海と船舶の魅力を体感できるイベント「ジャパンインターナショナルボートショー2008 in 横浜」(6~9日/パシフィコ横浜)では、航海への野望をひたすら追い続け、海と対峙し己の極限状態を乗り越えてきた2人の男の姿があった。ひとりは、70歳にして単独太平洋横断を実現した村田和雄氏、現在73歳。もうひとりは、最も過酷なヨットレースといわれる単独世界一周レース「5オーシャンズ」で2位というアジア人初の快挙を達成した白石康次郎氏、41歳だ。

2人は年こそ違えど、単独で世界へ向け大海原に飛び出し、我々の想像を絶する過酷な海上環境に数カ月間も自分を置き、数十年前から立てていた目標を達成させたという点で共通する。そんな彼らのトークショーには、日常を生きる我々にさえも"生きるヒント"となる言葉が数多くあった。今回は、両氏のトークショーをレポートしながら、人並み外れた航海の魅力を探ってみよう。

理屈よりも経験、"流す"ことが1番じゃないか

前述のとおり村田氏は70歳という年齢で、本人にとっても初めての旅となる太平洋単独処女航海を成功させた"スーパー・シニア"だ。出発の和歌山の港からアメリカ・サンフランシスコのヨット・ハーバーに到着するまでの96日間(2006年5月21日~8月23日)のドキュメントは、サイト『七十歳の太平洋航海記』を参照していただくとして、ここでは航海の中で同氏が見出した"生きるヒント"をお伝えするとしよう。

太平洋航海を振り返り、海の魅力を伝える村田和雄氏

「60代の方にはあと10年の準備期間が、50代の方にはあと20年ものトレーニング期間がある。そう思ってどんどんチャレンジしてください」

村田氏は1935年に静岡で生まれ育ち、地元の高校から横浜国立大学へ進学。卒業後は自動車のバッテリーなどでお馴染みの湯浅電池(現ジーエス ユアサ コーポレーション)に入社。定年までサラリーマンとして過ごしてきたごく普通の男性だ。だが、航海を決めた村田氏には他の人とは異なる2つの"特徴"があった。「ひとつはサラリーマン上がりのごく普通の航海者であること。ふたつは自然の力=風だけで行くと決めたところ」。自分の船を作ろうとなった時は、「探し物はほとんどインターネット(で情報を集めた)。誰にも言わずに、密かにネットでいろいろ検索して準備した」と、現代人らしい一面も兼ね備える。

そして、何よりも体力づくりと健康維持に常に心がけたからこそ、今回の偉業を成し遂げられたと氏は何度も繰り返した。「航海に必要なものは、時間とお金と健康。前の2つはおそらく足りる。あとは健康さえあれば行ける!(出発前に)健康維持と体力づくりのためにウィンド・サーフィンも始め、何度も沈(*)を繰り返した。やがて沈してもすぐに立ち上がれるように力を付けていった」と出発前の準備を振り返った。

*沈(ちん)……ヨットが転覆すること

村田氏は健康維持の次に、"唯一無二の伴侶"である船との関わりを大事にしたという。「船とのパートナーシップには何よりも重点を置いた。航海の仕事は船がしてくれる。船の健康を維持するのは僕。だから僕は自分の健康を維持することが大事な仕事となる」。旅の途上で船が横倒するという絶体絶命のアクシデントに見舞われた時には、「好きな歌を大声で歌った。大西洋を航海した実績を持つ仲間も『オレも嵐になったら大声で歌った』と言っていた。極限で孤独を感じると自然と歌が出るのかな」と過去を振り返り、どっしりとした構えでピンチに臨んだことが窺えた。

トークショーではパワーポイントを使って説明が行われた。太平洋航海は、瀬戸内で製造された26フィートの木製のクルーザーで出発。出発前にはひとりで合宿し、入念に着岸離岸などのトレーニングを繰り返したという

トークショーの最後には、我々が日常で何か"壁"にぶつかったときにヒントとなるような、冒険者としての一言が発せられた。

「荒波に対してどう対処するかは、事前に本を読んだりして学んだ。だが、経験から"流す"ことが一番いいとわかった。かスターン(船尾。艇体の後部)かバウ(船首。艇体の前部)かと頭で考えて悩むより、流されるのがベストじゃないか。波に逆らっていくよりも、お尻のほうから風を受けて流されるのが一番じゃないか」。

「流されるのがベスト」。70歳で偉業を成し遂げた村田氏の発言だからこそ、この言葉が重く、響きのあるものに感じずにはいられない。