劇」に注目が集まりました。悪と言っても全員が同じ方向を向いておらず、主義主張の違いから争うことがある、というドラマは上原さんの書かれる特撮・アニメ作品によく見うけられますね。

僕の描く「悪」は、単純にやっつけて終わりといった存在ではありません。悪には、悪をやるだけの「哲学」がないといけないんです。悪キャラクターが個性を最大限にまで引き出すことによって、正義と悪がぶつかりあい、火花が散るんです。常に正義のヒーローの側から物事を見るのではなく、悪の立場にもなって「正義」とは一体なんだろうと考える。そういうものの見方ができるような作品作りを常に心がけてきました。

――2017年に上梓された小説『キジムナーkids』では終戦まもない沖縄を舞台に、少年たちがたくましく生きていく姿が描かれました。上原さんご自身の少年時代をモデルにしたこの作品には、大人の言いなりにならない"悪ガキ"が活躍していますが、『デンジマン』や『サンバルカン』、そして『宇宙刑事シャイダー』(1984年)といった上原作品の中にも、決して優等生ではない子どものグループがサブキャラクターとして配置されていることが多いです。こういった部分に、上原さんから子どもたちへのメッセージが込められているような気がするのですが、いかがでしょうか。

特に意識はしていませんが、僕の考えがそういったキャラクターとして出てくるのは当然ありますね。潜在意識の中のキジムナーkidsが形になって、ヒーローたちに寄り添う子どもたちの姿に表れているかもしれません。

子どもというのは大人が見ているところではおとなしくしているけれど、大人の目から離れたときにはとんでもない悪さをすることがあるでしょう。それが子どもというものだと思います。子どもが内に秘めているエネルギーは、大人を凌駕するほど膨大です。そんな子どもたちが「自分もあの人のようになりたい」と思わせるほどの魅力が、ヒーローには必要なんです。

――上原さんが手がけられた70~80年代のスーパー戦隊をはじめ、数々の特撮ヒーロー作品を観ていた世代が成長し、今やヒーローを生み出す"送り手"となって活躍しています。上原さんから見た「現代のヒーロー」はどのような印象でしょうか?

今年NHKで放送した『トクサツガガガ』ってドラマを観たけど、あれは面白かったよね。ちゃんと劇中に本格的な特撮ヒーロー(ジュウショウワン)が出てきて、アクションまでするのがよかった。また、日本テレビで放送している刑事ドラマ『ニッポンノワール―刑事Yの反乱―』にも、ヒーロー(ガルムフェニックス)が出て驚きました。これだけ一般に特撮ヒーローが認知されてきているのかと、感慨深いものがあります。現在、子どもたちに向けた特撮ヒーロー作品を作っている若い人たちは、いろいろな制約がある中でとても頑張っている。これからも時代に合った新しいヒーローが生まれることを願い、応援しています。