いっぽう白石康次郎氏は、1967年東京生まれの鎌倉育ち。神奈川県立三崎水産高校を経て、第1回単独世界一周レースで優勝を達成した故多田雄幸氏に弟子入り。その後の海との関わりや果敢に攻める波乱万丈な"航海人生"の物語は、『白石康二郎 公式サイト』を参照していただきたい。

白石氏は、2006年10月22日、4年に1回行われる単独世界一周ヨットレース『5OCEANS』クラス I に参戦。欧米豪勢の強豪がひしめく中、2007年5月に2位でゴールしたことは既にご存知の方も多いだろう。日本人初(=アジア初)参戦のクラスIで快挙を達成させ、若き海洋冒険家でありながらその存在感を知らしめた。白石氏は某TV局がニュース番組用に制作したドキュメンタリー映像を流しながら、"海洋冒険家"となるまでの経緯を語った。

日本人初(=アジア初)参戦の『5OCEANS』クラスIで快挙を達成した白石康次郎氏

白石氏を海へ導いたのは5OCEANSのレースを追跡したある映像だった。「僕が高校生のとき、のちに僕の師匠となる多田さんがクラスIIで優勝した映像を見たんです。『すごい! 』と思った。そのとき、東京駅の電話ボックスで多田雄幸の電話番号を調べて電話しました。それがこのレースとの関わりの始まりです。そこからレースのスタートラインに立つまでに22年の歳月がかかりました」と振り返った。その間は億単位の巨額の資金調達やあらゆる準備に時間を費やしたという。

耐える努力を楽しい努力へ変える師匠の姿

ラダー(舵)が2本あるダブル・ラダーの船の安定性を説明する白石氏。60フィート艇の特徴も詳しく説明していた

レースでは、途中、波が10mを超える時化に直面し、船体の一部パーツが破損。水漏れが発生するアクシデントに見舞われることもあった。そんな厳しい状況下でも、彼は悲壮感を全く感じさせないほど"前向きさ"を自然に保っていたという。その理由について修行時代を振り返り、こう語る。「師匠はヨットを教えてくれなかったんですね。酒ばっかり飲んでいる人で、海よりも新宿ゴールデン街にいるほうが多かった。で、唯一教わったと思うことが、18歳のころ、石廊崎で練習中に向かい風で寒くて凍えそうだった時にありました。相当我慢しましたが、たまらなくなって船室の師匠をのぞきに行ったら、師匠はこん棒らしきもので餃子の皮を伸ばしていたんですね。船室で。そのとき『この人には敵わない』と思いましたね。その悪条件の中で多田はセイリングを楽しんでいる。その上、ヨットを全く知らないような弟子に舵を持たせている。そんな師匠を見て、『ヨットを楽しみなさい』と教わった気がしました。楽しむことなんてできない状況でしたけど。それは『耐える努力を、楽しい努力に変えなさい』と言っているように聞こえました」と。

そして、『5OCEANS』のドキュメンタリー映像が終わると、白石氏は所どころ声を震わせ、あふれる涙をこらえながら語った。「完走できてみんなの前でお礼を言えるのは、本当に嬉しいこと。実は、今日(3月8日)は師匠である多田さんの命日なんです。きっと喜んでくれているんではないかなと思いまして。全てが繋がっているんですね。この成績はみんなで積み上げてきたものですから」。一瞬、観客たちからのすすり泣く音がかすかに聞こえた。すると白石氏はすぐに笑って見せ「願わくば、今度は新しい船で出たいですね。次回は1回でいいから新艇に乗ってみたい」と半分冗談、半分本気で、聴衆を笑わせてみせた。