――そして、猿岩石(有吉弘行・森脇和成)による、香港からロンドンまでの「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」が始まったんですね。最初は毎週3本VTRがある中で、最後の1本だけでしたよね。
土屋さんからは、今までのテレビでやったことのないことをやるという企画だから、30分の番組の中で、とにかく毎週出し続けるということを言われました。成功するか失敗するかは分からないから、毎週何かを見せていくという考えでやっていくということでした。最初は3~4分のコーナーでしたが、それが徐々に10分、20分、そしてヒットするようになって30分全部やるようになりましたね。
――〆谷さんはどういうスケジュールで同行したんですか?
ヒッチハイクは3人のディレクターが交代で同行していました。スタートは日テレ社員の篠宮(浩司)君が行ってたんですけど、当時のミャンマーがどうしてもネックだということになって。そこで、『―インターナショナル』で松ちゃんを連れて、僻地や政治的に治安の危ないところにも結構入っていた僕が、経験があるからということで、タイのバンコクからミャンマーに行くところで引き継ぎました。
――当時ちょっと騒ぎになった、飛行機に乗ったルートのところですね。
当時のミャンマーは軍事政権下で、もう絶対に無理だという状況でした。密入国という手段もありますけど、そこで、外国の法律を犯してまでやることはありませんから、飛行機にしようという判断になったんです。
ただ、当時は"アポなし"企画で週刊誌やスポーツ新聞から叩かれていたので、そこに猿岩石がゴールしたらそこそこの話題になって、「そのルートは車で行けないじゃないか」と揚げ足をとってくるだろうという読みがあったんです。そうなったときのために、飛行機に乗るところも全部撮影しました。空腹でカツカツの生活をしてた猿岩石が、機内食をうれしそうに食べておかわりまでしてるところを、全部撮ったんです。そして、社会現象の中でゴールして、インチキだと叩かれたときに、番組内で「緊急検証」と銘打って、「取材した膨大なテープの中から、猿岩石がキセルした映像を発見した!」と、とにかく"電波少年らしく"やったんです。
――このヒッチハイクロケで、ご自身が一番身の危険を感じたエピソードは何ですか?
どれにしたってみんな大変なんですけど(笑)、一番身の危険を感じたのは、車に乗ってる時ですね。猿岩石はお金がないからヒッチハイクしてるわけで、乗せる人間からしたら、こいつらを襲っても何もないんです。でも僕は、唯一のスタッフである同行ディレクターとして、カメラで撮影してるわけですよ。そんなやつは金持ってると思われますよね。実際に、ドロンズが「南北アメリカ大陸縦断ヒッチハイク」をしたときは、スタートして2~3カ月で、ディレクターがもうカメラを盗られましたからね。乗った車が、ちゃんとサインボードを出したところに連れて行ってくれるかは、常に注意してましたよ。
――車に乗っている時なんて、このロケで一番長い時間ですよね!?
はい。あのロケでは、とにかく充電をしなければならないので、夜は電気がとれる場所を探しました。猿岩石の時は、毎晩その日に撮った8~10時間の映像から、面白い部分の抜き出し作業をやるんです。ただ、どこの町からも抜き出したテープを送れるわけではないので、それがある程度溜まったときに、地図を広げて「この町を通ってくれない?」と、大きそうな町に寄ってもらうようお願いしていました。それでも、発送してから日本に着くのに3~4日かかって、そこから編集して収録して放送されるまでに、実際に起きたことから早くても1週間から10日くらいのタイムラグがありましたね。
――前回の"テレビ屋"のテレビ朝日『しくじり先生』の北野貴章さんが、松村邦洋さんから、〆谷さんの話をよく聞いていたとおっしゃっていたのですが、松村さんとの印象に残っているロケはなんですか?
結構みんなに言われるのは、アラブの砂漠での遭難とかなんですが、僕の中での一番は、ドロンズのゴールを建てにアラスカに行ったときですね。ゴールをどこにしようかと候補地を探す中で、ちょうどアラスカの中央部に「道の終わり」という場所があると聞いて、ヒッチハイクのゴールにピッタリだということになりました。そして、そこへの移動は、ちょうど犬ぞりの大会があって、そのコースを作るためにスノーモービルで圧雪して、森の中から2,000mの山を越えていくというので、面白いと思ってついていくことにしたんです。スノーモービルは1人1台ずつ渡されて自分で運転するんですが、松ちゃんにはさすがに運転させられないんで、リーダーの人のスノーモービルに連結したそりに乗せていくことにしました。
そして出発したんですが、夕刻になって天候が悪化し、ものすごい吹雪になったんです。本当に前が見えない「ホワイトアウト」の状態。生まれて初めてのスノーモービルで混乱したんですが、そしたら先に行ってたはずの松ちゃんが、僕のスノーモービルのヘッドライトに映ってボーッとしてたんですよ。「松ちゃん!松ちゃん!」と叫んでもまだボーッとしてるので、「ちゃんとしろよ!」って本気でひっぱたいて。なんでそんなことになったのか確認すると、天候が厳しくてそりが足手まといになるから、リーダーが危険を感じて切り離して、後で助けに行くということだったらしいんですが、英語で言われても松ちゃんは分かんないから、置いて行かれたと思って、自分で歩いたんだそうです。
――雪山で意識がボーっとするなんて、まさに命の危険を感じるシーンですね。
カメラも回せませんでしたからね。あれだけは日本に帰ってから、土屋さんに「いろんな厳しい環境でロケをしてきたけど、カメラが撮れないようなところに行くのはもう…」と言いましたよ。