新しいキャリア、新しい場所…。新しいことにトライするには、苦難や苦労がつきものです。ただ、その先には希望があります。

本連載は、あなたの街の0123でおなじみの「アート引越センター」の提供でお送りする、新天地で活躍する人に密着した企画「NewLife - 新しい、スタート -」。

第24回目は、料理研究家のリュウジさんにお話をうかがいました。

  • 料理研究家のリュウジさん

    第24回目は、ホテルマンから転身を遂げた料理研究家のリュウジさん

Philosophy
「今日食べたいものを今日作る」
YouTube・Twitterを席巻する料理研究家

「好きなことを仕事にする必要はない」

料理研究家として「今日食べたいものを今日作る」をモットーに、数々のレシピを発信しているリュウジさん。

  • グラスを手に持つリュウジさん

YouTube「料理研究家リュウジのバズレシピ」のチャンネル登録者数は200万人を超え、Twitterのフォロワー数は約180万人を誇っています。

  • 「料理研究家リュウジのバズレシピ」より『無限油そうめん』

    「料理研究家リュウジのバズレシピ」より『無限油そうめん』

高校生のときに始めて以来、趣味として続けてきた「料理」の世界で名を馳せていますが、実は「料理を仕事にするつもりはなかった」のだとか。

  • グラスを手に持つリュウジさん②

「好きを仕事に」という価値観が蔓延る今、毎日の何気ない幸せに気づき、楽しく生きるためのヒントが垣間見えました。

Background
チキンソテーを母が大絶賛
ひきこもり中に知った料理を作る喜び

  • リュウジさんの料理姿

リュウジさんは自身の幼少期を振り返り、「暗くて引っ込み思案だった」と評します。ゲームや漫画を好む少年は、高校に進学すると一日中オンラインゲームに興じ、やがて引きこもるようになりました。

授業に面白みを感じられず、学校に行く意味を見出せなくて。

今となっては、もう少し勉強しておいても良かったのかなと思うんですけどね(笑)。


やりたくないことはやらず、やりたいことをやる。

人生の分岐点で幾度となく用いられる独自の判断基準は、幼少の頃にはすでに確立されていたのでしょう。

一方で、現在の姿からは想像もできませんが、「食」には無頓着だったといいます。

子どもの頃は食に対してこだわりはなかったですね。強いて言えば、カップラーメンが好きだったくらいで。


そんなリュウジさんが料理を始めたのは、引きこもっていた高校時代。母親の体調不良がきっかけでした。

母ひとり子ひとりの家庭だったので、体調を崩しがちだった母親に代わって僕が食事の用意をするようになりました。最初に作った料理はチキンソテーでしたね。


  • チキンソテー

    15歳のときにネットでレシピを調べて見よう見まねで作ったのだそう。写真はリュウジさんが過去に作られたチキンソテー

「むね肉が安かったから」との理由で献立に選んだそうですが、その味を母親は大絶賛してくれたといいます。

褒められたり、感謝されたりするのが嬉しかったんです。

それ以来料理が楽しくなって、ちょこちょこ作るようになっていきましたね。


お金をかけずにお腹も心も豊かに満たす料理を作ったのは、子どもながらに家計を気づかっていたからでしょう。

生活に寄り添うリュウジさんのスタンスは、この頃の体験が少なからず影響しているようです。

Roots
「料理は趣味でいい」
世界各地の料理を味わうも、
成り行きでホテルマンに

  • リュウジさんの料理姿②

時折、食材の買い出しのために出かけるものの、引きこもり生活は継続。 脱却できたのは、まさに怪我の功名でした。

不審火によって家が全焼し、ゲーム用のパソコンも燃えちゃったんですけど、その時に友達から「お前大丈夫か」という連絡をもらって。

それで「こんなにも心配してくれる友達がいたな」と思えて、外の世界に出られるようになりました。


  • 火事のイメージ

そんなある日、リュウジさんはその友人から思わぬ誘いを受けます。

「一緒に世界を見に行かないか?」と。その友人は漫画家を目指していて、見聞を広める必要があると考えたようです。

自分には将来の夢がなかったので、純粋に感心しました。乗り気ではなかったんですけどね(笑)。


しかし、世界一周旅行の説明会に参加してみると気持ちに変化が。「世界の料理を食べられる」との触れ込みに、心を鷲づかみにされたのです。

母親に相談すると「絶対に行け」と言ってもらえたので、旅行の費用を稼ぐアルバイトに励み、船に乗り込みました。

誘ってくれた友人は親の同意を得られず、結局一人で行くことになったんですけど(笑)。


  • 世界一周旅行のイメージ

およそ1年にわたる船旅――。

初めて親元を離れ、ホームシックにもなったそうですが、物怖じせずに初対面の人とも話せるようになるなど、一回りも二回りも大きくなって帰ってきました。

世界を巡って最も痛感したのは「日本の料理はおいしい」ということ。これに尽きます。

僕の場合は、本場のイタリアンより日本のイタリアンの方がおいしいと感じましたから。


ただ、世界各国の料理を自らの舌で味わったものの、大好きな料理を仕事にしようとは思わなかったそうです。「料理は趣味でいい」と考え、知人の紹介でホテルマンの道に進みました。

