新しいキャリア、新しい場所…。新しいことにトライするには、苦難や苦労がつきものです。ただ、その先には希望があります。
本連載は、あなたの街の0123でおなじみの「アート引越センター」の提供でお送りする、新天地で活躍する人に密着した企画「NewLife - 新しい、スタート -」。
第21回目は、2020年の春にお笑い芸人「ブルゾンちえみ」を引退した藤原しおりさんにお話をうかがいました。
Change
ブルゾンちえみを引退し、
本名「藤原しおり」で活動開始
「今は生きている実感があります」
「35億」のネタで大ブレイクしたブルゾンちえみさん。彼女は今、芸能界を引退し、本名の藤原しおりとして活動しています。
華やかな活躍の裏で、自信を持てず不安に苛まれていた意外な芸能生活。辞めた今、人生に満足感を覚えているのは、決して強がりではなく、まさしく本音でした。
その理由を探ると、自分との対話を大切にする藤原さんの指針が浮かび上がってきました。
Background
10代の頃から自分と対話。
判断軸は「自分がやりたいかどうか」
「真面目」。自身の幼少期を振り返り、周囲からはそう思われていたと藤原さんは言います。
「真面目」ってどういう意味なんだろうって考えてみたんですけど、「一生懸命」と解釈していました。決めたら何が何でもやり遂げようとする頑固さは持っていたと思います。 |
小学生のときには環境問題に関心を寄せ、電気を付けっぱなしにしたり水を出しっぱなしにしたりする家族や同級生を注意したことも。「私が地球を守らなきゃ!」。壮大な使命感に駆られていたと笑います。
伝え方は気を付けないと、ちゃんと聞いてもらえないことがわかり、人気者になって支持を得て発言しようと思うようになりました。 |
信じる正義が伝わりにくい現実。中学校に進学すると、その葛藤はさらに大きくなっていきます。
小学校に比べて上下関係が厳しくなり、これは私がひとりで訴えても難しいなと環境問題については諦めましたね。天に委ねたというか、悪さをする人たちは相応の報いを受けるだろうと(笑)。 |
環境問題から身を引き、次に熱中したのが陸上競技。練習すればするだけ記録が伸びる競技性を気に入りました。
誰かを巻き込まなくても良いですし、コツコツとひとりで積み重ねるのが性に合っていたようです。やればやるほど結果に表れるのがわかりやすくて好きでしたので、黙々と自主練を行なっていました。 |
そして陸上競技と同じく没頭できたのが勉強。努力次第で成果が得られる陸上と勉強に青春時代を捧げました。
10代の頃から自分とすごく対話している感覚でした。他人がどう評価するかよりも、自分がやりたいかどうかを重視していましたね。 |
「自分がやりたいかどうか」。この判断軸が、藤原さんの人生に多大な影響を及ぼします。
Objective
「こうなりたい!」という目標が欲しい。
道を見失っていた大学時代
高校卒業後は、教員を目指して島根大学教育学部に入学。しかし、教師になりたかったわけではなかったと明かします。
高校2年生で進路を決めないといけませんでしたが、その段階では「自分が何になりたいのか」わかりませんでした。大学の4年間で将来の目標を探そうと思い、先生に勧められるまま、教育学部を受験しました。 |
いわば将来の“保険”で教育免許を取得しておこうとしたものの、自分自身に嘘はつけませんでした。
いざ入学してみると、周囲は「本当に教師になりたい」と考えている人ばかりで。「自分も教師になりたいんだ」と自己暗示をかけてみましたが、駄目でした。保険で教育免許を取得しようとしていた私とは、そもそもの熱量が全然違ったんです。 |
自分は何になりたいのか――。
