――会社によっては『これ、フォルムを描くのが大変だから、ちょっと立体物を作って参考にしよう』、みたいなこともあるそうですが。
「タツノコは、その頃なかったですね。それがあれば、一番よかったですね」
――『マッハGoGoGo』『科学忍者隊ガッチャマン』『タイムボカン』も、全部あれは絵だけの資料から描き起こして、ああなってるわけですね。
「ですね。ま、今思えば、模型があればよかったんでしょうけど。それをやる時間がなかったんですね」
――メカデザインということでいいますと、『マッハGoGoGo』が終わった後、『科学忍者隊ガッチャマン』や『タイムボカン』でも、もちろんメインでメカデザインをなさっておられます。その頃ですか、大河原邦男さん(※)が入ってらっしゃったのは。最初は背景をお描きになってらしたんですか?
「ええ、そうです」
※大河原邦男さんは、『機動戦士ガンダム』に登場するモビルスーツや『装甲騎兵ボトムズ』のAT(アーマードトルーパー)をデザインしてきたメカデザイナー
――で、その後、メカのほうに……。
「ええ。上のほうから、メカをちょっとやらせてみないかっていうことでやってもらったら、大河原さんは腕が曲がるときはその位置をちゃんとこうしないと曲がらないとかっていうような理論派で、ものを考える方でした。私みたいに、ともかく曲がりゃいいんだっていういい加減な考えじゃなくて。だから、大河原さんが来てから、こういうアニメのロボットなり、かなりしっかりした母体ができたんですよね。ホントにすごい方だと思いますよ」
――大河原さんがメカのほうに携われたのは、『科学忍者隊ガッチャマン』の敵・ギャラクターの鉄獣メカから。
「『科学忍者隊ガッチャマン』ですね、はい。敵のゲストメカから入ってったんですね」
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――1976年ですか、一緒にメカマンという……。
「会社を作りまして。1年ぐらいで大河原氏は離れていったんですけれども、メカニックをやる意味でメカマンにしたんです。でも、大河原氏が抜けて『名前を変えようかな』と思ったんですが、名前変えることがわりに大変なことだっていうことをいろいろ聞きまして、今に引きずっているわけなんですけども」
――最初、メカマンって名付けられたときは、大河原さんもいらっしゃるし『メカニックやりましょう』ということで……。
「もう全盛の頃ですから。サンライズさんも『超電磁ロボ コン・バトラーV』とか、ああいうメカが主流の時代でしたからね。だから、もう『メカで喰えるだろう』っていうんで、二人で作り出したんですよね」
――それで名前はメカマンでそのまま残って、もっぱら美術をおやりになってきたと。
「そうです」