船を降りた後は漫画喫茶でアルバイトをしていたのですが、そろそろ将来を見据えてスキルを身につけたいなと思っていて。

ちょうどホテルでの仕事を紹介されたこともあって、ホテルマンになりました。


ホテル勤務は過酷な面もあったそうですが、その分、たくさんの学びがあったと回顧します。

礼儀や言葉遣いを一から教わりましたし、後輩社員や配膳に携わる派遣スタッフへの指導を通してマネジメントについても学べました。

すべて今に活きていますね。


数年が経ち、順調にキャリアを重ねていた矢先、勤務先のホテルが廃業の憂き目に遭います。

要因となったのは、東日本大震災。自粛ムードにインバウンド需要の蒸発が相まって、経営が立ち行かなくなったのです。

本社の別事業への異動を打診されましたが、僕としてはホテルで働くことが好きだったので、断りました。


やりたくないことはやらず、やりたいことをやる。信念に従い、退職を決意しました。

Abandon
超人気レストランで
「10年に一度の逸材」と称賛
しかし、料理を仕事にすることをすぐに断念

  • リュウジさんの料理姿③

とはいえ、震災後の経済状況はそう簡単に回復しませんでした。

人材を採用しようとするホテルはありませんでしたね。

そこで、料理を仕事にしてみようかと思い始めたんです


行列ができるほど地元で有名なイタリアンレストランに応募すると、即採用。

厨房に入って2日目には、いきなりピザ窯を任されたそうです。これまで料理に費やしてきた時間が確かな実力になっていたのです。

「10年に一度の逸材」と褒められ、給料はすぐに何万円もアップしました。

でも結果的に3か月で退職してしまったんです


  • リュウジさんの料理姿④

まさかの結末は、共に働くコックたちにも衝撃を与えました。

料理を嫌いになってしまいそうで

超人気店だから仕方ないのですが、同じ料理を1日に何皿も作らないといけません。それも毎日です。家に帰る頃には疲れ果てて、寝ることしかできない状態。

自分のために料理を作る時間が無くなってしまうのが何より耐えられませんでした。引き留めてはいただいたのですが、辞めることにしました。


  • リュウジさんの料理姿⑤

味をぶらさず、すべての皿に魂を吹き込む料理人をとても尊敬する反面、自分にはできないと早々に見切りをつけたと言います。

「料理が好きなのに、料理ができなくなるのは本末転倒」。リュウジさんは、料理を仕事にすることを諦めたのです。

Chance
転機は、入居者からのクレーム対応
Twitterでバズり、レシピ本を出版

ホテルマンに戻りたい気持ちは強かったものの、震災後の採用状況は芳しくなく、その後は、コンシェルジュ付きの高齢者専用マンションを展開する会社で働くことに。

しかし、勤め始めて2年後、ある事件が起こります

入居者から「食事がマズい」というクレームが入り、社内で会議が行われました。

良い解決策が見当たらず、重苦しい雰囲気が漂っていたので、「月に何回か僕が作りましょうか?」と提案してみたんです。


  • リュウジさんの料理姿⑥

当初は「前例がない」と突っぱねられたそうですが、上司が会社の上層部に掛け合ってくれたと当時を思い出して目を細めました。

料理を提供する日は朝から仕込み、50人ほどの入居者全員分をひとりで手作りしました。

ちらし寿司やおでん、ナポリタンや焼きそば、お好み焼きといったポピュラーなメニューが多かったですが、自由に考えられたので、やりがいがありましたね。

もちろん、入居者からの評価は上々でした。


  • リュウジさんの料理姿⑦

クレームに端を発した逆転劇。

この前例なきイベントが、リュウジさんの人生を動かしたのです。

備忘録として50人前の料理の写真をTwitterにアップしたところ、バズったんです。

勤務先を明らかにはしていませんでしたので、「こいつは何者だ!?」と世の中の人が興味を持ってくれたのかもしれません。


  • リュウジさんの料理姿⑧

料理の写真をアップするたびフォロワーが増え、1年ほどで1万人に到達。出版の話も届いたそうです。

フォロワー数が1万人のときに出版社からオファーをいただいたのですが、「10万人まで増えないと出版できない」と言われたのが途方もなく悔しくて

でも、いつしか反発心が生まれ、それを原動力にTwitterに力を注ぎました。


  • お皿に盛り付けをするリュウジさん

バズった投稿を徹底的に研究し、文章や写真を追求すると、フォロワーの増加率は右肩上がりで上昇。

