埼玉県中部に位置する川越は、街のシンボルである「時の鐘」や「蔵造りの町並み」などで全国的にその名を知られている。川越の蔵造りの町並みは明治26(1893)年に発生した「川越大火」後に防火対策として建てられた、いわば明治の町並みだ。

  • 明治31(1898)年に芝居小屋として建てられた旧鶴川座。その後、映画館として長く市民に愛された「昭和の街」を象徴する建物だ

    明治31(1898)年に芝居小屋として建てられた旧鶴川座。その後、映画館として長く市民に愛された「昭和の街」を象徴する建物だ

この蔵造りの町並みに隣接して大正時代の雰囲気を今に伝える「大正浪漫夢通り」があり、さらに2014年には「川越中央通り『昭和の街』を楽しく賑やかなまちにする会」(以下、昭和の街の会)が発足し、中央通り沿道を中心に街づくりを進めている。このように川越は歩くだけで、まるでタイムマシーンで明治・大正・昭和の各時代へタイムトラベルに出かけたような感覚が味わえる。

今回は、昭和の街で「大黒屋食堂」を営みながら「昭和の街の会」会長も務める岩澤勝己さんに案内していただきながら、街歩きを楽しんでみよう。

  • シナリオライターとして人気ドラマシリーズの脚本なども手がけ、現在は食堂を営みながら「昭和の街の会」会長も務める岩澤さん

    シナリオライターとして人気ドラマシリーズの脚本なども手がけ、現在は食堂を営みながら「昭和の街の会」会長も務める岩澤さん

かつての盛り場の面影をたどって

都心から川越に向かうには、JR線、東武東上線、西武新宿線の3線が利用できるが、今回は池袋から東武東上線に乗車し、川越駅のひとつ先の川越市駅に降り立った。市街地の北部に位置する蔵造りの町並みなどの観光エリアへは、川越駅からよりも川越市駅からのほうがわずかながら距離が近い。しかも、2016年2月には西武線の本川越駅に西口が新設され、川越市駅と本川越駅の乗り換えが便利になった。

  • 2016年2月に新設された西武新宿線「本川越駅」の西口広場

    2016年2月に新設された西武新宿線「本川越駅」の西口広場

川越市駅からまずは本川越駅に向かい、西口側から東口側に通り抜けてみよう。ここから左手に進路を取り、スクランブル交差点を越えて「中央通り」を歩いて行く。この中央通りを北上すると、「連雀町(れんじゃくちょう)」交差点、続いて「仲町」交差点があり、仲町交差点の北側には、いわゆる蔵造りの町並みが広がっている。目指す昭和の街は、この中央通り沿いの連雀町交差点から仲町交差点までの沿道と周辺の路地を含むエリアであり、その中心には蓮馨寺(れんけいじ)というお寺がある。

  • 「仲町」交差点付近。手前が昭和の街で奥が蔵の町。1ブロックで景観がずいぶん異なる

    「仲町」交差点付近。手前が昭和の街で奥が蔵の町。1ブロックで景観がずいぶん異なる

蓮馨寺前から中央通りに交差して伸びるのが、「立門前(たつもんぜん)通り」だ。江戸時代、川越は10の町人地である「十ヵ町」と4つの寺の門前町である「四門前(しもんぜん)」を中心に町割りが行われた歴史があり、今は路地のひとつのようになっている立門前通りは、かつては蓮馨寺門前町のにぎわいの中心だった。今の静かな様子からは想像がつかないが、全盛期の昭和30年代から40年代頃には風俗店やストリップ劇場などもあったという。

  • 昭和の街の中心である蓮馨寺境内

    昭和の街の中心である蓮馨寺境内

しかし、時代とともに市街地南部の川越駅周辺に街の中心が移り始めると、次第に活気を失い、シャッターを閉ざす店が増えていった。昭和の街の会の活動の根幹に、この辺りの街を再び元気にしたいという思いがあるのは、いうまでもない。

中央通りから立門前通りに入ってすぐ右手に見えるのは、明治時代に芝居小屋から始まり、その後長い間、映画館として市民に親しまれた「旧鶴川座」(現在は閉館)だ。今年58歳の岩澤さんは子どもの頃、当時日活の上映館だった鶴川座で和泉雅子や山内賢、渡哲也、吉永小百合らが主演する映画を見たという思い出を話してくれた。

