新しいキャリア、新しい場所…。新しいことにトライするには、苦難や苦労がつきものです。ただ、その先には希望があります。
本連載は、あなたの街の0123でおなじみの「アート引越センター」の提供でお送りする、新天地で活躍する人に密着した企画「NewLife - 新しい、スタート -」。
第23回目は、声優の若本規夫さんにお話をうかがいました。
Change
その声をテレビで聞かない日はない。
声優界の重鎮
「他人と比べるもんじゃない」
今や、その声をテレビで聞かない日はないと言っても過言ではない声優界の重鎮、若本規夫さん。
『サザエさん』のアナゴさん役や『ドラゴンボールZ』のセル役、『プリズン・ブレイク』のセオドア・“ティーバッグ”・バッグウェル役に『人志松本のすべらない話』のナレーションなど、出演作は枚挙にいとまがありません。
若かりし頃に警視庁を辞めて声優を志して以来、今日のキャリアを築いてきたのは日々の鍛錬の賜物と振り返ります。
若本さんが語る“実話”には、自らの力で人生を切り拓いてきた矜持がありました。
Background
大阪で幼少期を過ごし、早稲田大学へ。
少林寺拳法に青春を捧げる
若本さんは終戦の年の1945年、山口県の城下町・長府で生まれました。
いわゆる未熟児で。お医者さんからは危ないだろうと言われていたみたいなんだけど、小さいながらも何とか成長していってね。 |
1年後に大阪へ引越しますが、小学校の頃は授業についていけず、大変な思いもしたそうです。
工作が苦手で自分だけ上手にできない。不格好で先生にも見せられず、逃げ回っているとよく叱られた。出来の悪い子どもだったよ。 でも、どれだけ叱られても我慢して泣かなかった。「泣いてたまるか」といった気持ちがどこかにあったのかもしれないね。 |
学校生活の楽しさを知ったのは4年生になってからのこと。転校したのちに「この先生に救われた」と今でも感謝する恩師に出会ったおかげだといいます。
エンジニアだった父親の勧めで関西大学の付属高校の理系に進学したんだけど、一生懸命に勉強したね。 あれほど勉強した時期は他にないっていうくらい(笑)。 |
しかし、2年生に進級すると急に異変が起こります。
数学の授業についていけなくなってしまってね。自分の努力が足りないんだと思って、また必死に勉強したんだけど、うまく解けない。 2学期の中間テストだったかな。納得できる解答が書けてワクワクしながら結果を待っていたら、ひどい点数で。呆然としちゃったよ。 |
先生の後を追い、職員室で自分の不甲斐なさに憤ったそうですが、この場面が転機となりました。
先生から「要するにセンスがないんだなぁ」と言われて。 「じゃあ文系に変更します」と言うと「それがいい」と引き留めてもくれなかった(笑)。でも、結果的には良かったよ。 |
3年生になると文系に転向し、最初のテストでは学年で10位以内に。次のテストでは学年トップにまで上り詰めます。
現代文や古文、漢文、日本史や世界史といった文系の授業は新鮮で、とてもおもしろかったそうです。
少しずつ欲が出てきてね。付属の高校だからそのまま進学できたんだけど、東京に行きたくなって早稲田大学を受けることにしたんだ。 |
第一志望だった文学部は不合格になるも、法学部に見事合格。けれど、法律の勉強には興味が持てなかったと苦笑いを浮かべます。
大学では少林寺拳法ばかりやってたよ。入学式のときに「早稲田大学少林寺拳法」と書かれた旗に引き寄せられてしまって。 先輩たちから半ば強引に勧誘されたのがきっかけだね。 |
入学当初80人いた部員が卒業時には6人にまで減っていたと笑いますが、厳しい練習に明け暮れ、めげずに食らいついたからこそ、強靭な精神力が培われたのかもしれません。
少林寺拳法を続けたことで、次のステージが待っていました。
大学院に進もうかと思ったんだけど、教授から「君じゃ無理だ」と門前払いされてしまって(笑)。 しょうがないからその足で就職部に行き、「ドキドキする仕事はないですかね?」と尋ねて紹介されたのが警視庁だった。 |
すぐに警察学校に願書を出して試験を受けると、入庁が決定。少林寺拳法に青春を捧げた若本さんは、卒業後、警察官になったのです。
Sign
「警察官の仕事は自分には合わない」。
退職後、声優に導かれた天からの“サイン”
当時の日本は学生運動が過激化の一途をたどり、至るところで暴動が発生していました。機動隊員として、最前線で攻防に加わっていたそうです。
赴任したのが蔵前の派出所だったんだけど、問屋街だからなのか、路上駐車をしている人が多くてね。取り締まると、違反金が高くて泣いちゃう人もいたんだ。 そういう姿をみると、どうしても心が揺れてつらかった。この仕事は自分には合わないと思うようになったんだ。 |
若本さんは退職を決意。その後、日本消費者連盟の創立メンバーに名を連ねますが、これも長くは続きませんでした。
どうも組織で働くのが向いてないんだね。上司の了解を得ずに仕事を進めて報告だけするから、いつも会議で叱られてた。2年もたなかったな。 |
これから何をしよう。
将来を案じていると、まさしく天から人生を変える“サイン”が落ちてきました。
ベンチに寝そべっていたら、上からバサッと新聞が落ちてきてね。目に飛び込んできた記事が、声優の黒沢良さんが立ち上げた声優学校のオーディションだった。 次の日、気になって電話で問い合わせてみたら、1週間後にオーディションがあると言われて。受験料を支払って受けてみることにしたんだ。 |
