ワールドカップ・ロシア大会で快進撃を続ける日本代表が、日本時間28日23時キックオフのグループリーグ最終戦でポーランド代表と激突する。引き分け以上で2大会ぶり3度目の決勝トーナメント進出が決まる西野ジャパンを、スーパーサブとして支えるのが1986年生まれの32歳コンビ、MF本田圭佑(パチューカ)とFW岡崎慎司(レスター・シティー)だ。セネガル代表との第2戦で本田が同点弾を決めた直後に岡崎と演じた、話題の敬礼パフォーマンスに込められた2人の熱き思いを追った。

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    本田圭佑(左)と岡崎慎司

敬礼パフォーマンスに込められた2人だけの熱き思い

ハイタッチで喜びを表現するのかと思われたお互いの右手を、おもむろに額の右側あたりへもっていく。MF本田圭佑とFW岡崎慎司が弾けるような笑顔で交わした、ゴール後の敬礼パフォーマンスが図らずも注目を集めた。

ロシア中部のエカテリンブルク・アリーナで日本時間25日0時にキックオフを迎えた、セネガル代表とのグループリーグ第2戦。日本代表の1点ビハインドで迎えた後半33分に、ともに3度目のワールドカップに臨んでいる32歳コンビの強い絆を象徴するシーンが訪れた。

右サイドへ開いたFW大迫勇也(ベルダー・ブレーメン)が、緩やかな軌道を描いたクロスを逆サイドへ送る。すかさず相手キーパーが飛び出してきたが、眼前で岡崎、そして196cm、84kgの巨漢DFサリフ・サネ(ハノーファー)と激しく交錯。岡崎が潰れ役を演じたことで、キャッチできない。

そのままペナルティーエリア内の左側へ流れたボールに追いついたのは、前半34分に一時は同点に追いつくゴールを決めたMF乾貴士(レアル・ベティス)。ゴールラインぎりぎりのところから、ワンタッチで折り返されたボールが今度はマイナス方向へ転がっていく。

反応しかけた相手キーパーだったが、岡崎もまた立ち上がってゴール前へ飛び込んでいく。ここで両者の足が接触。再び体勢を崩した相手キーパーと、頭から倒れ込んだ岡崎の先を通過したボールが、逆サイドでフリーだった本田の目の前に転がってきた。

利き足の左足インサイドで、手前で弾んだボールを確実にヒット。カバーに入っていた195cm、89kgとこれも巨漢のDFカリドゥ・クリバリ(ナポリ)と右ポストの間をすり抜ける、値千金の同点弾を決めた本田はテレビのインタビューで、笑顔を浮かべずに第一声を切り出した。

「貴士のボールがすごくいいところに来たので。外していたらまずいシーンでしたね」

ただ、日本人初のワールドカップ3大会連続ゴールを決めた「4番」の本音は、ゴール直後の一挙手一投足に表れていた。ペロリと舌を出しながら走る本田へ大迫が飛びつき、MF柴崎岳(ヘタフェ)、キャプテンのMF長谷部誠(アイントラハト・フランクフルト)らも駆け寄ってくる。

そして、手荒い祝福の輪が解けた直後に、ともに途中から出場していた岡崎と抱き合った。2人の笑顔がさらに輝きを増し、3年前のアジアカップで披露している敬礼パフォーマンスをやろうと本田が提案する。2人が共有してきた熱き思いが、テレビ越しに伝わってきた。

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岡崎のワールドカップ初ゴールをめぐるエピソード

話は8年前のワールドカップ・南アフリカ大会の開幕直前にさかのぼる。韓国代表との壮行試合で完敗を喫するなど、低空飛行を続けるチームへのカンフル剤として、岡田武史監督(現JFL・FC今治オーナー)は驚くような大改革に打って出た。

守護神を楢崎正剛(名古屋グランパス)から川島永嗣(当時川崎フロンターレ、現FCメス)へ、ゲームキャプテンをDF中澤佑二(横浜F・マリノス)から長谷部へ代えた。そして、前線からボールを奪うための[4‐2‐3‐1]システムも捨て去った。

代わりに採用されたのは、堅守速攻用の[4‐1‐4‐1]システム。トップ下のポジションが消滅したことで、精彩を欠いていた中村俊輔(当時横浜F・マリノス、現ジュビロ磐田)がベンチへ。代わりに大黒柱に指名されたのが本田だった。

しかも、本田のポジションは1トップ。2009年には15ゴールをあげていた岡崎も、まさかのリザーブに回された。カメルーン代表とのグループリーグ初戦で決勝弾を決めて岡田ジャパンを蘇生させ、一気に波に乗らせた本田との差を、岡崎は後にこう語っていた。