2~3か月ほどでフォロワーが3万人になると、別の出版社からもオファーが舞い込みました。

料理の写真をアップするたびフォロワーが増え、1年ほどで1万人に到達。出版の話も届いたそうです。

「すぐにやりましょう」と言っていただけたので、その出版社さんにお世話になることにしました。

「フォロワーが10万人にならないと出版できない」と言われた出版社には断りを入れたのですが、気分は爽快でしたね(笑)。


  • お皿に盛り付けをするリュウジさん②

デビュー作のレシピ本は重版されるほどの売れ行き。料理研究家・リュウジは、こうして誕生したのです。

Style
革命的なスタイルで反発も……
生活に寄り添い、
料理の楽しさを広めていきたい

  • リュウジさん作 至高のナポリタン

書籍出版を皮切りにテレビ番組にも精力的に出演するようになりますが、そこには母親に対する思いやりがありました。

Twitterで有名になったとしても、僕の親世代はネットに明るくありません。テレビに出演する姿を見てもらって、安心してほしかったんです。

なんせ引きこもり経験があるので(笑)。


料理研究家として、やっていける。

母親に認められた頃、Twitterのフォロワーは20万人に上っていました。

今では主戦場をYouTubeに移し、これまでの料理研究家像にとらわれない革命的なスタイルで人気を博しています。

初期の動画は暗かったんですが、お酒を飲みながら酔っ払った状態で撮影に臨むと、陽気な感じが視聴者に好意的に受け入れられました。

最近の動画はベロベロで酷いかもしれませんが(笑)。


常識を打ち破ると軋轢が生まれるのは世の常。たとえば、うまみ調味料を厭わず使用することに対して凄まじい反発があったそうです。

「うまみ調味料を使えば、おいしくなって当たり前だろう」と言われるのですが、「それならどうして使わないの?」と不思議でなりません。うまみ調味料は、醤油や酢といった他の調味料と同じです。

まだまだ文化として根付いていないだけで、うまみ調味料に関する正しい知識が広まれば、いずれ払拭されていくのではないでしょうか。


  • YouTubeの記念盾

料理人を断念したからこそ、料理研究家との違いを熱弁します。

料理人はお店で出す料理を作るのですから、手間をかけることに価値があり、その点に人々はお金を払います。

しかし、料理研究家は違う。家で食べる料理に、わざわざ手間をかける必要はないのです。できるだけ手間を省いた、おいしい料理が理想

料理研究家は、生活に寄り添わなければいけません。


意識しているのは、大衆の味覚に刺さる味。「おいしい!」と言われる成功体験を積めば、料理がきっと好きになる。

「発信するプラットフォームは時代とともに移り変わっても、今後も発信を続けて料理の楽しさを広めていきたい」とリュウジさんは前を向きました。

Thought
人生の楽しみは、仕事だけに限らない
好きな時間があることが素晴らしい

ずっと大好きだった料理を生業にしていますが、リュウジさんは自身を「一度はあきらめた人間」と位置づけ、「好きを仕事に」が蔓延る現在の風潮には疑問を呈します。

僕は紆余曲折あってたまたま料理の仕事をしていますが、ホテルや高齢者専用マンションで働くのも楽しかった。自宅で料理を作るのが好きだったので、不満はなかったですし。

好きを仕事にしようと努力している人は尊敬に値します。けれど、必ずしも仕事にしなくても良いのではないでしょうか。

人生の楽しみは、仕事だけに限りません。ゲームをプレイしたり、漫画を読んだり、家族やペットと過ごしたり、好きな時間があるのはそれだけで十分に素晴らしいと思います。


  • 至高のナポリタンを食すリュウジさん

リュウジさんがレストラン勤務時代に経験したように、好きを仕事にしてしまったばかりに痛みを伴うこともあります。

人生において仕事が占める割合が多いものですが、仕事だけが人生ではないのも事実。

好きな時間を大切にできれば、今よりもっと毎日を幸せに生きられるかもしれません。

  • インタビューの様子をYouTubeでも公開中

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アート引越センターは、一件一件のお引越に思いをこめて、心のこもったサービスで新生活のスタートをサポート。お客さまの「あったらいいな」の気持ちを大切に、お客さまの視点に立ったサービスを提供していきます。


Photo:伊藤 圭

[PR]提供:アート引越センター(アートコーポレーション)