――最初は、いろいろ助手的な感じで……。

「ええ。そこの課長さんが大変いい方で、一応なんでもやらせようというんで、撮影をさせられたりですね、助手みたいな形でいろいろなことを全部経験させてもらったんですね。それでアニメーション全般がどういうものかっていうのが、よく掴めたっていうのがありがたい思い出ですね」

――でも、東映動画さんて大手だから、先輩・上司の方々も大勢いらっしゃる。最初は見習いで仕事を覚えるにしても、その後すぐ現場に行って描かせてもらえるというわけでもないわけですよね。

「東映には、だいたい3年半から4年ぐらいいたんですけども、実際、背景を描くのはタツノコプロダクションに移ってからです。13年ぐらいの間に、一作目の『宇宙エース』から『ポールのミラクル大作戦』までの作品を、全部手がけさせてもらったんですね」

――タツノコに移られた経緯をもう少し詳しくうかがいたいんですけれども、東映のほうから、またタツノコさんのほうに紹介していただくというような……。

「ええ。『すごい背景を描きたがってるのがいるから使ってみないか』というお話をしていただいて、それで『ぜひ』ってことで入れていただいたんですね」

――紹介を受けて当時の社長・吉田竜夫さんのところに行かれて、『お願いします』と。で、『よし来い』っていう話になったんですか。

「そうなんです。それも話は変わっちゃうんですけども、私はギターが大好きで社長もギターが好きで……そういう話がうまく合って、そんなこんなでなんとなくすっと(笑)。話がうまくいったというのも変なんですが、その後、バンドみたいなものを作ってやるかってことで」

――バンドを作られたんですか、タツノコさんのメンバーで?

「ええ。5人ぐらいいたかな。みんなで練習してイベントに参加して、ステージに立ってやったんですよ」

――最初、タツノコさんと東映さんの出会いっていうのは、東映さんがタツノコさんのほうに『一緒にアニメ作りましょう』と話を持ちかけて、当時は漫画スタジオだったタツノコさんのスタッフ(笹川ひろしさんなど)たちが東映動画さんに行かれて、アニメの作り方を教わるわけですね。その頃、出会ってらっしゃった?

「あとでうかがったら、『見かけた』って言われたもんですからね。じゃあ『会ってるなあ』と思って」

――てっきり私は、笹川さんとの出会いからタツノコに行かれたと思ってたんですが。

「全然違うんですよ」