英国海軍の軍艦「ビーグル号」の模型が飾られたコーナーに立って先に進むと、誰もが思わずアッと声を上げるであろう。その先はビーグル号の船内を模した板張りの空間。円い船窓の外では広大な海原が揺れる。まるで、ダーウィンと一緒にビーグル号に乗り込んだ気分だ。

ダーウィンが世界一周航海で乗った英国海軍のビーグル号。ダーウィンは船酔い以外は船員生活を気に入っていた?

ビーグル号の船内を模した展示。ダーウィンと航海に出た気分にさせる

船窓の外は大海原。思わず航海に出た気分に

ダーウィンがビーグル号に持ち込んだ本や磁石。父親に現在の価値で500万円ほど資金をもらって出発した

ダーウィンは、22歳のときビーグル号に乗り込んだ。南米の海岸線を調査して港の海図を作成することがビーグル号の公式任務だったが、調査の間ダーウィンは上陸して探査したり、標本採集することが認められていた。展示されたダーウィンのノートや実際に採集した標本を見ると、ダーウィンが上陸していかに丹念に探査していたか、その緻密ぶりに驚かされる。実際ダーウィンは全航海の3分の2は陸上にいた計算になるという。

ダーウィンは、何でもすぐメモした。旅先からも家族に手紙をよく書いた

船酔いを除けば、ビーグル号での航海をダーウィンはたいへん気に入っていた。そうした思いを記した自筆の手紙や日記も多数見ることができる。ダーウィンは実にメモ魔で、あらゆることを書き記して残した。研究に関することも、日常の暮らしについても、あらゆることが膨大なメモとして残されている。ダーウィンの思考の変遷を読み取ってみるのもおもしろい。

ちなみに、ビーグル号は2年間で英国に帰港するはずだった。だが航海は大幅に伸び、南米大陸から、運命のガラパゴスを回り、ニュージーランド、オーストラリア、インド洋を経てアフリカと世界一周、結局英国に戻ったのは出港から5年後のことだった。「その後の私の生涯を決定した」とダーウィンも述べた通り、この航海がなければ、「進化論」も生れなかったかもしれない。そんなビーグル号の航海を体感させてくれる展示である。

ところでこのビーグル号、後に日本海軍に売られて「乾行」という練習船になったという噂がある。果たして真実は? 答えは展示後半の「日本における進化論」コーナーにある。ぜひ会場で確かめていただきたい。