教師を真剣に目指す人たちの姿を見て、「こうなりたい!」という目標が欲しいと渇望するようになりました。けれど、初めて向き合う課題に答えが見つかりません。
中学や高校では陸上の大会や受験が目指すものでしたが、大学に入ると野放しにされたみたいで、何を目指せば良いのか道を見失ってしまいました。目標がないのが一番しんどかったです。 |
藤原さんはその時々の感情を書き留めて成長を確認するため、小学校4年生の頃から欠かさず日記を付けていました。しかし、それが全く書けなくなるほど心身ともに疲れ果てた状態がしばらく続いたといいます。
そこで下した決断。それが「大学中退」でした。
友だちからは「休学にしたら?」とか「あと1年半で卒業できるのにもったいないよ」と言われましたが、私にとっては大学を辞めることが必要でした。当時の私には、「早く元気になって戻らないといけない」と焦りを感じてしまうのがどうしてもしんどくて。辞めると決めたあとで、これからどうするかについて悩む方が楽になれると思いました。 |
前を向かなきゃ。もっと頑張らなきゃ。大学に入学してから心に鞭を打っていましたが、退学すると、すっと楽になれたそうです。
Occasion
親友との上京が人生の転機に。
東京でお笑い芸人を志す
大学を中退して地元の岡山県に帰り、リスタートを切った藤原さんは劇団に入団します。
何になりたいのかを模索していましたので、ちょっとでも興味があるものはチャレンジしてみるようにしました。それこそ藁にもすがる思いでした(笑)。 |
劇団は楽しかったそうですが、人生をかけるほどまでには思えず。そんなとき、ふと「吉本興業に入ろう」と大阪行きがひらめきます。
結局は、音楽の専門学校に入学しました。吉本に入ろうとネットを見ていたとき、学校の広告がたまたま表示されたのがきっかけです(笑)。 |
拠点を大阪に移し、歌とダンスを学ぶ日々。1年ほど続けましたが、これもやりたいことのようには思えなかったそうです。悶々とする中、ターニングポイントだったと後に指摘する出来事が起こりました。
学校で仲良くなった親友が「東京に行くわ」と言ってきたんです。「東京に行くときは一緒だよ」と約束していたので、抜け駆けされた気分でしたが、話を聞くとオーディションにはまだ間に合うと。私も急いで受けたら合格できたので、上京することにしました。 |
このオーディションを開催していたのが、ワタナベエンターテインメントの養成所。親友との上京が人生の転機となったのです。
決めたら後先考えずに動いてみる行動力が役立ちました。ただ、養成所に入ってからも悩んでいましたよ。「私のやりたいことは何だ?」って。 |
タレントと一口に言っても、ジャンルはさまざま。自分と対話しながら目標を探していると、ようやく一筋の光が差します。
お笑いライブの手伝いをする機会があったのですが、ステージ裏で芸人さんたちのとてもストイックな姿を見て驚きました。その時に、陸上や勉強に打ち込んでいたときの自分と重なったんです。お笑いも練習量で差が出る。それに、お客さんの反応がわかりやすい。おもしろくないと本当に笑ってもらえないですから。 |
お笑いは自分に合っている。芸人さんたちの仲間になりたいと思った藤原さんは、ネタを作って芸人になることを決めました。
久しぶりに目標ができて、テンションは高まりました。あとは目標に向かって突進するだけ。ワタナベエンターテインメントに所属するために力を尽くしました。 |
芸名「ブルゾンちえみ」を名乗るようになったのは、その最中。外部のお笑いライブに出場した際、先輩が名付けてくれたそう。ブルゾンちえみとして努力を重ね、見事にワタナベエンターテインメント所属を勝ち取ります。
Debut
「35億」で大ブレイク!
