注目を集めるテレビ番組のディレクター、プロデューサー、放送作家、脚本家たちを、プロフェッショナルとしての尊敬の念を込めて“テレビ屋”と呼び、作り手の素顔を通して、番組の面白さを探っていく連載インタビュー「テレビ屋の声」。今回の“テレビ屋”は、日本テレビ系ドラマ『なんで私が神説教』(毎週土曜21:00~)の演出・内田秀実氏だ。

ドラマの演出を手がけながら、特番で放送されているバラエティ番組『1周回って知らない話』も担当し続ける“二刀流”の同氏。それぞれのジャンルでの経験が相互に生きることもあるといい、その一例として“高嶋ちさ子ファミリー”からの発見を挙げる――。

  • 日本テレビの内田秀実氏

    内田秀実
    1977年生まれ、神奈川県出身。早稲田大学卒業後、01年に日本テレビ放送網入社。『踊る!さんま御殿!!』『世界一受けたい授業』『世界の果てまでイッテQ!』『くりぃむしちゅーのたりらリラ~ン』『ヒルナンデス!』などを担当し、ロケ、スタジオトーク、再現ドラマなど様々なバラエティ演出を手がける。16年には、企画・演出を担当する『1周回って知らない話』がゴールデンタイムのレギュラー番組となり、現在も特番として放送。19年から本格的に連続ドラマの監督も兼任し、『恋です! ~ヤンキー君と白杖ガール~』『ファーストペンギン!』『ノンレムの窓』「24時間テレビ46 スペシャルドラマ『虹色のチョーク 知的障がい者と歩んだ町工場のキセキ』」『となりのナースエイド』などを担当。現在は4月期ドラマ『なんで私が神説教』が放送中。

「ベタドラマ」と『恋のから騒ぎ』ドラマがきっかけに

――当連載に前回登場した放送作家の林田晋一さんが、内田さんについて「GP帯のドラマでメイン監督やって、『1周回って知らない話』のバラエティ特番も年2~3回やって、そんな二刀流をやってる人、この業界に他にいないと思います。さらに、バカリズムさんの『ノンレムの窓』というドラマとお笑いの融合もやっていて、どういうふうに頭を切り替えているのか」とおっしゃっていました。

切り替えの意識というのは特にないんですけども、両方やってみて分かるのは、頭の中で使っている回路が全然違うので、ドラマをやった次にバラエティをやる時、バラエティをやった次にドラマをやる時は毎回、新鮮で楽しいです。最近では“ドラマ脳”と“バラエティ脳”の垣根を取っ払ったりすることで新しい発見があったり、新しいアイデアが生まれたりするので、どちらも楽しくやらせていただいています。

――そのお話はぜひ後ほど詳しく伺わせていただきたいのですが、まずテレビ局を志望したのはどういう経緯だったのですか?

僕が就活をしていた頃、日本テレビが例年と違う採用の仕方を始めたんです。それは番組制作職を、総合職とは切り離して別枠で採用するというもので、今では存在しない採用制度なんですが。当時、僕は早稲田大学で劇団に入っていて、いろいろな表現方法を勉強したいと思う中で、テレビの映像表現にもとても興味がありました。そこで、その年から始まった日本テレビの制作専門職の試験を受けることに。その試験内容は、夏休み中に1カ月ほど日テレに通い、『おもいッきりテレビ』の「きょうは何の日」というコーナー企画で実際に放送される5分ほどのVTRを制作するというものでした。そこからご縁があって、入社させていただきました。

――その頃はドラマとバラエティ、どちらをやりたいと思っていたのですか?

当時は何も考えていませんでした(笑)。とにかく「テレビってどんな感じなんだろう? 勉強したいな」くらいの気持ちだったので。なので、試験の時の志望欄にもなんとなく「バラエティ」と書いていたような記憶があります。

――そして入社されて、バラエティ制作に配属されたんですね。

最初は『踊る!さんま御殿!!』を8年ほど担当して、そこで勉強させていただいてディレクターになりました。それから『世界一受けたい授業』『太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。』『世界の果てまでイッテQ!』などたくさんの番組で勉強させていただきました。『くりぃむしちゅーのたりらリラ~ン』では立ち上げから最後までやらせてもらいました。

――『くりぃむしちゅーのたりらリラ~ン』と言えば「ベタドラマ」(※)ですよね。

はい。番組内の一企画ではありましたが、「ベタドラマ」のドラマVTRの演出をほとんど任せてもらえるようになったことと、『さんま御殿』からのつながりで『恋のから騒ぎ』のスピンオフ特番『恋のから騒ぎスペシャルドラマ』の演出をやらせていただいたことが大きな経験になりました。バラエティ班にいながら、ドラマ制作に触れる機会が運良くあったんですよね。

(※)…テレビドラマの王道“ベタシーン”を凝縮し、1クール分の感情移入を一度で味わえると大きな話題となった企画。「片思い」「サスペンス」「学園」「ホラー」「刑事」「親子愛」など、20作以上が放送された。

――そうしてドラマに触れることで、ドラマ志望になったのでしょうか。

はい。異動の希望を出してから、だいぶかかりましたけど(笑)

――ドラマに異動して最初に担当された作品は何ですか?

まずは2クール放送していた『あなたの番です』(19年)に後半クールから入れてもらい、様々な勉強をさせてもらいました。何も分からないまま入って、もうアップアップだったのですが(笑)、最終的に1話分を撮らせていただきました。

それから、『24時間テレビ』では志村けんさん(20年『誰も知らない志村けん -残してくれた最後のメッセージ-』)と、欽ちゃんと奥さんの物語(24年『欽ちゃんのスミちゃん ~萩本欽一を愛した女性~』)を演出させていただきました。これらの作品は、ドラマの合間合間に過去のアーカイブ映像をガンガン入れ込む構成だったのですが、自分にはドラマ経験が浅い分、“定型”とか“常識”があまりなかったので、そういうことが遠慮なくできたのかな、と思いますし、そういった部分でバラエティの経験が生きているのかなとも思います。