本連載の第151回では「残業が真の問題を覆い隠してしまう理由とは」と題し、残業という「その場しのぎ」の対応によって本質的な課題を解決する機会が奪われてしまう、ということをお伝えしました。今回は、残業が多い人はムダな手間をかけ過ぎているのではないかという疑問についてお話します。

「手間暇かけた丁寧な仕事」

この言葉を読んでどのように感じましたか。きっとポジティブなイメージを持たれたのではないでしょうか。しかし、そのような認識は、ともすれば仕事の生産性を下げてしまう要因になっているかもしれません。

このような話をすると、「丁寧な仕事の何が悪いのか」と反感を買うかもしれません。それは「手間をかけて丁寧な仕事をすることは美徳である」という価値観が日本の社会に根付いているからかもしれません。または、この言葉からは「一生懸命に働く人の姿」という感情に訴えかけるものを連想させるということかもしれません。

いずれにせよ、このような「人々の価値観や感情に訴えかけること」自体がその仕事の価値であるならば何の問題もありませんが、そうではないとしたら「手間暇かけた丁寧な仕事」とは敢えて意地悪な表現をすると、単に「些末なことに拘って時間と労力を多く費やした仕事」と捉えることができます。

それでは、どのような仕事が該当するか、例を見てみましょう。

例1. 社内でのやり取りなのに、過剰に丁寧な文面のメール

上司や他部署とのやり取りで送受信するメールに、やたら長文のものはありませんか。特に冒頭の挨拶が長かったり、婉曲表現を多用したりしているものは要注意です。書いている本人は「相手に失礼がないように」と気を遣っているのかもしれませんが、このようなメールは以下のような負担やリスクを読み手に負わせていることに自覚的になるべきです。

【負担】情報量が多すぎて読むのに時間がかかる。読み手が忙しいタイミングで受け取った場合、対応を後回しにされてもおかしくない。また、受け手が返信する際に、受け取ったメールのトーンに合わせようとするとやはり過度に丁寧な文章を書くことになり負担が増す。

【リスク】持って回った言い回しによってメールの送り手の真意が伝わりにくくなる。場合によっては意図が誤って伝わってしまう。

以上のような負担やリスクといったデメリットがあります。社外の人ならいざ知らず、社内の人とのやり取りでそこまで丁寧な文章が本当に必要なのでしょうか。もし不要なのであれば、効率を上げるために以下のような対応を心がけるとよいでしょう。

  • メール本文の冒頭に最も伝えたいことを記述する。
  • 文章表現は短く簡潔にする。
  • 主観的な表現は使わず、客観的な表現にする。

相手に気を遣い、過度に丁寧であったり冗長な表現をしたりするよりも、上記のような対応を心がけて読み手に負担がかからないようにすることこそが、相手に対して真に思いやりのある行動ではないでしょうか。

例2. 大量データの目視チェック・二重チェック

複数のファイルに分かれている大量のデータが合っているかを確認するために、各々のファイルを印刷して目視でチェックする作業や、二人で読み合わせるといった作業はありませんか。または、関数やピボットテーブル、マクロなどで自動化した作業結果が間違っていないか、毎回自動処理後に時間をかけて目視で確認するといった作業です。

実際に、「エクセルの計算が間違っているかもしれない」とか「マクロにバグがあるかもしれない」などと言って、自分の目で全数チェックしないと気が済まないという人を偶に見かけます。

しかし、私に言わせてみれば特に大量データの扱いに関しては、人が行う作業やチェックの方が信用なりません。扱うデータの量が多くなればなるほど、人手による入力ミスや確認漏れといった事象の発生確率は上がってしまいます。

それに対して、例えばエクセルであれば関数やピボットテーブルなどを用いれば「基データに不備がなく」「数式やピボットテーブルの設定、基データの指定範囲に誤りがなければ」、処理を誤ることはあり得ません。特に大量データの整合性の確認などはエクセルの数式を用いれば瞬時に完了しますし、その正確性は人間による目視や複数担当者による二重チェックなどとは比べるべくもありません。

では「マクロにバグがあるかもしれないから」と言ってマクロの処理結果を毎回目視で確認している場合はどうでしょうか。その処理で想定されるデータの量・形式を複数パターン用意して、マクロが正確な処理をするかどうかをテストして、全ての結果において問題がないことが判明したら、以後の処理については結果を都度確認することはやめてもよいはずです。

以上見てきたように、単に心配だからといって何でも人の手で作業したり目視で確認したりするというのは手間暇をかけてはいますが、「全くの無駄である」ということを認識する必要があります。大量データの扱いについては人間よりもコンピューターの方が遥かに得意です。それは人よりも自動車の方が速く走れるのと同様です。私たち人間は、コンピューターの方が得意なものは任せて人間にしかできないことに注力しましょう。

ここで挙げた以外にも、無駄な手間をかけている例は枚挙にいとまがありません。「手間暇をかけた仕事」を見つけたときは、「手間や時間をかけずに正確かつ迅速な仕事」に変えることはできないか、一度立ち止まって考えてみてはいかがでしょうか。