人気タレントの仲間入りを果たすも、膨らむ疑念
芸人として一歩を踏み出しましたが、ネタ作りには苦労していたそうです。
ネタ作りに時間がかかっていて、いつもネタ見せの本番ギリギリまで完成していませんでした。曲を流して、音楽が止まるスキマに何かを言うパッケージだけ決めていましたが、何を言うかは直前まで未定という状態です(笑)。 |
藤原さんいわく「スタイリッシュなスペシャル感ある女性が、うっとうしいことを言う」スタイルは当初から変わっていなかったそうですが、肝心の何を言うかが定まらなかったのだとか。
矢沢永吉さんや桃井かおりさんに憧れていて、お二人の言葉をスクラップして保存しているのですが、「カッコ良すぎて理解できないおもしろさ」をどうにか表現したいと思っていました。 |
「30代・女性・悩み」などとネットで検索してヒントを得て、ネタ見せに間に合わせるために必死で言葉を埋めるも、表現したいおもしろさが伝わらない。
何か言わないと――。突然、あのフレーズが誕生します。
「35億」が生まれたのは、男なんて山ほどいるというのを言いたくて地球の全人口を半分に割っただけです。それがウケて、ライブで勝ち進めるようになったり、テレビ番組のオーディションに合格できたりするようになりました。 |
その後の活躍は周知の通り。2017年の元旦、日本テレビ系列『ぐるナイ!おもしろ荘 若手にチャンスを頂戴今年も誰か売れてSP』で優勝し、大ブレイク。バラエティ番組だけに留まらず、女優デビューを飾ったり、日本テレビ系列『24時間テレビ「愛は地球を救う」』でマラソンランナーを務めたりするなど、一気に人気タレントの仲間入りを果たします。2017年の大晦日にはNHK『紅白歌合戦』にも出演しました。
にもかかわらず、当の本人は浮かれるどころか疑心暗鬼になっていきました。
「35億」が生まれてからは想定外のことだらけ。私からすればすべてが急に湧いて出たようなものでした。どうしてお笑いの世界で成功できたのかがわからず、自信を持てなかったんです。 |
これまでコツコツと努力し、成果を掴んできたからこそ、手応えのない過程に不安を感じたのかもしれません。疑念は日に日に膨らんでいきます。
何も頑張っていない自分がここにいて良いのかという思いが拭えず、人気番組のひな壇に座っていても、どこか申し訳ない気持ちがあって居心地が悪かったです。 |
このまま気持ちを放っておくわけにはいかない。藤原さんは芸能生活を見直そうとします。
楽しい仕事はたくさんありました。辞めたら、それらを失いますし、もう戻って来られない。それでも辞めたいのか、約1年にわたって自問しながら悩みました。 |
出した結論は、芸能界引退。
ブレイクから3年、藤原さんは「ブルゾンちえみ」を脱ぎ去り、藤原しおりとして生きていくことを決意しました。
Dialogue
思ってもいない道筋で夢が叶うことも。
何が正解かわからなければ、自分の声に耳を傾けてみて
芸能界を引退し、大好きなイタリアを訪れようとしていた矢先、新型コロナウイルスが世界的に流行。イタリア行きをあえなく断念し、現在は日本で「充電期間」を送っています。
海外に行こうとしたのは、東京を抜け出したかったのも正直ありました。日本にいると、さまざまな噂とも向き合わないといけませんから。変なことを書き立てられるくらいならと自分の言葉で説明しようと立ち向かっていましたが、昨年の年末あたりに疲れてしまって。芸能界を引退して心をリセットしたかった本来の目的を思い出し、今は意識的に休もうとしています。 |
これからどうしていきたいのか、ゆっくりと心身ともに休ませながら自分との対話を続けています。
こういう目標に向かって頑張っています」と胸を張りたいところですが、まだ模索中です。でも、苦労した期間があったから「ブルゾンちえみ」にパッと光が当たったように思うので、カッコ悪い時期は必要なんだと捉えています。 |
そして、無理にビジョンを決めても仕方ないと付け加えます。
3年ほどの芸能生活で痛感したのは、無駄な経験は無いということ。芸人になる前に歌やダンス、演劇を習っていなかったら、「35億」のネタもできていなかったかもしれませんし、ドラマや歌番組にも出演できていなかったかもしれません。思ってもいない道筋で夢が叶うこともあるんだと知りました。 |
どことなく力の抜けた柔らかい表情を浮かべる藤原さん。芸能界で忙しくしていたときよりも、今の方が自信に満ちていると断言します。
芸能界を引退し、休む選択をしたのは自分自身。納得しながら毎日を過ごしているので、生きている実感がありますし、自信を持って次に進めます。 |
どうすれば、満足して生きられるのか。人によって違って当然のため、その答えは自分の中にしかありません。情報が過剰にあふれ、価値観が多様化する現代。何が正解かわからなければ、自分の声にこそ耳を傾けて活路を見出すべきなのでしょう。
アート引越センターは、一件一件のお引越に思いをこめて、心のこもったサービスで新生活のスタートをサポート。お客さまの「あったらいいな」の気持ちを大切に、お客さまの視点に立ったサービスを提供していきます。
Photo:伊藤 圭
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