さらに通りを50mほど進むと左手に、現在は建物解体調査中のため更地になっている、「旧川越織物市場」の敷地がある。旧川越織物市場は、江戸時代末から昭和初期にかけ、国内屈指の織物の集散地として知られた当時の川越の記憶を今に伝える、明治43(1910)年築の木造2階建ての建物だ。市場閉場後、2001年まで長屋住居として使われ、2015年3月に歴史的風致形成建造物に指定された。

川越市は土地を取得し、建物の解体調査・部材修復設計・整備工事を行い、今後はものづくり・まちづくり系の若手アーティスト・クリエーター向けの"インキュベーション施設"として、2020年度中に供用開始することを目指しているという。

  • 旧川越織物市場は、今後、インキュベーション施設として生まれ変わる計画だ

    旧川越織物市場は、今後、インキュベーション施設として生まれ変わる計画だ

「昭和の街」とはどのような街か

さて、岩澤さんに案内されながら昭和の街のエリアを歩いてみたが、この場所が昭和の街であることを示す看板が設置されているわけではない。また、オート三輪やボンネットバスが展示されているわけでもなく、最近の"昭和ブーム"を牽引する九州の豊後高田市や、池袋の「ナンジャタウン」のような分かりやすい昭和をイメージした観光地ではないことが分かる。

この点について岩澤さんに聞くと、「観光客のみなさんに来ていただきたいという気持ちはもちろんあるが、我々が目指すのは地元の人々がゆったり時間を過ごせるような人情味あふれる"持続可能な"街であり、大勢の観光客が大挙して押し寄せるような場所ではない」という。

では、全く昭和らしさを感じないかといえばそんなこともない。例えば、中央通り沿いや路地には「看板建築」と呼ばれる建築様式の商店が数多く残るが、これらはまさに昭和そのものだ。看板建築とは、中央通りが開通した昭和8年当時に流行した建築様式で、洋風建築を建てるのが難しかった商店が、伝統的な町家を建て、道路に面した建物前面に看板のように洋風の壁面を取り付けた"擬洋風建築"のことをいう。

  • 伝統的な町家の道路に面した建物前面に看板のように洋風の壁面を取り付けた「看板建築」

    伝統的な町家の道路に面した建物前面に看板のように洋風の壁面を取り付けた「看板建築」

内陸部の川越に乾物がそろっている理由

また、昭和の街には、昭和生まれの読者が訪れたならば懐かしさを感じること請け合いの、人情味あふれる商店も数多くある。今回は岩澤さんに、いかにも昭和の街らしい3つの店を紹介してもらった。

最初に訪れたのは蓮馨寺に隣接する乾物屋の「轟屋(とどろきや)」だ。海産物の干物やカツオ節などを扱う乾物屋は、昔はどこの街でもよく見かけたが、最近はスーパーマーケットなどに押され、すっかり少なくなってしまった。しかし、乾物屋を営むようになってからおよそ90年という轟屋は、今も埼玉県内有数の品ぞろえといわれており、オリジナル商品も開発するなど活気がある。

  • 品ぞろえ豊富な「轟屋」。メザシなどは昔ながらの量り売りがされており、味見ができるのがポイントだ。「鶏節」は税込350円

    品ぞろえ豊富な「轟屋」。メザシなどは昔ながらの量り売りがされており、味見ができるのがポイントだ。「鶏節」は税込350円

ところで、なぜ内陸部の川越でこれだけ豊富な海産物の乾物をそろえているのかという疑問に対し、店主の石井正美さんは「乾物は日持ちがするので、沿岸部よりもむしろ内陸部で発展しました。特に川越は新河岸川(しんがしがわ)の舟運で江戸とつながり、"小江戸"と呼ばれるほど繁栄した街。川越地方の特産品である茶や米を舟で江戸に運び、帰りに日用品や乾物類を乗せて帰ってきたと言われています」という。

なお、昔懐かしい商品が並ぶ中に、「鶏節(とりぶし/税込350円)」という見慣れないものがあるが、これは「カツオ節と同じように、焙乾(煙と熱でいぶす作業を何日も繰り返して乾燥させる)した鶏肉を薄く削った商品です。今から17~18年前に、娘の離乳食の時期に安心・安全なものを食べさせたいとの思いから開発をはじめ、2013年に商品化しました」(石井さん)という、同店のオリジナル人気商品だ。食べ方は簡単で、サラダに入れたり冷や奴に乗せたりするほか、鶏肉の代わりにチキンライスやチャーハンなどに入れるのもオススメだという。

次に訪れたのが仲町の交差点にほど近い、明治40年代の創業という老舗の呉服屋「呉服笠間」だ。こちらは、"あの高級寝台列車"でも話題の呉服屋だ。