「先発で出られるのは個の力で何とかできる選手であり、僕にはそうした能力がない、と言い聞かせました。あのときの自分はボールをもらってもプレーの選択肢がなかったし、それまでとは異なるスタイルを出さなきゃいけない、と考えているうちに自分の中で迷いみたいなものが出てきて」

迎えたデンマーク代表とのグループリーグ最終戦。勝てば決勝トーナメント進出が決まる大一番で、日本は本田、MF遠藤保仁(ガンバ大阪)が直接フリーキックを叩き込む。そして、後半途中から投入されていた岡崎にも、試合終了間際に待望のゴールが生まれた。

ペナルティーエリア内の左サイドへ攻め上がった本田が、相手キーパーとディフェンダーを引きつけたうえで、ゴール前へ詰めていた岡崎へラストパスを送った。ボールが来ると思ってなかったのか。やや焦った岡崎だったが、何とか左足を合わせてゴールへ押し込んだ。

「流れがずっと圭佑のものでしたから、普通はシュートだろうって。パスが来るにしても、ほんのちょっとの確率だろうって思っていました」

岡崎と喜びを分かち合った本田は、試合後に「あの場面でシュートを打たない1トップは失格だ」と自らを責めた。しかし、これは決して本心ではなかった。自分がポジションを奪った形になった岡崎を思いやる気持ちも、絶妙のアシストには込められていた。

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時代をけん引した本田と必死に食らいつく岡崎

2人の間で特別な言葉は交わされていない。それでも、パスを介して思いは伝わってきた。岡崎は後にこんな言葉を残している。

「救われた感じになりました。未熟者ながら何とか点が取れて本当によかったと」

同時に自身に対する不甲斐なさも込みあげてきた。もっともっと上手くなりたい。清水エスパルスに加入して6年目。危機感に近い思いを、岡崎はこう表現したことがある。

「圭佑のように自分も海外に出たいし、出るだけでなく厳しい環境のなかで活躍したい。いつかは世界ナンバーワンのストライカーになると、無謀にも野望を抱いてきたので」

すでに2008年1月にVVVフェンロー(オランダ)へ移籍。ワールドカップイヤーに入ってCSKAモスクワ(ロシア)へ移籍し、UEFAチャンピオンズリーグでもゴールを決めていた本田からメッセージが届いたのは2010年の年末だった。

「これからはワールドカップのグループリーグ突破が、当たり前にならないといけない。そのためには早い段階で海外へ行くとか、Jリーグでも外国人枠が3つしかないことが、レベルの低下を招いていると個人的には思っている。外国人枠を増やせば日本人が出られなくなると言われるかもしれないが、厳しい環境で競わないと。そこで生き残った選手で構成される日本代表は絶対に強くなる」

日本プロサッカー選手会主催のシンポジウムに届けられた、ビデオレターに収められた本田の檄は日本サッカー界に関わる全員の心にも響いたはずだ。年が明けた2011年1月末。岡崎はブンデスリーガ1部のシュツットガルトへ移籍した。

あれから7年半。マインツをへてレスター・シティーの一員になった2015-16シーズンに、岡崎は世界で最も激しいとされるプレミアリーグで、日本人として初めて頂点に立った。労を惜しまない豊富な運動量は、地元メディアから「影のヒーロー」と称賛された。

代表でも岡崎はゴール数を釜本邦茂、三浦知良に次ぐ歴代3位の「50」に伸ばした。セネガル戦で「116」とした出場試合数とともに、西野ジャパンでは最多を数える。時代をけん引してきた本田と、必死に食らいつく岡崎。お互いに畏敬の念を抱き合っている、と岡崎は笑ったことがある。

「圭佑も僕のことを見てくれるし、もちろん僕も見ている。意識し合いますよね」

8年前の“お返し”のような展開だったからこそ、本田は敬礼パフォーマンスを介して岡崎に感謝したかったのだろう。引き分け以上でグループリーグ突破が決まる28日のポーランド代表戦。先発だったこれまでとは異なるスーパーサブとして、2人のベテランが西野ジャパンの切り札になる。

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■筆者プロフィール
藤江直人(ふじえ なおと)
日本代表やJリーグなどのサッカーをメインとして、各種スポーツを鋭意取材中のフリーランスのノンフィクションライター。1964年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒。スポーツ新聞記者時代は日本リーグ時代からカバーしたサッカーをはじめ、バルセロナ、アトランタの両夏季五輪、米ニューヨーク駐在員としてMLBを中心とするアメリカスポーツを幅広く取材。スポーツ雑誌編集などを経て2007年に独立し、現在に至る。Twitterのアカウントは「@GammoGooGoo」。