国鉄時代に製造されたディーゼルカーで、朱色一色に塗られた車両は「首都圏色」「タラコ色」などと呼ばれる。朱色とキハ40系の丸みを帯びた姿など、「タラコ色」と呼ばれるのはなんとなくわかるが、「首都圏色」とは不思議に思うかもしれない。現在、首都圏にこのカラーリングのディーゼルカーはほとんど走っていないからだ。なぜ朱色一色は「首都圏色」と呼ばれるようになったのだろう?

震災に見舞われる前の石巻線女川駅付近には、「首都圏色」のキハ40形が保存されていた

この「首都圏色」は、国鉄時代に定めた色名称では「朱色5号」と呼ばれている。首都圏でよく似た色といえば、中央線快速で活躍した201系のオレンジ色も思い浮かぶけれど、あれは「朱色1号」だった。

国鉄が定めた朱色は4種類あって、朱色1号が東京や大阪の通勤電車、朱色2号は欠番、朱色3号が修学旅行専用列車(155系など)、朱色4号が一般型気動車でクリーム色とともに使われた色またはディーゼル機関車の色、そして「首都圏色」と呼ばれる朱色5号だ。

相模線で初採用された朱色5号

朱色5号一色の塗装は、1975年に相模線で初採用された。それまで普通列車用のディーゼルカーは朱色4号とクリーム色の2色で塗られていた。ところが、国鉄の赤字が問題となっており、コスト削減の一環として車体の塗装費用を節約した。そこで朱色5号の1色塗装を試験的に実施。まずは相模線の通勤用ロングシートタイプのディーゼルカーに採用され、後に八高線、久留里線、木原線など、通勤需要のある非電化区間の車両が順次塗り替えられた。

相模線の支線、西寒川駅に佇むキハ35首都圏色

西寒川駅は1984年に廃止された

このように、首都圏の通勤輸送用車両を中心に採用されたことから、朱色5号は「首都圏色」と呼ばれるようになった。その後、「首都圏色」は全国で採用され、キハ40系に関しては製造当初からこの色となった。しかし、国鉄がJRグループに分割・民営化される際、イメージアップの意味もあって地域ごとの塗装が採用されるようになった。後に相模線や八高線八王子~高麗川間が電化されるなど、ディーゼルカーが走る路線も減った。そうした事情から、「首都圏色」も現在は少数派になっている。

ところで、前述のように「首都圏色」は別名「タラコ色」とも呼ばれている。たしかに昔のタラコは赤かったけれど、いまのタラコはあんな色をしていない。調べてみたところ、昔のタラコは着色料の「食用赤色102号」を主とし、他の色と組み合わせて色をつけていたようだ。この「食用赤色102号」とは、食品添加物の商品名とのことで、現在は着色料の使用量が減り、色が薄くなっているそうだ。

ちなみに、「タラコ色」のディーゼルカーが日焼けなどで色あせた場合、「焼きタラコ」と言うとか言わないとか……。