軽い気持ちで参加したものの、会場に着いた若本さんはあまりの人の多さに驚きます。
10代後半から20代前半くらいの人が沢山いたんだけど、合格するのは20人ほどで。自分の受験番号が300番台だったから、合格率は数十倍。 もう受けるのをやめようかとも思ったけど、なけなしの受験料を支払ったのが惜しくてね(笑)。ダメ元で試験に臨んだよ。 |
いわゆるグループ面接の形式で、周囲の受験生たちは上手に台詞を読んでいたそうです。そんな中、とにかく一生懸命に大きな声を出すことを心掛けました。
自信は無くて諦めていたんだけど、数日経って合格通知が来た。面接のとき、真ん中に座っていた面接官がやたらと質問をしてくれてね。 後で知ったんだけど、その人が東北新社の吹替演出家「中野寛次」さんだった。中野さんが僕を推してくれたんだと思うよ。 |
若本さんは学校に入学し、黒沢良さんが主役の吹き替えを務めた『FBIアメリカ連邦警察』で声優デビューを果たします。
デビューはとても緊張したけど、嬉しかったな。最初は一言だけだった台詞が作品ごとに段々増えてきて、やりがいも大きくなっていった。 人並みになるまで10年くらい苦労したけど、おもしろい先輩がいっぱいいたし、声優の仕事に飽きることはなかったね。 |
今よりも荒々しかったという声優の世界で揉まれながら、若本さんは声優の世界を順調に歩んでいったのです。
Effort
仕事が無くなり、修行の旅へ。
貪欲な学びが唯一無二の声優に結実
しかし、50歳を前にして突如として陰りが見え始めます。
レギュラーの仕事以外、新規の依頼がパタッと無くなってね。それでプロデューサーになったつもりで過去の出演作品を俯瞰して見てみたんだ。 すると、それなりに整えてはいるものの、要望に応えられていないのがわかった。「これじゃ飽きられる」と思ったよ。 |
危機感を抱いた若本さんは、修行の旅に出かけます。声楽やオペラ、浪曲や呼吸法など、声に関するものなら異分野でも貪欲に学びました。
声楽は10年くらい通ったし、浪曲は毎週浅草に足を運んで最前列で鑑賞した。古神道の修業のために5年にわたって仙台を訪れたり、大道芸の口上も習ったりもしたね。大道芸の口上は師匠が亡くなるまで続けたけど、僕のナレーションにはその息吹が根付いている。 まだインターネットがない時代だったから、学ぶには本を読むか人から教えを乞うしかなかった。お金と時間を相当使ったけど、だから身になったんだと思う。 |
特に目から鱗だったのが「息」の使い方だったそう。
スーザン・オズボーンという歌手が来日した際、主宰するヴォイスワークショップに参加したんだけど、「歌声は溜息」と言っていたのがヒントになった。 声の原点は息。呼吸が浅いと、声が細くなるんだね。 |
まるでパズルのように修行の成果がピースとなって組み合わさり、オリジナルのメソッドを確立。
唯一無二の声優となった若本さんのもとには、再び仕事が舞い込むようになって現在に至ります。
声優はオールラウンダーじゃないといけない。さまざまな役を受けるには、高い技術が求められる。 声優は、技術さえあればのし上がれるんだよ。 |
Philosophy
他人と比べるもんじゃない。
人生は常に自分との勝負
今年76歳になる若本さんですが、今なお3時間から5時間といった長時間の収録にも休憩なしで挑むそうです。「体力は修行で培った」と断言します。
昔、イタリアのトランぺッターから聞いた話が印象的でね。 彼は「自分は超一流ではない」と言って、オフの日でも1日に9時間も練習をするんだよ。これだけの時間吹き続けるには、それ相応の体力がないとできない。 それを聞いて以来、さらに筋肉を鍛えるようにした。しなやかな筋肉がないと良い声は出ないからね。 |
若本さんは声優道を“けもの道”に例え、自らの力で切り拓いていくことの重要性を力説します。
3合目くらいまでなら乗り合いバスに乗って誰でも到達できる。でも、そこから先に進もうと思えば、バスを降りて自分ひとりの力で何とかしなきゃいけない。 知識や知恵は鉈みたいなもので、それが人生を切り拓く武器になる。だから、学ばなきゃ。 自分が何合目にいるか分からなくて不安になるかもしれないけど、学び続けて自分なりにアレンジしていけば、きっと視界は開けていくからね。 |
そして、日常生活の大切さも訴えます。
どのように毎日を過ごすかが肝心。何時に起きて何時に就寝し、どういった食事を摂っているのか、心身を整えるために日常生活を見直そう。そうしないと、学ぶことすら難しくなるから。 |
これは声優に限らず、人生に共通して当てはまる真理なのではないでしょうか。
「他人と比べるものじゃなく、常に自分との勝負」。
自分を主軸にしてストイックに向き合う孤高の精神が、つい他人と比べてしまいがちな世の中に必要なのかもしれません。
アート引越センターは、一件一件のお引越に思いをこめて、心のこもったサービスで新生活のスタートをサポート。お客さまの「あったらいいな」の気持ちを大切に、お客さまの視点に立ったサービスを提供していきます。
Photo:伊藤 圭
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