――後に、竜夫さんも漫画家になられますけれども、先に漫画家になったのは、実は三男の一平さんのほうだったということですね。

「そうなんです。たまたま僕がそこでデビューして売れたもんだから、それで兄貴も。どちらかというと、挿し絵も時代からいって寂れ始めていましたし……」

――雑誌の主流が、絵物語から漫画に移り変わる時期ですね。

「そうそう。その頃ですね」

――その頃ですか、九里一平というペンネームをお使いになり始めたのは。

「はいはい。漫画家デビューのときからですね」

――なぜ、この名前になったんでしょう?

「これはね、僕の同級生がたまたま東京へ遊びに来ていたときに、僕はデビュー作の準備をしているときで忙しく、『ペンネーム一緒に考えてくれよ』と言ったんです。そしたら『お前、クリクリして栗みたいだから、クリちゅう名前がいいんじゃないの(笑)』と。『ふざけたこと言うなあ』、でも『みんなに親しまれるのもいいことだな』と。そういうところを狙うんだから、エンターテインメントの雑誌というのは。でも、『クリ』といっても、『久里』もいますし。それで、電話帳を調べてみたんですよ。そうしますと、『九里』というのがあったんですね。『九里』というのが電話帳でも少なかったんです。それで『これ、やっぱり珍しい名前のほうがいいんだ』と。目立つからね。それで、『九里』にしたんです」

――下の『一平』さんのほうは、『九里』からの流れで……。

「ええ。『一平』というのも憶えやすいし、『九』と『一』と合わて『十』になるわけでしょ。『そういうのも、おもしろいな』と。まあ、勝手に考えたんですけども(笑)」

――ペンネームを名乗ろうとお思いになったのは、本名の吉田だと竜夫さんとかぶっちゃうから……。

「それも大きかったですね。で、吉田というのも自分にとっては平凡だったし(笑)」

――で、その後、笹川ひろしさんと知り合われるわけですね。

「そうですね。当時、ちょっと忙しくなったものだから。近いこともあったしね。僕は国分寺でしょ。笹川先生のほうは小金井だったんですよ。で、よく手伝いに来てもらったりして。そのうちにアニメーションのことも話したりしまして……『手塚治虫先生はね、今、東映にアニメーションを習いに行かれて、"ぼくのそんごくう"だとか、そんなのをやっておられますよ』なんて。前からそういう『アニメーションおもしろいです』『おもしろそうですよ』なんてね(笑)。でも、ディズニーのことばっかり頭にあったから、あのイメージがね。金がかかるし、人も多く必要だと。だから、それはもう夢だと思ったんですよ。そうしたら、テレビで『鉄腕アトム』をやろうとしだしたわけです。『あれ、待てよ』と。聞いてみると、リミテッドアニメーションということで枚数を極力減らして、それでやれば製作費も費用もかからない。ま、費用プラス人材ですからですからね。それだけ早くできる、枚数も少ないんだから作業も速いし、ということで『もしかしてできるんじゃないかな』と思いました。向こうは天才一人の原稿料だけども、こっちは毛利元就じゃないけど、三人いるわけですしね(笑)」